会をつぶすために | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、ある教会のホームページを読んでいたら、そこの司祭のメッセージが非常に興味深く、過去のバックナンバーまでも読み耽ってしまった。すると、はっとして、目を疑ってしまうタイトルに出逢った。

 

「会をつぶすために」

 

えっどういうこと?と思った。ここのところ「N党」の「NHKをぶっ壊す」、とか「人生つぶす」、教師いじめの「クラスをつぶしたれ」発言などなど、聞き捨てならない言葉ばかり目にし、耳にする。

 

それは、その司祭が、ある雑誌で、ベルギーの看護師の会の機関誌に載っていたものだと言う。それが、教会にも当てはまるところがたくさんあるのでは?という提議だったのだ。

 

内容としては、


①集会に参加しないこと。

②参加しても・・・必ず遅れること。
③会の責任者を批判すること。
④責任を取らないこと。やるよりも批判した方が簡単だからです。
⑤責任のある役に選ばれない時、気を悪くすること。選ばれたら何もしないこと。
⑥意見を聞かれたら、いつも「別にない」と答えること。
⑦自分自身は会の活動に協力しないが、時間と労力を惜しまずに捧げる人に対して、

“見栄のためにやっている”と言うこと。
⑧会費を納めないこと。
⑨会に参加する新しい人に無関心であること。
⑩会の機関誌を面白くないと言って読まないで、そこに何も書かない、意見を述べない、よくするための忠告もしないこと。

 

数項目は当てはまらないものの、あれっこれって私?と思ったから驚いたし、恥ずかしくなった。地元教会に対する私の態度そのものだ。

 

一時は、奉仕することに喜びを感じていた時期もあったのだが、荒れたオラトリオでのボランティアに喜びを見出せない。司祭の態度にも絶望し、関係性の改善を求めたけれど、変化なし。それでは、距離を置き、私自身も頭を冷やし、考えが変わるかと思ったが、地域の問題、何度も直面した危険...とても戻る気になれなくなり、ミサにあずかり聖歌隊活動はしているものの、信徒会役員に名前が浮上してもとんでもない!と声を大きく拒否し、食事会にも出なくなった。サルヴィーニの反移民政策も、時に仕方ないよな...と思うことさえある。地域的な問題かもしれないが、あまりにも移民の事件が多いので、いい加減辟易している。

 

自分自身、自分の教区教会に対し心を閉ざしているのはよく理解している。ここでは自分が外国人でありながら、一定の外国人に対し寛容性というか忍耐がないのも非常に自覚している。私の行為は「教会をつぶす」ことなのだろうなあと思う。

 

上記、人生やらクラスをつぶす発言をしている人を、どういう人間なのだ?!と思いつつ自分を棚に上げて批判しているのだから、どういうこっちゃ?!と思う。

 

カテキズモを受けている最終学年の子どもたちがこの時期、堅信の秘蹟を受ける。今週末も一人友人のお子さんが堅信を受けるので、カードを購入した。炎や鳩を描いたきれいなカードで、そのカードに書かれていた言葉が、聖霊の賜物といわれている。そこには、知恵、理解、判断、勇気、知識、神を知る恵み、神を愛し敬う心という7つの言葉が書かれ、7つの賜物を私たちもいただいているのだ。

 

この聖霊の導きと熱意を持って頑張らねば...!と思った限りである。