長男、二十歳。 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

1999年10月27日午前5時46分、身長50.2cm体重2806gで生まれた長男が二十歳になった。

 

 
乳児の頃からアトピーだ、貧血だ。薬で便秘になるわで、やれ今日はうどん何本食べた。やれ今日はご飯何粒食べた。そんなことで一喜一憂した子育てだった。肺炎だ、気管支炎だ。何度一緒に入院したことだろう。ローマ郊外での長女と3人での子育てもしんどかった。辛くて何度泣いたことだろう。当時夫はミラノ勤務。友達もおらずこもり気味だった。今では考えられない生活。
 
ミラノに移り、長男の小学校時代は空手週2、野球週2、カテキズモに補習校。本人が好きでやっていたことだから、もちろん本人が弱音を吐くことはなかった。
 
それにしても、子供達の学校はそれぞれ違ったり、登下校の時間が違ったりで、朝から2往復したり、午後もバールで時間を潰したり、常に徒歩圏内、バスで30分以内で動ける範囲だったとはいえ、本当に動きっぱなしの日々だった。今思えばよくやっていたなあと思う。あの頃の自分を褒めてあげたくなる。あの頃の頑張っていた自分が今の自分を支えてると言っても過言ではないだろう。
 
しかし、同じように子供を育てていても、育ち方は三人三様。思春期の親や社会に対する反抗も三人三様。直接当られるのもしんどいが、長男のように直接は当たらないものの、留年したり成績不振、自分に甘く優柔不断なのも非常にしんどい。なんでこうなっちゃったんだ?親、特に母親の私を責める人も多い。
 
先日ももう日本でも成人となるのだから、義務教育でない学校へ行く気がないのなら、辞めて仕事を始め、もうこの家を出て行きなさい!と言った。もう援助もしない。すべて自己責任だ、と。怒っておきながら、なんでわからないかな...と情けなることも多いが、彼の小さかった頃の写真を見ると本当に可愛かったと思うし、大事に思った気持ちを忘れずにいたいと思う。
 
あっという間の20年。まだまだ甘いし、多分もっと先にならないと、また痛い目に合わないとわからない物事も多いと思うが、射った弓は飛んで行った。後は天のあの方にお任せしよう。母はただ祈るのみ。