読む前までは、まったく読みたくなんかなかったのです。



Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選


レイモンド・カーヴァー 著

村上春樹 編・訳

中公文庫


Carver’s dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)/中央公論社
¥700
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レイモンド・カーヴァーは、私にとって全然興味のない作家でした。

ところが、とある必要に迫られて(別の読書記事にて書きます)、しぶしぶ手に取った、という次第なのです。


というのも、学生の頃に一度、村上春樹が大好きな作家だからという理由で試してみて、これとは別の短編集で2、3編読んでみたものの、まるで良さがわからなかった過去があるから。

いったい何を書いているのかも、どこが面白いのかも、彼のどこがそんなに「いい」のかも、少しもわからなかったのです。


それなのに今読んでみたら、理解できたと自信を持っては言えないものの、何がいいのかはとてもよくわかりました。

少しは大人になったということなのでしょうか。



主に描かれているのは、アメリカの労働者階級の、普通の人たち。

失業者だったり、療養所に滞在中のアル中だったりもします。


彼らが生きて行く中で、何かを失ったり、すれ違ったり、孤独に陥ったり、時に自分を見失ったりする。

そういう彼らの日常の一部を拡大して描きながら、痛みや満たされないものを描きながら、人生は素晴らしいものだ、善きものだ、なんてメッセージはもちろん出てこない。


ただ、ページの裏側から、「でも、生きてるだろ?」と、カーヴァーの静かな声が聞こえてくるような気がするのです。




一編ごとに、村上春樹が解説を付けています。

この解説がまた良くて、カーヴァーへの愛、想い、作品への深い洞察がとても興味深い。


なぜか物語の直前に置かれているので、右ページの村上さんのありがたいお言葉を視界から排除しつつ、左ページの一行目から読み始める必要がありました。

読者にもよると思うのですが、読む前から、これはこんなお話だ、これはカーヴァーのマスターピースだ、こんなところが素晴らしい、云々、なんて知りたくなくって。

私は一編読み終えてから、お言葉に戻るようにしていました。


村上さんの言葉は、時に理解を助けてくれて、時に彼の言いたいことを言いたいように言っていて、これまた味で面白いです。

ひとつ、抜粋。

これは理解を助けてくれなかったけど笑面白かった例。

どの短編についてなのかは、伏せておきます。



ここに収められたカーヴァーの作品の中では、雰囲気的にいちばん難解なものだろう。もちろん難解と言っても、読み進むのに苦労するという種類のものではない。すらすらと読める。でも読み終わったあとで、思わず腕を組んで考え込んでしまうのだ。少なくとも僕はずいぶん考え込んでしまった。「ミニマリスト」と呼ばれた頃のカーヴァーの作品で、カーヴァー自身はその呼び名を嫌っていたし、現在では彼をミニマリストと呼ぶ人もほとんどいないが、この作品では作者はたしかに「そぎ落として放り出す」というミニマリズムの領域に片足半くらいは突っ込んでいる。そしてその作業に成功している。最後のあたりの絶妙な「隙間芸」にご注目を。まああまり深く考え込まないように。



解説の中には、小説家ならではの視点を伺えるものもあり、新鮮ですありがちなキラキラ



短編集『頼むから静かにしてくれ』に収められている。訳者の個人的に好きな作品のひとつである。カーヴァーはよく「アメリカのチェーホフ」と称されるが、この作品にはどちらかというとカフカ的な雰囲気が色濃く漂っているようだ。短い話の中でいろんなミステリアスなことが起こるが、それらは結局説明されないし、解決もされない。それらはただそこに存在するだけである。そして主人公は最後に「奇妙だ」と呟く。こういう話はできるだけ平明な言葉を使い、必要な細部を拡大しながらしかも修飾を捨てて書くのがコツなのだが、カーヴァーはここでその見事なお手本を示している。



村上さんは時々文章を音楽に例えることがあるけれど、彼が編んだこの短編集自体が、ひとつの楽曲のような仕上がりになっています。


静かに、ぽつぽつとした奇妙な音たちから始まり。

時に不吉な音階を奏で。

時にがらっと転調して。

クライマックスに向け、静かに勢いを増していき。

そしていっそう静かに、静かに終わる。


各短編の配置も絶妙で、カーヴァーへの愛情や使命感のようなものも、ひしひしと伝わってきました。


そうしてめでたく一人のカーヴァーファンが新たに誕生しましたので、これからせっせと、他の著作を読んでいこうと思いますキラキラ