林房雄著『大東亜戦争肯定論』中公文庫
大学に入学早々の頃、
生協書籍部に平積みされていたことを覚えている。
配線からやっと四半世紀を過ぎた頃だったから、
題名を見て「何の反省もされていない」と嫌悪したのだったのだが、
今に至ると、
あれやこれやの「肯定論」が蒸し返されてきているような論壇だから、
その大本は何だったかを顧みれば、
この本に戻ることになる。
逆に言えば、この林房雄の論を超えるものが未だに出てきてはいないということを意味する。
考えてみれば、日本の「平和論」というのは、
東西の冷戦構造というものを所与の大前提にして、
「戦争のない状態」を「平和」と言いくるめるようなものでしかなかったから、
冷戦構造というものが意味を持たなくなれば、
この至福の「平和論」も寄る辺が無くなってしまう。
こういう状況がいわゆるリベラル派を覆い込んでいる訳なのだ。
読売が朝日に喧嘩をふっかけると、
こういう出版まで陽の目を見るという時代なのだろう。