ねじまき鳥クロニクル


村上春樹 著

新潮文庫


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)/新潮社
¥680
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数年ぶりに読み返しました。

ブロガーさんが、「夏になると読みたくなる」と書かれているのを読んだら、私もそういえばと、読みたくなりましたflower*


消えた妻を探し求める物語。

その過程で、奇妙な人々や事件に巻き込まれていきます。

 


なぜか心に残っている、主人公の妻クミコの台詞を引用します。

ふたりが初めてデートをしたとき。

場所は水族館。



「でもね、さっきじっとクラゲを見ているうちに、私はふとこう思ったの。私たちがこうして目にしている光景というのは、世界のほんの一部にすぎないんだってね。私たちは習慣的にこれが世界だと思っているわけだけれど、本当はそうじゃないの。本当の世界はもっと暗くて、深いところにあるし、その大半がクラゲみたいなもので占められているのよ。私たちはそれを忘れてしまっているだけなのよ。そう思わない?


地球の表面の三分の二は海だし、私たちが肉眼で見ることのできるのは海面というただの皮膚にすぎないのよ。その皮膚の下に本当にどんなものがあるのか、私たちはほとんど何も知らない」



私たちは、ほとんど何も知らない。

他の人のことも、よく知らない。

歴史のことも、よく知らない。(戦時中のエピソードが作中に頻繁に描かれます)

ねじまき鳥なんて、その姿さえ見たことがない。


ただひとつ出来るのは、想像することくらいです。

理解しようとすること。他者を、自身を?



ブロガーさんの記事で、村上作品に何度も登場していた「井戸」(本作でも主人公が何度も井戸の底へ下ります)が「イド」であり、精神分析学の用語であり、無意識のことであると知り。

検索すると、「人格構造に関する基本的概念。人間が生まれつき持っている無意識の本能的衝動、欲求など精神的エネルギーの源泉」とな。


無意識とは、自我とは…、主人公が井戸に下りることにより、208号室へ行けた意味とは…と考え出すと、まだよくまとまらないのが実際です。


何度読んでもよくわからない小説。

でも何かが心に残る。

何かちょっとでも、得るものがあるから、読み終えた後に心に小さく居座るものがあるから、何度も手に取ってしまうのですね。



笠原メイが語る、心温まるアヒルのヒトたちのエピソード、私も好きですありがちなキラキラ

池に氷が張る季節になると、アヒルたちは足が滑って、氷の上でこけてしりもちをついたりしちゃうんだそうです。


「まじめに一生けんめい生活していて、しかもひょっとコケちゃうんだな。そういうのってすてきよね」


すべてのアヒルのヒトたちに、幸多からんことをあひる



ねじまき鳥は沢山の謎を残して終わりますが、私がいちばんもやもやしているのが、主人公があの部屋で最後に格闘した相手は誰(何)だったのか? ということです。

皆さんはいかがお考えでしょうか?

姿を見ようとするのを、なんでクミコが止めたのか。。。

結局、ワタヤノボルとは何だったのか。。。


あぁ、もやもや笑汗

また数年後にせっせと読み返しちゃうのかなぁ星