以前、前田敦子さんの卒業についての記事を書いたことがあります。以来、AKB48の動向はなんとなく意識してはいたのですが、今回は最近興味を惹かれている仲川遥香さんについて書こうと思います。
東南アジアのインドネシアに、JKT48という日本のAKB48の姉妹グループがあります。インドネシア国内でメンバーを募って結成され、AKB48の曲をインドネシア語と英語で歌っているアイドルグループです。首都ジャカルタに専用劇場を持ち、インドネシア国内で全国ツアーを行い、テレビにも常時出演して、非常に人気を博しているようです。グループの結成は2011年11月ですが、翌2012年11月に日本のAKB48からメンバーの移籍があり、その時移籍したメンバーの一人が仲川遥香さんです。
仲川さんは、AKB48の三期生として、2006年から日本で活動していました。初期メンバーの前田敦子さんとは同じ高校の同級生だったそうで現在21歳です。けれども前田さんとは違い、日本ではなかなか芽が出ず、新しい可能性を求めてジャカルタに〝赴任〟したのです。
それから1年2ヶ月、仲川さんは今、インドネシア初のアイドルグループJKT48のトップメンバーとして大活躍しています。具体的には、2014年のJKT48のカレンダーに載る12人のメンバーを選ぶファンの人気投票で1位を獲得したのをはじめ、インドネシア初の国産特撮ヒーロー番組BIMAの出演キャラクター人気投票でも1位を獲得し、数多くのテレビ・コマーシャルにも出演(現在6本)して、現地では本当に大人気なようです。さらに、インドネシア語でのTwitterのフォロワー数が50万人を超え(JKT内2位)、その注目度や影響力は抜群です。いわば、JKT48における〝前田敦子さん〟のような存在になっているわけです。
仲川さんのこうした活躍については、すでに去年の10月・11月に、毎日新聞・朝日新聞が、それぞれインタビュー記事を掲載しており、日本でも次第に話題に上がるようになってきました。巷では、彼女のインドネシアでの大活躍が、多少の驚きをもって、けれどもおおむね好ましく受けとめられているようです。

それにしても、日本で活動していた時期にはあまり目立たなかった仲川さんが、なぜ移籍からわずか一年あまりで、これほどの成功を手に入れることができたのでしょうか。それに、AKBからの海外移籍組の中で、仲川さんだけが、抜きん出た成果を手に入れることができたのはなぜでしょうか。
まず特筆すべきことは、移籍当初からはっきり見られた現地語習得の情熱です。仲川さんは、最初からインドネシア語でのコミュニケーションに強い熱意を持っていました。人見知りしたり、オドオドしたり、恥ずかしがったりすることなく、常に意欲的に単語を覚え、物怖じしないで発音し、周囲の仲間に溶け込んでいきました。その日本人離れした勘の良さは、AKB随一の運動神経の賜物のようにも思えます。
仲川さんは、日本では勉強が得意な子ではなかったかもしれません。けれどもぶっつけ本番の実地の学びでは、もともと抜きん出た適応力と吸収力を発揮していました。これまで日本では、あまり注目されず花開かなかった、そうした彼女の潜在能力が、今、インドネシアという未知の土地で、全開でフル回転しているようです。
彼女はわずか1年で、日常会話は難なく流暢に話せるところまで、インドネシア語が上達しました。さらには、英語の学習にも意欲的で、そのうち、三カ国語を操るようになるかもしれません。そうした飽くなき向上心も、現地では高く評価されています。
もともとインドネシアは、台湾と同様に親日的な土壌の豊かな土地と言われています。その点では、反日の逆風の中、労働ビザをとるのに1年もかかった上海移籍組よりは、はるかに恵まれていました。それに、インドネシアの人々は、一般に「日本」に対する憧れも強く、彼女は日本のCoolな文化をもたらす文化使節のような存在と考えられている面もあるようです。
しかし、その一方で、インドネシアのイスラム文化は、日本とは異質で隔たりが大きいことも確かです。気候も食べ物も風習もあまりにも違います。また、衛生面の問題も大きく、彼女自身、この一年で、テング熱やアメーバ赤痢に悩まされたそうです。
けれども、それだからこそ、異質な文化に積極的に馴染もうと努力している仲川さんの姿勢は、現地で非常に好意的に受け止められています。よく彼女は、インドネシアの人も料理も習慣も大好きと言っていますが、それがインドネシアの人々を喜ばせているのです。

インドネシアと仲川さんの関係は「水を得た魚」という言い方が、ピッタリかもしれません。彼女の個性は、日本では残念ながら「危ういほど幼児的」と見られていました。様式を過度に重んじ、細かい気配りを要する社会では、そのストレートな個性は、少々周囲から浮いてしまっていたのです。ハッキリ言ってしまうと「単純素朴過ぎるバカ」と見る人が多かったのです。
しかし、南国的で鷹揚なインドネシアでは、むしろ彼女の無防備な幼さと素直さが、作為や飾り気のない天真爛漫で魅力的な個性と受け止められています。その開けっぴろげで素朴なところが、かえって信頼できる人柄と見られているのですね。土地柄との相性が、不思議なほど合っていたので、ますます生き生きと意欲的になれているのでしょう。日本でも、そんな彼女の魅力を再確認した人が多いのではないでしょうか。
海外に移籍した誰もが、このような幸運な巡り合わせに会うとは限りません。そういう意味では、仲川遥香は滅多にない幸運をつかんだ「ラッキーガール」です。けれども、その幸運をしっかり掴めたのも、日本での6年に及ぶ、ある種の〝下積み(準備期間)〟の時期があったからこそ、です。
日本では、仲川さんは、たとえチャンスは与えられても、それをなかなか生かすことができませんでした。本人は一生懸命やっていたのに違いありません。けれども、残念ながら、今の日本の一般的な感覚とは〝水が合わなかった〟のです。そのためアイドル仲川遥香は、日本ではあまり評価されず、長い間、ほとんど注目されませんでした。
しかし、インドネシアでは違いました。同じように振舞っても、かの地ではなぜか受け止めてもらえたのです。その喜びが、彼女をますます元気づけ、より積極的にしました。そして、そのひたむきな努力は高く評価され、広く人々に受け入れられ、深く愛されるようになりました。
今、受け入れられていることを深く喜び、この土地と人々に感謝を感じられるのも、日本での不遇があったからこそ、とも言えるでしょう。インドネシアと「はるごん」は、相思相愛の仲ということですね。

『仲川遥香の成功』は、「一つの場所で成功できなかったからといって、必ずしも本人がダメということではない」ということを示している事例であり、いろいろな意味で考えさせられる、2013年の実に印象的な出来事のひとつです。
現在、日本政府は、仲川さんを、日本のアイドル文化を海外に輸出するのに成功した功労者と評価し、cool Japanを海外に紹介する広報塔と考えているようです。それを、仲川さん自身は、誇りに思っていいと思います。けれども、わたしたちの問題として考えた時には、あまり手放しで喜べることとは思えません。「日本政府は何を考えているんだか」とため息がでます。
嘆かわしいことに、最近の日本社会は、なんでも経済効果に結びつけて考える節操のない風潮が蔓延しています。官も民も、まるで「これでどのくらい儲かるか」ということにしか、興味がないようです。逆にいえば、経済効果のないものは、一切評価しないということです。だから、みんな、目立つほどには数字を稼げない自分が、いつ切り捨てられるのではないかと、強い不安を抱えています。
日本社会のそのような実利のみを追求する偏狭さが、仲川遥香という個性を開花させなかった元凶ではないか、という気づきや反省がないなら、わたしたちは彼女の成功から何も学んでいないのです。cool Japanどころではありません。むしろugly Japanを猛省しなければなりません。そもそも、そんな心の狭いみみっちい国に、人を感動させる優れた文化が生まれる道理がないのです。
おおらか過ぎる仲川遥香は、この日本の高度な産業社会における劣等生でした。彼女は、産業社会が自分に何を求めているかなど、からっきし関知しないからです。逆説的ですが、だからこそ、インドネシアでは成功できたのです。過度に「自分に何が期待されているか」に気を取られ、常に余裕のない心の状態にあっては、成功はおぼつかなかったでしょう。
それにしても、みんなが内心では「能のない馬鹿」と軽んじていた女の子が、これほどの大活躍をしようとは、誰に予測できたでしょうか。なんだかアンデルセンの「醜いアヒルの子」みたいで、ちょっと痛快ではありませんか。
教育格差や能力格差が広がり、鬱とストレスが蔓延するこの国では、老若男女を問わず、適応不良の「落ちこぼれ」と周囲に見られ、自分自身そう思わされている人たちがたくさんいます。周囲からそう思われてなくとも、息苦しく感じている人たちは、さらに大勢いるはずです。そういう人たちが、仲川さんの活躍を知ったなら、きっと勇気づけられるはずです。
少なくとも、わたしは仲川さんに勇気づけられました。はるごん、ありがとう。


【多少、踏み込んだ考察】
さて、ここからは、さらにもう少し、踏み込んだ考察をしてみたいと思います。harukaさんが、日本でぶち当たっていた壁の正体とは、そもそも一体何だったのでしょう。そして、そこから現在の日本社会が抱えるどんな問題が垣間見れるのでしょうか。
アメリカの社会学者リースマンの著書『孤独な群衆』(1950)の中に、現代人の特徴として、「他人指向型」という用語が出てきます。これは、社会的評価を切実に求める根深い強迫観念に支配された現代人の憂鬱を表す用語です。
現代の産業社会においては、人は皆、産業社会に利益をもたらす存在になることが求められます。そのため、自分が有用であると常にアピールしないと、無用な存在と断罪されてしまうのではないかと恐れています。そして、有用であることをアピールする手段は、この社会においては「数字を稼ぐこと」なのです。
その〝数字〟は、テストの点数や偏差値かもしれないし、視聴率やTwitterのフォロワー数かもしれません。しかし結局のところ、すべての数字が最終的に収束する地点は、経済効果(稼いだお金)の額ということになります。
それで、能力のある者は、この社会でサバイバルするために、数字を稼ぐことで、強者であり続けようとします。裕福な資産家は、投資信託などで順調に数字を伸ばし続け、資産の乏しい者は、ヘッジファンド的なリスクを背負いつつも、一攫千金の賭けに勝ち続けることで、強者への道を切り開いていきます。彼らは麻薬にのめり込むように、数字を争う勝負に勝つ快楽に、はまり込んでいくのです(ホリエモンのようにね)。そして、そのような〝刹那的個人主義〟を是とする強者の価値観を、一般にアメリカン・スタンダード(国際基準)と言います。
一方で、この産業社会で勝ち残る能力の乏しい多くの〝弱者〟がいます。彼らは、国や会社など組織に頼ることで、なんとか生き残ろうとしているのです。けれども、その代償として常に「組織に見限られるのではないか」という不安を抱えて生きることになります。
強者であれば、組織のことなど気にせず、自分の欲望のおもむくままに、一人で賭けを続けることができます。人のことなど知ったことではないのです。情に流されず、強くあらねば、勝負に勝ち続けることはできません。
しかし、哀れな弱者は、自分のためでなく、組織のために数字を稼ぎ続けることを、一生強いられます。そして、その果てしない戦いに疲れ果てた者は、自ら命を絶って逝きます。あるいは、組織に使い捨てられ、打ち捨てられて、敗残者として消えていくのです。さらには、若くして、社会そのものの在り方に、漠然とした絶望を感じてしまい、自分の部屋に引きこもってしまう人もいます。
勝者は勝ち誇り、自尊感情を強め、傲慢になっていきます。弱者は踏み台にされ、自尊心を踏みにじられ、打ちひしがれます。こうした強者と弱者の在り方は、一見、正反対のように見えます。誰もが可能ならば、敗者であるよりは勝者でありたいと願うでしょう。けれども、彼らはいずれも、この産業社会における「孤独な群衆」のひとりであり、利潤追求システムの〝歯車〟のひとつであるという点においては、同じなのです。勝ち残る時も、うち捨てられる時も、ひとりぼっちです。
リースマンによると、この憂鬱な群衆に共通する特徴のひとつは「想像力に欠けること」です。彼らには、この産業社会の向こうに新たな地平、別世界が広がっていることを、信じることも想像することもできません。そういう意味で、彼らは等しく、この閉ざされた世界の囚人なのです。
しかし、harukaさんは、この日本社会の囚われ人ではありませんでした。彼女は、今の日本人のほとんどが、がんじがらめに縛られている軛から、見事なほど解き放たれていました。だから、産業社会化が日本ほど進んでいないインドネシアの土地柄に、まったく違和感なく溶け込めたのでしょう。
そもそも、AKB48という存在そのものが、そのスタート段階においては、「無能のレッテルを貼られた社会的弱者の代表として、若く〝瑞々しい〟視野と不屈の〝柔らかい〟意志を持って、強者の世界観に立ち向かう」という概念(コンセプト)を内包していたように思えます。だからこそ、多くの若者が、自分たちの代表として、既成の権威に戦いを挑む彼女たちを支持したのでしょう。
そして、前田敦子さんは、日本でのその役割を終えて〝卒業〟し、一方、harukaさんは、インドネシアでその戦いを続けているのだと言えるかもしれません。

【最後に】
さて、彼女たちがわたしたちに伝えてくれているメッセージはなんでしょう。何よりも、わたしたちは、いったいどうしたら、この袋小路の閉ざされた孤独な世界から、自由になれるのでしょうか。
その鍵は「人を信じること」の中にあります。もしも、あなたが誰かと支え合い、共に生きることができたなら、その時、あなたは、この産業社会から半歩外へ踏み出しているのです。運命が、あなたにそれを許すなら、そして、踏み出す勇気をあなたが持ち得たなら、その時、新たな可能性の扉が開かれるでしょう。


✳︎2016年、仲川遥香さんは、Twitterフォロワー数は100万人ですが、アメリカのメディアが独自の基準で選ぶTwitter影響力ランキングで、世界に最も影響力を与えている女性ランキングのトップ15にアジア人で唯一入り、なんと、アリアナ・グランデ、ブリトニー・スピアーズ、ヒラリー・クリントンらを抑えて、7位にランクインしました。

✳︎2017年、日本とインドネシアの国交樹立60周年(2018)に向けて、親善大使の一人に、仲川遥香さんが選ばれました。
2017年現在、Twitterフォロワー数140万人、2年連続で世界7位の女性インフルエンサーに選ばれ、インドネシアでのCM出演数は20本以上、バラエティー番組にも多数レギュラー出演し、インドネシアで最も知られている日本人芸能人となっているようです。