アメリカの国民的作家マーク・トウェインの古典的文学作品に「王子と乞食」という小説があります。主人公の乞食の少年トム・カンティとエドワード王子は、ひょんな事から出会い、互いの容姿がそっくりなのを知って、互いの立場を取り替えること思いつくのです。それから乞食のトムは王子として、王子エドワードは乞食の子として、それまでとは、まったく違う生活を送るようになります。互いに慣れない生活の中で苦しみを味わい尽くしますが、それによって得難い経験をすることになり、人間について多くを学ぶことにもなります。
2012年度のテレビドラマ「Wの悲劇」も、天涯孤独の少女と大財閥の令嬢の同じような入れ替わりのストーリーでした。ドン底と頂点の入れ替わりというテーマは、非常に魅力のある設定のようです。この変転は、一人の人間の人生の中で起こっても、やはり、ドラマチックな物語となります。「小公子」「小公女」しかり、「モンテクリスト伯」しかり、「レ・ミゼラブル」しかり、「ケインとアベル」しかり。
昔、森繁久弥さんが、こんなことをおっしゃっていました。「いい演技をするためには、人間を知らねばならない。人間を知るためには、ピンとキリを経験しなければならない。これが、意外と難しい。キリは知っていても、ピンは知らないとか、そんな一方だけではダメなんだ。〝ふつう〟なんてのは一番つまらない。〝ふつう〟しか知らないなんてのは、話にもならない。」
「ピン」というのは、頂上、頂点、てっぺん、一番、勝者、強者、成功者、富裕者を指します。スティーブ・ジョブズとか、ビル・ゲイツなどが、典型的なピンを極めた人ですね、一方で、「キリ」というのは、ドン底、最底辺、最下位、敗者、弱者、失敗者、貧困者を指します。服役者とか、ホームレスとか、借金地獄とか、無戸籍者とか、その日暮らしの生活がキリです。森繁さんがおっしゃっているのは、そのどちらの生活も、身をもって味わい尽くして、初めて人間というものをいくばくか知ることができる、ということです。
例えば、ドストエフスキーの小説には、生々しい人間そのものの姿が描かれています。けれども、ピンとキリを知らない者が、はたして「罪と罰」を「カラマーゾフの兄弟」を理解できるでしょうか。多少なりとも、双方を経験して味わっている者でなければ、その世界をリアルに感じることはできないでしょう。
ドストエフスキー自身は、私生活の中で、その双方を味わい尽くしていた人です。天才的作家と評価される一方で、シベリア送りの刑務所生活も味わいました。富を築いても、賭博に身をやつし、恋愛にのぼせ上がっては、大借金をこしらえ、隠れ家に身を潜めて、返済のために死に物狂いで小説を書く。結婚と離婚を繰り返し、また恋と酒とギャンブルに溺れる。それでも、その非凡な才能ゆえに国民的作家として大成したのです。その作品世界は、まさに、ピンとキリを体験し尽くした生々しい息遣いに満ちています。
スティーブ・ジョブズもまた、ピンとキリを味わい尽くした人です。生まれる前に、実の親に捨てられ、貧しかった育ての親を助けるために、せっかく入った大学を三ヶ月で辞め、何のあてもないままに、人生の荒海に漕ぎ出したのです。そして、その後も、紆余曲折を経ながら、ついには空前絶後の成功をおさめたのです。生きる意欲もまた、ピンとキリを知ることから、湧いてくるものではないでしょうか。
日本人でも、リヤカーの屑屋から財閥を創始した住友吉左衛門や電球売りから財界の大立物となった松下幸之助、丁稚奉公から世界的に有名な寿司職人となった数寄屋橋次郎さんなどは、ピン・キリを知る成功者たちです。
こうしたピンとキリを知る人々の特徴は、たとえ経済界の人物であろうと、ただお金を稼いだだけの人ではないということです。彼らの興味は、人間そのもの、生きることそのものにあります。彼らは哲学者であり、信仰者であり、永遠の求道者なのです。
彼らは皆、人生を愛しています。そして、生きる哀しみと喜びを、人一倍深く味わっています。忍耐強く、自分にも他人にも正直で、真摯に率直に自己反省のできる人たちです。何より、意欲に満ちています。


そういう意味では、格差のない社会では、深い人間理解も力強い表現力も生きる意欲も、生れようがない、と言えるかもしれません。激しい生存競争に勝ち抜く闘志も、めくるめく芸術的表現の衝動も、あふれる愛の情動も、全ては濃厚なピン・キリ経験の賜物です。
ピンもキリも知らなければ、人の心は貧弱で薄っぺらいものになってしまう。逆に、ピンとキリのうち、どちらかだけでも、今、これでもか、と経験している真っ最中という人は、実に得難い良い経験をしていることになります。
わたしが気になっていることは、今の子供たちの多くが、ピンもキリも知ろうとしない傾向が強いように思えるということです。競争は嫌いで、何でもほどほどでよい。理屈や批判ばかりで、生身の喧嘩をしようとしない。いい子になって、本音を隠し、自分の心の闇を覗こうとはしない。しかし、それでは、人間として深みも味もある心の成長は期待できません。
男が大成するための三つの条件というのを聞いたことがあります。「一つは悪妻を持つこと、二つ目は大病を患うこと、三つ目は刑務所に服役すること」だそうです。そういえば、歴史上の偉大な哲学者には、悪妻を持った、と言われている人が、確かにけっこういます。ソクラテス、マルクス・アウレリウス・アントニヌス、サン=テグジュペリなどがそうです。それから、大病を経て大成した哲学者としては、男ではありませんが、神谷美恵子さんやシモーヌ・ヴェーユなどがいます。刑務所に入った人としては、ドストエフスキーやホリエモン(哲学者?)がいます。
要するに、挫折や失敗や敗北を知ること、どうにもならない現実に向き合うことが、人を成長させるということです。そういう意味では、一度の失敗や小さな挫折さえも許さないこの国の社会は、人の成長を促す環境としては、極めて劣悪ではないかと思うのです。子どもをエスカレーターに乗せて育てようとするのは、その環境の劣悪さを助長しているだけです。
最近、日本の大人や子供たちは、人の悲しい話や苦しい話や悩みを聞くと、「重い」と言って、聴くのを拒絶するようになりました。他人の面倒くさい話を捨てるのが上手なのです。だから、心に重荷を背負った人は、口をつぐむしかありません。孤独な子供たちは、誰にも口を開かなくなります。辛い思いを吐露できる相手が見つけられず、人知れず苦しみ続けるのです。そして、自殺者が増えます。どんな重い話にも、多くの人が耳を傾け共感できた昭和の時代には、そんなになかったことです。
しかし、そんな風に人を簡単に切り捨てられるのは、実に不自然なことなのです。本来、人は己の欠けたるものを満たそうとするものです。ピンしか知らない者は、苦しみの中からでもキリを知ろうとし、キリしか知らない者は、努力してピンを知ろうとします。それが、生の充足感、生きる意欲につながるからです。
ところが、親たちも、子どもたちがそういうことを学ぶのを望みません。心に負担のかかることですし、勉強の妨げになるので。しかし、そういう風に負担になる面倒な相手は避け、重い話に耳をふさぐようでは、子どもの心は広がりません。そして、ピンもキリも知らず、どちらをも知ろうとしない者は、生の充足感を持ち得ません。生きる喜びを感じられないということです。現代人の多くが、生気や覇気に欠けるのはそのためです。
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェーユは、何不自由ない貴族の令嬢に生まれましたが、幼い頃から人の苦しみに強く反応しました。若くして、労働者として過酷な工場労働に従事したり、スペイン内戦に義勇兵として参加し、負傷したりしました。シモーヌには、他者の苦しみを無視することは、到底できなかったからです。彼女自身の恵まれた環境に身を潜めて安住を貪ることはできなかったのです。
「人はピンとキリを知らなければダメ。」本当に意味深い言葉です。
マーク・トウェインの「王子と乞食」の最後で、王位についたエドワードが、「国王は庶民に甘すぎる」「なぜ、もっと厳しくしないのか」と詰め寄る家臣たち、居並ぶ大貴族たちに向かって、憂鬱そうに悲しげに言うセリフが印象的でした。「諸君に国民の何がわかる。国民のことがわかっているのは、国民とただ私だけなのだよ。」
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70〜80年代、ポップ・ミュージックのメジャー・シーンの一角で活躍していたシンガー・ソングライター、谷山浩子さんの紹介記事です。
谷山さんは、知的でメルヘンチックな特異な作風の歌詞と永遠の少女のような澄み切った歌声で、他に類を見ない幻想的なファンタジーソングを生み出してきた方です。特に、70〜80年代には、その独特の世界観と透明な歌声に魅せられたファンが(意外と)大勢いました。
谷山さんは、1972年、15歳の中学生の時に、自作のアルバム「静かでいいな 〜谷山浩子15の世界」とシングル「銀河系はやっぱりまわっている」を発売(アルバムは3000枚ほど売れて廃盤)してる早熟な天才アーティストです。その後、1974年、17歳の高校生でポプコンに入選。入選曲「おはようございますの帽子屋さん」で、二度目のシングル発売デビュー(しかし、ヒットはしていません)。さらに、1977年、20歳の時に、アルバム「猫の森には帰れない」とシングル「河のほとりに」で本格的に歌手デビューしました。
その後も、地道にアルバム制作やコンサート活動を続け、2000年代に入ってからも、次々と新しいアルバムを発表し、中島みゆきさんや松任谷由実さんと同じくらい息の長い活動を続けていらっしゃるアーティストです。今年は、なんとデビュー45周年だそうです。
しかし、現在の認知度は、今ひとつなのではないでしょうか。この記事では、往年の谷山さんの名曲の数々を、多くの人にもっと知ってもらいたく、選りすぐって推薦・紹介してみようと思います。
谷山さんの曲の中から特に大好きな12曲をアルバム風に並べました。全曲ダウンロードすると、総額3000円。best版CDとすると曲数が少ないですが、興味のある方は、できれば、昔のLPレコード(当時は10曲編成が一般的だった)のような感じで、聴いてもらえたらいいな、と思います。



◆1.おはようございますの帽子屋さん
作詞・作曲、谷山浩子。1974年(浩子さん17歳の時)の第7回ヤマハポピュラーソングコンテスト入賞曲。1975年に発売された2ndシングル。この曲が実質的なデビュー曲です。1977年発表の実質的なデビューアルバムである2ndアルバム「ねこの森には帰れない」に収録。谷山さん独特の鮮やかなファンタジー・ワールドが広がる初期の代表曲。
この曲に、谷山さんの感性、世界観の全てが内包されていると言っても過言ではありません。だから、この曲を聴いて、好きになれなかったら、あとはどの曲を聴いてもダメ。多分、向いてないのです。逆に、この曲が気に入ったら、残り全11曲大丈夫だと思います。
あと、わたしの個人的な印象ですが、この曲の詞には70年代の思想や情念のようなものを感じることがあります。
『誰だって、みんな、優しい人ばかり。だから、笑ってください。そして、手をつないで。』

◆2.窓
作詞・作曲、谷山浩子。1977年の4thシングル(売上1.2万枚)。1978年の4thアルバム「鏡の中のあなたへ」に収録。青年期の暗い情動を表現した忘れがたい曲です。幻想的なのにリアルな実感を伴う、これも不思議な感触の味わい深い名曲。
わたしの記憶の中では、当時の〝学校〟にまつわるイメージに、この曲の歌詞とメロディーが、いつもぴったりと寄り添っているのです。これも、70年代の独特の閉塞感というか、せつない情緒を感じさせる曲です。
「教室の窓からは、夢の世界が見えた。ギリシャの海さえも。けれども、優しい時代を置き去りにして、街へ飛び出した僕には、教室の窓はもう見えない。夢の続きがもうどこにもない。」

◆3.時の少女
作詞・作曲、谷山浩子。1981年の7thアルバム「時の少女」収録曲。怖いファンタジーを聴かせる谷山ダークワールドの初期の代表曲。この曲は、そのホラーでオカルトな雰囲気にもかかわらず、当時、意外に有線やラジオでオンエアーされ、街中で流れていました。シングル化されなかったのに、シングルのような扱いでリクエストの多かった曲です。
『時の少女は、目も鼻も口もない。まっ白な顔でにたりと笑う。人になんか、つかまってもムダさ。流れていくだけ。あんたは独りさ。あたしが愛してあげるよ、今夜は。』

◆4.テングサの歌
作詞・作曲、谷山浩子。1979年の5thアルバム「夢半球」収録曲。突然の人類滅亡直後の和歌山県紀勢本線岩代駅の誰もいないホームのベンチで、誰かが置き忘れた海藻が、「人間のいない世界って、静かで、のんびりしていて、なんだかとっても気持ちいいなあ」と、ほんわかまったりと、たたずんでいる、というシュールなSFテイストの曲です。当時、聴いていて、無性に想像がかきたてられた作品。
『紀勢本線、各駅停車、南部の次の岩代駅の、ひと気のないホームの、古いベンチの上に、あたしはいるの。』

◆5.カントリーガール
作詞・作曲、谷山浩子。1980年の8thシングル(売上4.1万枚)。その後、1985年の10thアルバムで初のオリジナルベストアルバムである「眠れない夜のために」にピアノのみの伴奏によるシンプルな別バージョンを収録。さらに、1990年のベストアルバム「カントリーガール」でも、まったくアレンジの異なるポップな別バージョンが収録されています。シングル版では、歌詞が3番までですが、その後のバージョンでは、歌詞は4番までになっています。わたしとしては、最初のシングルのアレンジが、一番好きです。谷山さんの数ある曲の中でも、最も人気の高い純情派ラブソングです。
『にぎやかな都会の景色は変わる万華鏡。いつでも君を驚かせる七色プリズム。きみは、お古のスカート、恥じらうように、それでも瞳を輝かせて、街を歩いてたね。』

◆6.紙ひこうき
作詞・作曲、谷山浩子。1978年の4thアルバム「鏡の中のあなたへ」収録曲。この曲に表現されている感性も、「窓」と同様に非凡過ぎるものがあり、当時、その繊細な音楽性が周囲に理解されず苦しんだというのも、無理からぬ気がします。できれば、もう少し、贅肉を削いだシンプルで鋭いアレンジで、シングルカットされていたら、曲の知名度も、もうちょっと上がったのではないか、と思います。
「ファンタジーって、ただワクワク楽しいだけじゃなくて、時には、あまりに鋭く尖っていて、心の深いところに突き刺さる、こわくて痛くてドキドキさせられるものなんだな」と、初めて感じさせられた忘れられない曲です。ファンタジーだからこそ、リアルな感情を生々しく伝えられる、ということも、あると思うのです。
『飛んで行けよ、紙ひこうき。あの人の心に突き刺され。暗い宇宙を燃える銀河を、切り裂く、切り裂く、どこまでも。』

◆7.ねこの森には帰れない
作詞・作曲、谷山浩子。1977年の2ndアルバム「ねこの森には帰れない」収録曲。「おはようございますの帽子屋さん」と同様に、童話の中の〝不思議世界〟を、こっそり覗き見させてもらっているような感じのする、牧歌的でメルヘンタッチの曲。この曲も、谷山さんの代表曲の一つで、よくラジオや有線でかかる上、今でもコンサートで歌われるというのに、当時はシングルカットされなかったんですよね。
『ねこの森には帰れない。帰る道だって覚えてない。なくした夢は戻らない。』

◆8.May
作詞、谷山浩子。作曲、MAYUMI。1986年の19thシングル。1987年の13thアルバム「透明なサーカス」には別バージョンで収録。斉藤由貴さんへの提供曲(8thシングル/1986年/オリコン週間2位)。作中の主人公のときめく息遣いを感じるような、とてもかわいらしいラブソングです。当時は、斉藤由貴さんのバージョンがヒットしていました。けれども、この曲の歌い手としては、浩子さんが一枚上手という気がします。
『だけど、言えない。あなたが魔法をかけた、こんな秘密の庭の中では、どんな言葉も、みんなウソなの。』

◆9.てんぷら★さんらいず
作詞・作曲、谷山浩子。1981年の11thシングル。同年の7thアルバム「時の少女」に別バージョン収録。珍しくテンポの良い明るい元気な曲。
『午前五時の新宿駅、長いホームに散らばる、赤い朝陽を集めて、新鮮なところを、お鍋でカラリと。これがテンプラ★サンライズ。一度食べたら、もう帰れない。』
歌詞の意味不明さが、逆に心地よい。
わたしとしては、シンプルでキレのよいアルバム・バージョンの音が好きです。よく、「谷山さんの音楽は、プログレッシブ・ロックだ」と主張する人がいますが、初期の音の中でも、この曲や「テングサの歌」などは「そう言われれば、そうかな」とも感じますね。

◆10.夕暮れの街角で
作詞・作曲、谷山浩子。最初は1975年の2ndシングル「おはようございますの帽子屋さん」のB面に収録。その後、1980年に9thシングルとして新たなバージョンで発売されました。わたしは、この後のバージョンのリリカルな感じが好きです。この曲は、谷山さんの曲の中で、もっとも70年代の日本の空気感を捉えている名曲だと思います。行き詰まりの閉塞感、未来へのボンヤリとした不安、頼れるものを見出せない孤独感が生み出す、たまらなくせつない感覚に満ちた歌です。
『あなたにここで会えてよかった。知らない街はとても冷たい。わがままなわたしだけど、連れていってほしい。ひとりで生きるのは、とてもさみしいのです。』

◆11.風になれーみどりのために
作詞・作曲、谷山浩子。1983年の14thシングル。1984年の9thアルバム「水の中のライオン」により繊細で静かな別バージョン収録。さらに、1985年の10thアルバム「眠れない夜のために」ではピアノ弾き語りバージョンが収録されています。わたしは、明るく元気のよいシングル・バージョンが好きです。
『空にうつれ、水に響け、空気に染まれ、みどり。静かな腕に、力を込めて叩け、風のドラム。』
「自然を守れー!」みたいな曲。

◆12.土曜日のタマネギ
作詞、谷山浩子。作曲、亀井登志夫。1986年の12thアルバム「水玉時間」収録曲。斉藤由貴さんへの提供曲(6thシングル/1986年/アカペラ/オリコン週間6位)。
『さよなら、にんじん、ポテト。宇宙の果てへお帰り。』
おやすみ前の一曲にふさわしい。


わたしの知っている谷山さんの曲は、70年代から80年代半ばまでです。それ以降の曲は、まったく知りません。なので、この独断bestも、その時期までの谷山さん十代・二十代の頃の曲に集中しています。そして、できれば、なるべく重苦しくない、軽やかな曲調の明るい歌が聴きたくて、こういう選曲になりました。
「窓」「紙ひこうき」は、かなり暗く重苦しい雰囲気ですが、大好きな歌なので、外せません。あと「時の少女」はホラーですが、これも捨てがたい曲です。迷ったのは「河のほとりに(1977/売上9.6万枚)」と「夕暮れの街角で」(1975・1980)ですが、最終的に後者を選びました。選曲の基準は、歌としてのキレの良さです。
90年代以降の谷山さんのファンの方には、物足りないかもしれませんが、ご容赦を。
最後に、ファンタジーについて一言。ファンタジーとは、非現実的な絵空事の空想ではありません。アーシュラ・K・ル・グウィンも言っていたと思いますが、ファンタジーとは現実世界の表層の下に隠れている真実を表現する手段であり、一見無秩序に積み重なる事実の裏の真実の姿を浮き彫りにする技術なのです。谷山浩子さんは、そうしたファンタジーのエキスパートです。
しかし、最近は、ますますファンタジーを解さない人が増えていて、谷山さんの歌詞の意味もまともに汲み取れないという人も多くなっています。かと思うと、異常に難しく考えて、あり得ないような歌詞解釈を披露する人もいます。むかしは、ここまでトンチンカンな人は少なかったんじゃないかな。
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タイムリーではないが、去年の流行語大賞トップ10に入った匿名のネット上のつぶやき「保育園落ちた日本死ね!!!」について、ある程度、まとまったことを、どうしても書いておきたくなった。時節ハズレではあるが、論争に結論は出ていないようなので。
結局、流行語大賞選出擁護派と批判派の論争は、左翼vs右翼の思想対立の表出の場となり、また、野党vs与党の政争の道具となってしまった。本来であれば、政治哲学的に言えば、リベラルvsコミュニタリアンの論争となるはずだが、そうした哲学的議論の深まりはあまりみられないようだ。


例えば「マスコミ死ね!」という言葉を目にすれば、「その発言者は、マスコミ嫌いなのだろうな」と思う。あるいは「アメリカ死ね!」という言葉を吐く人は、相当なアメリカ嫌いだろうと感じる。同様に「日本死ね!」という言葉を使う人は、きっと日本が嫌いなのだろうと想像できる。
もちろん、個人が「日本死ね!」と表現するのは、憲法で保障されている「表現の自由」であり、国民の権利の一つだ。けれども、その言葉を流行語大賞に選ぶかどうかは、選者の良識が問われる。さらに、その選出の是非を論じる場合には、ますます個人の見識・教養が問題となるだろう。
「死ね!」というのは「死んで欲しい」という呪詛であり、同時に「殺す!」という意思の表現でもある。そうすると、「日本死ね!」は、「日本よ、お願いだから死んでくれ!」という呪詛であり、同時に「日本を殺してやる!」という意思表現でもあるということだ。
「日本」は、擬人化されてはいるが、本来は国である。国は死なない。正確には滅びるのだ。そうすると、「日本死ね!」は、「日本よ、滅びろ!」という呪詛であり、同時に「日本を滅ぼす!」という意思の表現とも受け取れる。
これが流行語大賞に選ばれるということは、アメリカ人が「アメリカ合衆国よ、滅びよ!(滅ぼすぞ!)」という言葉を選ぶのに等しい。あるいはフランス人が「フランス滅びろ!」を流行語に選ぶようなものである。そんな無残なことは、天地がひっくり返っても絶対に有り得ない。「自国よ、滅びるがいい!」そういう言葉を選出するのに賛同したら、どこの国でも「お前はテロリストか?」と言われるだろう。
本来、「日本(自国)」の中には、発言者本人も含まれるはずだ。ところが、奇妙なことに、この文脈では、発言者は、自己の存在のスタンスを自国の外に位置付けている。だから、たとえ「日本の行政府死ね」「日本の行政システム死ね」「日本の自民党政治死ね」の意味で使っている可能性はあっても、「日本死ね」というヘイト発言への賛同者は、「テロ予備軍(広義の)」と受け取られても不思議はない。海外であれば、当然そうなるだろう。
日本人が「日本死ね」と言うのは、天に向かって唾を吐くようなものだ。(特に、政治家であれば、なおさらだろう。)そんなバカな言葉を流行語大賞トップ10に選ぶのは、日本人ぐらいである。しかも、その表彰を、かりにも、ついこの間まで政権を担っていた政党(民進党)に所属する国会議員(山尾志桜里衆議院議員)が満面の笑みで受ける(発言者本人でもないのに)というのは、世界的に見ても前代未聞の珍事と言える。
それにしても、自国をdisる言動に対して、日本ほど寛容な国が他にあるだろうか。


次に、「保育園落ちた日本死ね!!!」を一文として考えると、「保育園落ちた」と「日本死ね!」の間に脈絡がなさすぎる。
ブログ本文の言葉だが、自分が活躍できないのは、本当に国のせいなのか。保育園の抽選に落ちたことで、 日本国民が日本の国を呪いたくなるとしたなら、家族を自国政府に虐殺されたシリアやイラクの国民は何と言って訴えればいいだろうか?
日本のようなまともな健康保険制度もない、世界の大多数の国々の国民は、満足な医療を受けられずに死んだ我が子の亡骸を抱きながら、その気持ちをどう表現すればいい?
日本のように憲法で生存権が保障されていないアメリカのホームレスは、親兄弟すら見捨てる生活保護者が手厚く政府に保護される日本人が「日本死ね」と叫ぶのを横目で見ながら、どんな言葉を叫べばいいのだ?
それでも、彼らは「イラク死ね」「シリア死ね」「アメリカ死ね」とは、決して言わないだろう。それを、なぜ、日本人はためらいなく言えるのか、それが問題だ。
この世界に理想の国など、どこにも存在しない。どこに住んでいても、多少の不満はあるだろう。改善すべき点を議論するのは大切だ。しかし、世界の中で、最も恵まれた国の一つで暮らしながら、それでも、その国を呪うなら、いったいどこの国に住めば満足なのだろうか。
とはいえ、止むに止まれぬ個人的な心情や情念を問題視するつもりはない。本人にとって切に辛いと訴えていることを、他人がとやかく言うことはできないからだ。また、その言動を、どのように受け止めるのも、個々人の感性の問題であるし、発言者本人の心情についても、他人が踏み込んであれこれ批判するのは、なかなか難しい。
例えば、もしも「『日本死ね』は、コンチクショーぐらいの自暴自棄の悪態の言葉だったのだ」と言われれば、それは、その通りなのだろうと思う。自分の気持ちを表現する言葉として、そういう汚い語彙を使いたければ、使うのは本人の自由だ。
また、「この文脈における『日本』は、日本のシステムや行政府や政権与党の政治家を指しているのであって、日本という国そのものや総体としての日本人を指しているわけではない」と発言者が主張するなら、それも、そうなんだろうとは思う。実際、ブログの文章は、そういう文脈で読める。その内容についての感想は、あえて述べないが、自分のブログに、どういう言葉を書き連ねようと、本人の自由ではある。(しかし、何度読んでも、好きになれない。)
けれども、その言葉を流行語大賞に選ぶとなると話が別だ。発言者本人はともかく、選者の方は、当然、厳しい批判にさらされてしかるべきだろう。また、この匿名の発言者のブログ本文を、政争の道具として利用した民進党は、その品位を疑われても仕方がないとは思う。


「ブログ本文が過激であったからこそ、この言葉が評判になって、お陰で保育園の数が増えた」というのは、お門違いだろう。保育園の待機児童の問題は、もっと多面的なものだ。
認可保育園の数は、少子化の中でも、ずっと一貫して地道に増え続けている。民主党時代よりも自民党政権になって予算も増えている。それでも、保育園が足りない最大の理由は、本来なら面倒を見れるはずの家族が、子どもの面倒を見ないこと、もう一つは、住民の反対で保育園の新設が難航していることだ。
経済力に余裕があり、健康で元気で暇な祖父母が、孫を預かるのを拒絶する。その割合が夥しい。「悠々自適に暮らす自分たちを煩わしてくれるな!」と。あるいは、近所に保育園が建設されるというと反対住民の先頭に立って建設を阻止する老人たち。「子どもの声がうるさい!」「迷惑施設はお断りだ!」「我々の老後の邪魔をするな!」と。こうした醜い日本人の姿を指して「醜悪な日本人は死ね!」と言うなら、まだ理解できる。
しかし、その場合は「保育園作れない、反対地域住民死ね!!!」「余裕があるのに孫を預からない、自己中祖父母死ね!!!」になるのではないだろうか。いずれにしても「保育園落ちた日本死ね!!!」はないだろう。この国を、より幸せな国にするために、命がけで頑張っている多くの日本人を、深く傷つけることになるかもしれないではないか。
子どもの側も、親兄弟親戚身内や友人や近所の人に向っては気兼ねして言いたいことも言えないのに、国に対しては言いたい放題というのは、やはり、どこかおかしい。同じ「呪う」なら、漠然とした国よりも、生身の親や個人に向って呪うべきだろう。国を呪うというのは、国土を呪い、祖先を呪い、神々を呪うことに通じる。それに比べたら、具体的に特定の個人を呪った方が、はるかにマシだし救いもある。例えば「日本死ね」よりも「子育て助けない親死ね」「兄弟死ね」「友人死ね」「近隣住民死ね」「安倍死ね」の方が、まだマシだということだ。
「個人を呪うのはマズイが、社会を呪うのは良い」とする意見があるが、わたしは逆だと思っている。対等な存在であるさまざまな個人を呪い続けたその先に、社会全体を呪うという感覚が生まれる。それは天を呪うのにも似ている。それを憚らないのは、完全無神論者の左翼ぐらいだろう。
「保育園落ちた日本死ね!!!」という表現を公に評価するのは、どう考えても感心しない。そして、その点で、わたしは俵万智さんの意見にはまったく賛同できない。もちろん、当時、同じく審査委員だった姜尚中さん、やくみつるさん、そして、リベラル論客の鳥越俊太郎さん、古市憲寿さんの評価にも、わたしは賛同しない。

*俵万智さんの意見⇨選出に賛成。確かに毒のある言葉だが、その毒が世の中を動かした。そこには言葉の力があった。本当は、そんな毒など必要のない世の中になって欲しい。(⇦こんな駄文の毒で世の中変わるなら苦労はない。)

*鳥越俊太郎さん(前年度までの審査員)の意見⇨選出に賛成。待機児童問題への政府や自治体の無策に、母親の怒りが爆発した。(⇦これほど口汚く罵るほど生活に困窮しているなら、生活保護を受けるべきだ。)

*やくみつるさんの意見⇨選出に賛成。この過激な言葉によって、待機児童問題の議論が広まったのだから、広い意味で流行語と言える。言葉が過激だからダメなんてことはない。(⇦過激なのではなく、品性のかけらもない文章だと言っているのだが。)

*古市憲寿さんの意見⇨選出に賛成。非難している人は、ブログの文章全体を読んでいない。読んでいたら、文句など言わないはずだ。実際、ブログは、多くの人の共感を呼んだ。(⇦このブログの文章に共感できる人がそれほど多いなら、この国も本当におしまいだ。)


最後に、発言者のブログ全文を読んで感じたこと、騒動全体を通して気になっていることを書いておく。
最悪なのは、自分が希薄な人間関係しかつくれないのを、すべて国や社会のせいにしてしまうことだ。至らない自分の生き方を省みることもせず、視点を社会システムや行政の問題にすり替えてしまう。内に目を向けることなく、外にばかり目が向く。リベラルに典型的な、そんな安易な責任転嫁に未来はない。
子どもをきちんと扱えない親や祖父母が、本当に増えた。人間同士の生身の濃密な関わりをいとう人も、ますます増えている。他人に必死にすがることも、頭を下げることもできない。互いに迷惑をかけあうことを、お互いさまと許しあえる度量もない。真剣に諭すことも諭されることもない。本音でぶつかりあうことも、ケンカすることもない。本気で叱ることも、叱られることもない。温かい心が通いあうこともない。そんな状態で、どうして信頼が生まれるだろうか。教育が成り立つだろうか。知恵が育つだろうか。
ともかく、人と人が繋がれない。人間関係が保てない。結婚も維持できないから、未婚の親や離婚した片親世帯ばかりが増える。貧しくても、二人で知恵を絞って、必死に頑張るということが、できないのだ。実の親との関係もよくない。それでも、働けば、生活はなんとか維持できる。だが、金を稼ぐためには、どうしても保育園は必要になる。
一方で、裕福な家庭の親たちは、育児や教育に関しては、金を払ってプロに任せるのが一番と思っている。そして、安い給料で必死に真心込めて働いている保育士を、「金を払っているから、やってもらって当然」と平気で顎でつかう。けれども、それは、見方を変えれば、一種の親の育児放棄ではないか。愛情を、お金に換えて、お金の力で育てても、子どもの心は育たない。
今の人の多くは、絆を結ぶことを知らない。与えられるだけで、与えることを知らないからだ。そして、それゆえ婚姻数が減り続け、少子化はとまらない。けれど、子どもは減っているのに、親の育児放棄のせいで、保育園は増やしても増やしても足りない。待機児童は減らない。
たとえ何不自由なく育っても、孤独で愛情を知らない子どもたちは、空虚な心を抱えた大人になっていく。しかし、これは行政府の無策のせいではない。もっと、根本的な欠如があるのだ。
その欠如を埋めるために、闇の中を手探りで、泥の中をはいつくばり、のたうちまわって生きているなら、本気で殺したいほど憎い相手の一人や二人、必ずいるものだ。人間一匹、必死で生きていれば、呪いたい相手もいるし、自分の運命を呪うこともあるだろう。それが当然だ。そういう時に、漠然と「日本(行政システムや政治)」に文句を言っている余裕などない。目の前の火の粉を払うのに精一杯で、責任転嫁や自己正当化などしていられない。
そもそも、子育ての問題は、根源的には、日本人一人一人の価値観や絆や生き方の問題であって、行政による社会システムの改善で、なんとかなる問題ではない。国が、子育て支援に、もっとお金を使えば、状況が好転するというものではないのだ。
この社会が変わっていくために、何より大切なことは、一人一人が自分自身の心を見つめることだ。人生にとって、何が一番大切なのか、よく考えてみて欲しい。
どんなに強がってみたところで、人間なんて独りでは脆いものだ。独りで生きていてはダメなのだ。誰かと寄り添って生きることができて、初めて自分の心の中の氷を溶かすことができる。「何が本当の幸せか?」を、日本人一人一人が、どれだけ真剣に考えられるかが、問われているのだと思う。


☪️それにしても、「5泊の観光で訪れた外国人旅行者の大学生が、ホテルに貼ってあった政府のプロパガンダ・ポスターを一枚盗んだだけで(帰国時にバッグに入れた靴が、金正恩の写真の載った新聞で包んであったのを、手荷物検査で咎められたため、という話もある)逮捕され、懲役15年というとんでもなく重い刑を宣告されただけでなく、でっち上げられた自白文をテレビの前で読まされ、刑務所に入れられた途端に、強制労働中の看守の拷問によって、数日中に意識不明の重体になり、1年半後に本国に送還されたものの、意識を取り戻すことなく帰国後数日で死亡する。」そんな仕打ちをする国に向かってさえ、「北朝鮮死ね!」とは言わないのに、かわりに、保育園の抽選に落ちたからといって「日本死ね!」になってしまうのは、なぜなのだろうか。
それに、こういうニュースを大々的に報じることなく、強く非難することもなく、その代わりに、小学校や大学の獣医学部の新設に内閣が関与したとかしないとかで、何ヶ月もの間、限られた報道時間の大部分を費やし続けるマスコミって、いったい何を考えているのだろう。

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昨今は、旅行で沖縄に来る中国人・韓国人が、ますます増えている。
本島北部の本部半島の「美ら海水族館」の近くで、民宿兼レストランを営んでいる中国人の女将さんが、韓国人の若い女性たちの食べ終えた夕食の後片付けをしながら、「やっぱり残している」と呟いた。
韓国人旅行者の3人の女の子たちは、楽しそうに食事をして帰ったばかりだったが、全員、どの料理も少しづつ皿に残していたのである。そのレストランの御主人(女将さんの夫)は、以前はロンドンで和洋折衷の創作料理を出して成功していたシェフの方なので、女将さんとしては、いたくプライドを傷つけられていたのだ。
やはり、料理というものは、洋の東西を問わず、美味しければペロリと平らげるもの。その点、日本人のお客さんは、いつも、みんな、出した料理を残さず食べてくれるので、とても行儀よく礼儀正しいと、女将さんは思っている。
一方、女将さんの故郷の上海では、主人は客人に食べきれないほど振る舞うのがマナーだが、一方で、客人は食べきれなかった料理を必ず折り詰めにして持ち帰るのがマナーである。せっかくの美味しい料理を決して無駄にはしない。
また、中国のマナーの基本は、相手の体面を潰さないことにあるので、主人は客人に対して「あなたは大切なお客さまです」と心底思っていることをアピールするために、食べきれないほど豪勢に料理を出し、一方で、お客は「あなたの振る舞ってくれた料理は本当に美味しいです」ということを示すために、出された料理の食べ残しは、必ず、すべて持ち帰るのだ。料理を家に持ち帰ることが、主人の顔を潰さないための最善の作法なのである。
ところが、韓国人の場合は、いつも、どのお客さんも、必ず、皿に料理を食べ残したまま帰ってしまう。それで、作った側は面目を潰され気分を害すことになる。その時も、「この人たちだけじゃないのよ、韓国の人は、どうしてだろうね、みんな、本当にマナーが悪い」と女将さんは首を振った。
そこで、「実は、韓国では、出された食事を、残さず、ぜんぶ平らげるのは、『まだ食べ足りない』という意思表示を示す悪い作法なんです」「逆に、どの料理も、少しづつ皿に残して食べ終えるのが、よいマナー」「少しづつ食べ残すことで、『もう食べきれません、本当に美味しかったです、素晴らしく豊かな食事にわたしは満足です』ということを示すんです」と説明すると、「ホント?」と言って、女将さんは笑い出した。韓国人の食べ残しが「美味しくない!不味くて食べられない!」という意味ではないと知って、とても喜んでいたのだ。
このように、互いの文化(マナー)の違いに気づかず、相手の意思表現を誤解して、相互不信に陥る例は数多い。どんなに距離的に近いと言っても、やはり、文化の違いはなかなか侮れないものである。
韓国では、中国同様に客人には食べきれないほどの料理を振る舞うのが主人のマナーだが、中国と違って、客人はそれを食べ残して帰る。そうすると、結局、韓国人の会食の後には、大量の食べ残しが出て、やむなく捨てられることになる。これは、食べ物を捨てるのを〝もったいない〟と感じる日本人や中国人には納得がいかない。
ともかく、見栄のためには、食べ物まで粗末にする、韓国人の〝ミエの文化〟は筋金入りである。こうして、韓国全土で、毎日、大量の食べ残しが無駄に捨てられているのだ。
ただ、中国・韓国と違って、大盤振る舞いする感覚がほとんどなく、主人が客人に、ほんの軽食しか出さないとか、お茶しか出さないという対応が、一部日本人の間(内地)では一般的である。そんな内地のケチ臭い貧相な感覚は、沖縄県民にとっても、まったく納得がいかない。中国人や韓国人が「馬鹿にされているのでは?」「自分は相当軽く見られてるのでは?」と疑心暗鬼になるのも無理はない。
実際、自分が奢られたり、ご馳走されるときは、当然のようにその手厚い歓待楽しみながら、いざ、自分が相手を迎える段になると、とても話にならないような貧相な迎え方をする日本人は少なくない。貧乏だから、というわけではない。お金はあっても、他人のためには出そうとしない、ただのケチである。
およそ、どこの国の国民だろうと、大盤振る舞いされて、気分を害する人はいない。それは、マナーの問題というよりも、むしろ、気持ちの問題ではないだろうか。もともと東アジア一帯の特徴だった〝情〟を大切にする文化が失われていくのは、本当に寂しいものである。
この点に関しては、わたしは中国人の情の厚さが、好ましく感じられる。日本人も、学ぶべきではないだろうか。東京オリンピックも近いというのに「日本のおもてなしの心って、そんなもんですか?」と外国人に言われたら、おしまいだ。


🌃日韓友好の架け橋たらんとして努力を続け、通算12年間韓国に住み、流暢な韓国語を話し、韓国の大学でも教授として教え、韓国政府から勲章まで授与された、武藤正敏・元駐韓日本大使の著書「韓国人に生まれなくてよかった」が、韓国では大きな話題を呼んでいる。
朴槿恵大統領を引きずり下ろし、文在寅政権を成立させた、韓国国民の現状に強い危機感を抱き、批判や反発は覚悟の上で書いたのだと氏は述べている。「韓国は韓国人のものであり、今日の韓国を作り上げたのは、韓国人自身の努力によるのだ」「韓国の未来は韓国人が作っていくのだから、今の現状への不満を誰かのせいにしてはいけない」と言うのが氏のメッセージである。
この心からの苦言を受け止める度量があるのなら、韓国の未来も開けるのだろうが、残念ながらそういう気配は微塵も感じられない。シンシアリー氏が韓国を捨てたのも、その絶望からだろう。
「日本もまた、日本人のものであり、今日の日本を作り上げたのは日本人自身の努力による」「日本の未来もまた日本人自身が作っていくのだから、現状への不満を誰かのせいにしてはいけない」「これは、あなた自身の生き方の問題なのだ」と、我国のサヨク・ネトウヨ諸氏にも言いたい。
自分自身の内面の不満を、外の世界に反映させ、外的理由に転嫁し、不信と闘争の神に心を支配されて、無残な人生を生きるのは、本人の勝手ではあるが、それによって攻撃や呪詛の対象となる相手は、たまったものではない。また、その騒動が、国を混乱させ、その理不尽な怒りや見当違いの嘆きが、国政の方向をあやまらせるのは、すべての国民を不幸に巻き込む、恐るべき脅威である。
また、吉田清治氏の息子のように、父親の狂った所業のために苦しみ続け、少しでもその誤りを是正しようと努力し続けることを強いられる子孫もいる。彼は、父親が韓国に建てた〝妄想〟謝罪碑を取り壊そうと試みているが、韓国が国を挙げて拒んでいるために、その悲願を果たせずにいる。今回も、謝罪碑の碑文の上から慰霊碑文を貼り付けた行為によって、韓国では逮捕状が出る騒ぎになっている。韓国側は、正義の人吉田清治の息子が、日本軍国主義に洗脳されて、極右勢力に取り込まれたとみている。しかし、吉田清治氏の済州島での〝慰安婦狩り〟証言が、まったくの嘘であったことには決して触れない。自分にとって都合の悪い相手側の主張は、たとえ真実であっても、徹底的に無視していいと考えるのが、韓国人の常識だからです。
一方で、日本のマスコミ、特に朝日新聞は、なぜこれを一切報道しないのか。こうした彼らの無責任な態度に、韓国社会との親和性を見ることができる。同時に、報道機関の誤った報道と反省のなさが、末代まで祟る例がここにある、と感じる。
いま、保育園や幼稚園の保母さん、小中高等学校の先生など、教育関係者に、精神を病む人が増えています。そうでなくとも、疲れやストレスをうったえたり、アレルギーや慢性病に悩んだり、体調を崩しやすい人が多いようです。
よく、人ごみの中で気分が悪くなる人がいます。俗に〝人に酔う〟とも言いますね。それは、たくさんの人の思念の渦に取巻かれて、それらの思念を意図せず取り込んでしまい、無意識の領域が蝕まれることによって生じると考えられます。
最近の親子関係の相剋がもたらす強烈な思念・想念の歪みは、大人の想像以上に子どもたちの無意識を蝕んでいるのかもしれません。すでに、親の世代自体が、思念の渦に巻かれて成長し、無意識の底に強固な魂魄を抱え込んでしまっているので、子どもの自然な成長を促す力を失っているのだと思います。
そのしわ寄せが、学校や保育園に覆いかぶさってきているのです。子どもたちが10人以上集まると、そこに生じる負の波動は、大人1人の力で浄化できる範囲を、はるかに超えることも多いでしょう。「一体、私に何をしろと言うんだ!」と言いたくもなります。特に、霊的に過敏な人にとっては、思念の波動を身に受けるのは、とても辛いことです。時に、その苦痛は耐えられないものになることもあるはずです。
子供にとっても、その環境は劣悪ですが、親子で密着している家庭内よりは、教室は、まだしもラクかもしれません。あるいは、家庭が〝お菓子の家〟か〝無菌室〟状態で、教室が〝ジャングル〟か〝戦場〟のように感じる子もいるでしょう。そして、教室内では、さまざまな葛藤や軋轢が生じ、生徒にも、胃潰瘍やアレルギーや鬱やイジメによる自殺などが起こってきます。
そういう過酷な教育の現場では、ヒーラーの素質のある人などは、かえって、すぐに疲労困憊してしまいます。そうして、良心的で誠実な良い先生から力尽きて辞めていき、鈍感で保身意識に凝り固まった先生たちだけが、イジメの横行する病的な雰囲気の教室の中で、平気で威張り腐って授業を続けるようになるのです。
けれども、それは、元を正せば、先生たちの人間的な質の問題というよりも、むしろ、生徒たち一人一人の家庭環境というか、親子関係を背景とした思念の奔流が生み出す環境弊害の面が大きいのです。特に、わたしの経験では、親や祖父母が教師や公務員だったり、医師や銀行員だったりと、立派な職業の方の子どもや孫に限って、問題の根が深いという気がします。


それでも、結果として、学校の中では、ひたすら保身に勤しむ教条的で真実味のない先生たちしか生き残れないというのも確かです。
このような〝事なかれ主義〟の傲慢極まりない無神経な教師たちは、茨城県取手市の市教委や藤代南中学校及び「いじめ調査第三者委員会(通称やらせ第三者委)」の関係者にも数多くいるのではないでしょうか。中央官庁の文部省に対しては、猫に睨まれたネズミ並みに弱く従順でありながら、一方で、打ちひしがれているいじめ被害者の家族に対しては、猛々しい虎のように無慈悲に獰猛に振る舞う連中です。特に、取手市教委教育長(矢作進氏)がヒドイ。大津・出水に始まって、どこを見渡しても、教育長にはろくな人間がいないという気がします。
昔、灰谷健次郎さんが、「教師を落第してから、自分は少しマシな人間になれた気がする」とおっしゃっていましたが、正しい言葉ではないかと思います。林竹二先生も、1980年代に日本の教育の崩壊を心配なさっていらっしゃいました。
そもそも、まともな教育が行われていないのが、今の学校の現実であるならば、そこで高く評価される〝よい教師〟になることは、実に大変恐ろしいことです。現代の学校現場で、〝良い教師〟と見做されるようになるのは、あるいは〝人間失格の教師〟になるということかもしれません。
ですから、みなさん。もしも教師を目指すのなら、お願いですから、是非とも最低の〝落第教師〟になってください。落第教師になるというのは、あなた自身の中の〝良い子〟の殻を破るということです。もう〝良い子〟でいるのはやめましょう。教師のあなたが〝良い子〟のままでいると、子供たちが、生徒が救われないのです。
あなたは、ある程度、経済的に恵まれた、教育熱心な良い家庭に育ち、これまで、真面目に手堅く、安全に計画的に、敷かれたレールの上を歩くように生きてきたかもしれません。けれども、さあ、いいかげんに〝良い子〟は卒業しましょう。そして、これからは〝不良教師〟になってください。自分の成績を気にせず、決められた作業やノルマを頑張らないで、人の心をゆっくりとみつめる怠け者のぐうたら教師になってください。
この国のために、どうか、どうか、お願いします。


自殺というのは、大人にとっても、子供にとっても、〝諦め〟の結果であると同時に、〝問いかけ〟の究極的表現でもあるのです。そして、その問いは、生きている者すべてに、激しく突きつけられます。
「いま、あなたは、何を感じていますか?」「この死を、この心を、どれほど、重く捉えていますか?」「そもそも、何かを感じているのですか?」と。
細やかに、心の底の底まで理解されることで、人ははじめて救われる(成仏できる)のですから。そして、その理解の第一歩は、事実を事実として認めるところから始まるのです。



*茨城県取手市藤代南中学校のイジメ自殺問題に関する補足として記す。ところで、教員というのは基本的に政治的左派が多いと思うのだが、しかし、ここまで明け透けに弱者を強圧的に黙らせ、権威に卑屈におもねる、呆れるほど権威主義的で保身的な人々が、「庶民のため、弱者のための政治」を、建前上、表面的には求めているのかと思うと、何か悪夢のような冗談としか感じられない。
彼らの左翼思想からは、朝鮮の『事大主義』に通じる腐臭が感じられる。その共通点は、自己の立場を守るための極端な正統性・正当性の重視である。しかも、もともと本質的・内面的には正統性・正当性がまったく認められない自己の立場を、無理やり守ろうとして『事大(建前上、表面上の正統的権威)』にしがみつくところが、本当によく似ている。
例えば、「いじめは認められない」とする見解が、彼らの自己正当性の柱であり、それを守るために、〝やらせ第三者委員会〟まで組織して真実を隠蔽しようとしたわけだ。しかし、彼らの認める最大の権威である文部科学省が彼らの正当性を否定すると、その権威に即座に従うことで、自己の正統性だけは守ろうとする。すべては自分の保身のためである。
その我欲に支配された心の内では、他者を思いやる心など、とうに打ち捨てられて久しい。その人を人と思わぬ姿勢を非難すれば、傲岸不遜な冷たい怒りが返ってくる。彼らにつける薬はない。