『君が代』斉唱。
先日、あるブログで腹が立つ記事が載っていた。
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冒頭の国歌斉唱の際、不起立教員がいたという。
さすがに、こちらでは、それはなかったんじゃないだろうか。
皆、蚊が鳴くような歌声だったが、とりあえず歌っていた様子。
ただ、国旗が無かったような気がする。あれは、毎年掲揚されていたのだろうか記憶にない。
ただ、ぺちゃくちゃ話す、児童・生徒、そして保護者が多い事に、毎年腹が立つ。イタリアでは、こうやって人の話をきく機会なんて、多分教会の説教くらいしかないんじゃないだろうか?だから、人の話が聞けないなんて事はいいわけにはならない。なんといっても、聞こえてくるのは、保護者のイタリア語。ありゃ、本当に腹立つわ。不謹慎極まりない。
普段、入学式、卒業式というと、長男が両脇の友人とぺちゃくちゃおしゃべりするのが見え、咳払いをしたりして気付かないか?とイライラさせられるが、今年は卒業生で一番前の席だったし、端の席で、在ミラノ日本国総領事をはじめ、在ミラノ日本人学校の校長の近くだったので、さすがにそれは無かった。けれど、次男がやはり落ち着きなく動いているのが見えたが、何気に後を向いたら、私と目があっちゃったからさー大変。私が口に人差し指をあてにらみ、そして拳骨のジェスチャーをすると、それきり静かになった。ははは・・・威嚇が必要。
ところで、校長先生からの祝辞では、京都、龍安寺にある“つくばい”のデザインとなっている『吾唯足知』(われただたることをしる)を紹介された。足るを知る。
【知足の者は賤しとも雖も富めり 不知足の者は富めりと雖も賤し】
「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」ということ。なんか、聖書にも似たような言葉があったような・・・いずれにしても、この満足することを知るということは幸せに生きる為には、とても大切な事なんだと思う。そして、何よりも『感謝』すること。
総領事や日本人学校の校長先生からの祝辞にも、親に感謝しようとあったっけ。
中3と高3の答辞では、『お父さん、お母さん有難う』といっていた。やっぱり涙が出てきた。私が学校に通っていたとき、両親に感謝しただろうか?6年生の長男の通知表にも評価のほかに、『ご両親を大切にしてくださいね』とかかれておりびっくり。
入学式や、卒業式に時間をかけるのならば、授業の時間に回して欲しい、という保護者が以前いたが、やはり日本の学校のやり方で、人の話をきき、言葉を味わい、心に刻み込む・・・そういった儀式はやはり必要だろう。
知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにして、他人を思いやる利他の行いができる人間になれますように、と願ういい卒業式だった。(しかし、私語はいかん!)
↓の曲を、補習校の校長先生を初め5名の先生方が歌ってくださいました。感動でした。
http://www.youtube.com/watch?v=Nz0V7XGLKj4&feature=related