大野裕之著『京都のおねだん』講談社現代新書
数ある「京都本」の群れに加えられた一冊。
神社仏閣の歴史がどうとか景色がどうとか、
京都の「因習」がああだとかこウドとか言わずに、
京都での生活体験や職業的な出会いにまつわる話だから、
それなりには面白い。
京都はこの先「観光」で喰っていく以外には無いのだから、
どのようにしつらえて、中味を吟味して、おもてなしをして、
「顧客満足度」を高めて、リピーター層を増やしていくことこそが課題になるのだが、
だから、過去の経緯はどうであれ、
「現在」だけが問題にされ、意識される。
従って、「蘊蓄」か「トリビア」かは知らないのだが、
京都のガイドブックを読むと、「これは一体どこの話?」と、私ら自身が気迷ってしまう。
「京都風」とか「京都流儀」が過度に強調されて、
京都市民として日暮らししている私らの生活実感とは大きく隔てられてしまう。
私らの中学時代や高校時代のクラス会をしようと現住所などを調べた時、
京都に残っているものは名簿の3分の1にもなっていない。
それ位に京都生まれの京都育ちの者が京都を離れているにもかかわらず、
離れた者以上に地方から京都に流入してきていたのだが、
それだけの住民の変動がありながら、
京都が京都として存続してきたというのは、実は、恐ろしいことではないかと思っている。
京都を京都たらしめている「コア」な層が確固として存立しているということなのである。
そんな「コア」な部分とは何か?を論じた京都本は未だ存在していないから、
普通な庶民では関係を持てない別世界なこととされているのか、
あるいは、「タブー」として「触れてはいけない」こととされているのか、
「闇の世界」と言えるかも知れない。4