サンタ・クロースの話 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

イタリア語でサンタ・クロースは「バッボ・ナターレ」という。 
「バッボ」はトスカーナ弁で「お父さん」。「ナターレ」は「クリスマス」。(NataleはうまれれるNascereの過去・過去分詞、形容詞形のNato,誕生、出生から派生・・・)国によって呼び方が様々だが、一般的にサンタ・クロースに関しては、グリーンランド説、フィンランド説とあるが、「サンタ=聖」「クロース=ニコラオス」を探してみると、実在する聖人なのだ。 

「ニコラオス」の名はギリシア語表記。ラテン語ではニコラウス。イタリア語、スペイン語、フランス語ではサン・ニコラ。ロシア語ではニコライ。 

4世紀頃の東ローマ帝国・小アジア(今のトルコのあたり)のミラという所に、ニコラという司教がいた。「ある日ニコラは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。この逸話が由来となり、「夜中に煙突から家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタ・クロースの伝承が生まれている。 

ちなみに、このニコラス司祭は、白い長いひげを生やし、常に赤い服を着ていたそうだ。(別にコカ・コーラの宣伝効果とは関係ない!)1087年12月6日「聖人」に列聖された。(ミラの二コラ) 

その後、どういった因縁があったのか、よくわからないが、聖二コラの遺体はイタリアのバリに移され聖二コラ教会が建てられた。バリの聖人はもちろん、聖二コラであるが、「ミラの二コラ」とは呼ばれず「バリの二コラ」と呼ばれている。 

今では、よい子にプレゼントを運んでくるといわれるサンタさん。 
イタリアでは、子供がサンタさんあてに、何が欲しいか手紙を書く習慣があるが、日本の場合は、親が子どものほしいものをさりげなくリサーチするのかしら?いずれにしても、ひそかに買いに行き、クリスマスイブには気づかれないようにそっと枕元、またはクリスマス・ツリーの元へプレゼントを置き、翌朝目を輝かせる我が子を見るの・・・これまた、幸せな風景だろうか。 

我が家は、長男は10月末生まれ。次男は12月のはじめ。(親の都合で)サンタさんは、誕生日プレゼントとクリスマスは1つにまとめて持ってくる・・・と小さい頃から言っている。笑 大体、8歳くらいでサンタさんの招待に気づくだろうか。笑 次男に関しては微妙。とはいえ、「今年は僕は、ノータ(学校からの注意書き)を沢山もらってるからレガーロ(プレゼント)は来ないって知ってるよ」とふてくされ気味。 

・・・とはいえ、イタリアの子供も、日本の子供もあまりにも豊かだと思う。物があふれ、それでいて大切にしない光景を沢山みかける。特にDSやPSPなんて大嫌い。時間さえ守ってくれればいいものの、やり始めると、きりがなくなってしまう。 

マザー・テレサはおっしゃっている。 
「私達は忙しすぎます。ほほえみを交わすひまさえありません。ほほえみ、ふれあいを忘れた人がいます。これはとても大きな貧困です」 

「本当の飢えは、インドやアフリカのような第三世界にありません。本当の飢えは、ニューヨークや東京にあります。だれからも受け入れられず、だれからも愛されず必要とされない悲しみ、これこそ本当の飢えなのです。」 

「人は一切れのパンではなく、愛に、小さなほほえみに、飢えているのです。愛を与え、愛をうけとることをしらない人は、貧しい人の中でも、もっとも貧しい人なのです。 


日本には、このように「飢えている」「もっとも貧しい」人がたくさんいるかもしれない。 

家庭に「愛」を。 
どうか、このクリスマス、だれもが、家庭に「愛」をもたらすサンタ・クロースになれますように。