憂鬱症のペンギンと暮らす、売れない短編小説家の物語。
ペンギンの憂鬱
アンドレイ・クルコフ 著
沼野恭子 訳
新調クレストブックス
- ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)/新潮社
- ¥2,160
- Amazon.co.jp
これは、面白いです。
でも絶対、内容を知らないで読んだ方が面白い!
本の帯の紹介文も、背表紙にあれこれ書かれている解説も、何も見ずに先入観なしで読んでもらいたいです。
「憂鬱症のペンギンと暮らす、売れない短編小説家の物語なんだな、とだけ、認識して。
なので、あまり詳しくは書かないように気を付けないと。。。
カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』みたいに
(あの作品とは、中身は全然違いますけどね)
可愛いペンギンのミーシャの描写でも、引用しておきましょう。
ミーシャは主人を見て喜んだ。ヴィクトルが家に入って電気をつけたら、もう廊下に立っていた。
「ただいま、ミーシャ!」しゃがんでペンギンの目を覗きこんだ。
ミーシャが微笑んだように思った。
本当にその目は喜びできらめいていたし、ぎこちない足取りで一歩、主人のほうへ歩み寄った。
「この世で俺を待っててくれる人がだれかいればなあ!」とヴィクトルは思った。
立ちあがり、コートを脱いで奥に入った。ペンギンがペタペタあとを追ってくる。
(32ページ)
物語の舞台は、ソ連崩壊後のウクライナ。
短編小説家のヴィクトルは、首都キエフでペンギンと二人で暮らしています。
以前には恋人と同居していたときもあったけれど、彼女たちは皆、長くは居付かず、彼の元を去ってしまうようでした。
「せめて一編でもいいから中編小説を書きあげるまで一緒にいてくれればいいのに、ミューズたちはどういうわけか、2DKのアパートにじっとしていてくれない。長めの小説が書けないのはそれが原因だ。」
と、ヴィクトルは考えています。
ところが、新聞社から追悼記事を書く仕事の依頼を受けてから、ヴィクトルの周りにはさまざまな人が現れ、いくつかの奇妙な出来事に巻き込まれていくようになります。
ヴィクトルは一人きり(正確には、ペンギンと二人きり)ではなくなるのですが、そこで、孤独ってなんだろう、人との繋がりってなんだろうと、私は考えてしまいました。
人と人は、友情で繋がったり、愛情で繋がったり、血縁で繋がったり、義理で、依存で、思いやりで繋がったり。
自然環境下では集団行動を取るペンギンが、ヴィクトルのアパートでは自由ではあるけれど独りきりで、人間は人間で、誰かと繋がりたいのに一人だったり、繋がっていても独りであると感じたり。
国家や社会からは、繋がることを求められたり。
積極的に何かと繋がるということは、積極的に繋がらない何かを排除することにはならないのだろうか。
。。。とストーリーからは反れ思索に耽ってしまいましたが、個性的でとても面白い小説でした
続編、『カタツムリの法則』も、読んでみようと思います
…まだ翻訳が出ていなかったです…。