「あなたが聴きたい歌の4時間スペシャル」:TBS系:4/3
昭和の歌といえば、今や「古典」であるし、「スタンダード」ででもあるから、
局に保存されているソフトをコピペすれば出来上がるという、
安上がりで安直な編成なんだが、
「端境期」では、こんなものしか仕方ないと思いながら、また見てしまう。
そう言えば、
今月発売の「文藝春秋」や、今日発売の「週刊ポスト」では、
団塊の世代の「罪と罰」めいた特集が組まれているのだが、
ほとんどが65際を過ぎたか今年には過ぎようという時期に差し掛かり、
言い替えれば、年金受給者になったわけだから、
その膨大な負担に若い世代が呻吟するという図式だから、
団塊の世代に対する鬱憤の一つや二つは出てきて当然ではあるだろう。
年金受給権というのは「権利」なのだから、
その満額を受け取る権利は重々尊重されなければならないし、
その受給に何の遠慮が要るものか!というのが正直なところだし、
その受給権を確保するために消費税率がこの先15%になろうと20%になろうと、
そんなことは国家の政策問題だから、個人個人の問題ではないという割り切りがある。
もっと言えば、
団塊の世代というものを生み出したのは、大日本帝国の戦争責任の所産であったのだし、
団塊の世代という人口構成が生み出すさまざまな「歪み」を正していくのは、
戦後処理という大きな国家政策のコアをなすべきことだったはずなのだが、
そんなことには「頬被り」してきたのではなかったか?という、
今更言ってみたところでどうしようもないのだが、
そういう問題意識は、私らは持っている。
「団塊の世代」というネーミングは、元通産官僚の手によるものだったのだが、
何か、団塊の世代が平時に生じた自然の成り行きみたいな位置づけをしたから、
政策的にも「後追い」みたいなことになってしまったのだが、
この問題は、まさしく国家の歴史責任なのだということを、改めて念押ししておきたい。
団塊の世代に対する、
つまり、団塊の世代を一括りにしてその特徴付けをあれこれ論じる「世代論」があるけれども、
どれもこれも当たっているように見えながらも、
そのほとんどが見当違いなものでしかないわけで、
世代論として有効な議論に出会ったことがない。