高慢と偏見


オースティン 著

小尾芙佐 訳

光文社古典新訳文庫


高慢と偏見(上) (光文社古典新訳文庫)/ジェイン オースティン
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高慢と偏見(下) (光文社古典新訳文庫)/ジェイン オースティン
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初オースティンでした。

地主階級に生まれたエリザベスとその姉妹の、恋愛そして結婚をめぐるお話りぼん



物語の主人公エリザベスの父親は、地主であってもそれほど裕福な家庭ではなく、さらに息子が生まれませんでした。

当時の慣習によって、屋敷や土地などの財産は娘たちではなく親戚の男子が継いでしまうので、娘たちには何も残りません。

両親は、娘たちをお金を持った良い結婚相手のもとへ、早々に「嫁ける」(これ、「かたづける」とルビが振ってあります。片付ける!)必要があるのです。


そんな時代と状況下のお話。

今の日本とは、結婚の重要性が違うのですよね。

今はもちろん、結婚しなくても生きて行けるし。自分で稼げばよいし。

でもこの時代(19世紀)のこの階級(解説によればエリザベスの家は上層中産階級、アッパー・ミドル・クラスとのこと)の女性たちは働いてお金を稼ぐ身分ではないため、結婚は死活問題です。


エリザベスの友人、シャーロットの考えは、こんな感じ。



(前略)はたしかに賢くもなく好ましい人物でもない。彼とのつきあいは退屈きわまりないし、自分に寄せる愛情も幻想に相違ない。だがそれでも彼は自分の夫になる。男性や結婚生活に憧れているわけではないけれど、結婚こそがシャーロットの目標だった。教養は豊かでもわずかな財産しかもたぬ若い女性にとって、結婚は唯一ひとに恥じることのない生活の糧であり、幸せになれるかどうかは不確かにしても、飢えを免れるもっとも好ましい手段なのである。

(上巻223-224ページ)



理想の結婚相手というものは、確かに現実を見ると変わっていくのですよね~。

かつてやっぱりイケメンがいいと主張していた私の友人は、今では、安定した会社員がいいありがちなキラキラと、会話にイケメンのイの字もたったの一度も登場しなくなりました。



エリザベスは、愛情ではなく利益を優先した友人のこの選択を、「友が自らを辱め、その品格を貶めた」とまで評し、「自ら選んだ運命のもとでは、ほどほどの幸せすら得られるはずはないという切ない確信」まで抱いています。

まぁ、確かにこの結婚相手(著者はかなり痛烈に描いています)では無理もありませんが、でもこの批判の一部はエリザベスの偏見から生まれるところもあるのかなとも思います。


この物語はエリザベスの視点で進行するので、エリザベスが感じるダーシー氏の「高慢」はよく伝わるけど、彼女自身の「偏見」は、彼女が自覚するまでは読者もなかなか気付かないのですよね。

再読するときには、そこも楽しんでみたいなありがちなキラキラ

エリザベスのレンズを通さないシャーロットも、その際には見ていきたいです。

彼女、なかなか鋭い発言をしているんですよね星



エリザベスは、この時代の中では先進的な女性であり、はっきりと意志を主張し、自分の信じるものを信じて生きて行きます。

思い込みが激しく、少し直情的な性格ではありますが、知的で、ユーモアがあり、魅力的な女性でもあります。

(ユーモアのセンスは父親似ですよね! あの一風変わった父、面白くて好きです)


彼女が人生の流れの中で、何を選ぶのか、どう行動するのか。

そんなところを楽しんで読めるストーリーですd.heart*

どうゴールインするのか?(できるのか?)は、読んでのお楽しみs.heart**



個性的過ぎる個性的なキャラクターが沢山登場し、著者やエリザベスの彼らに対する皮肉やユーモアもふんだんで、人物描写が面白い作品でもあります。

(著者は、エリザベスに対しても時折皮肉を効かせることを忘れてはいません星


物語の最初から最後まで、全く変化しない人物(例えば、強烈なエリザベスの母親! あれはエリザベスとジェインにいたく同情します)もいれば、エリザベスやダーシーのように、変わっていく人達もいる。


人間は誰しも欠点はあるけれど、それを認め、認め合い、乗り越えて、より広い視野を得たときに、そこにはハッピー・エンドがありましたwing.right*

(もちろん、それが世間的に認められる範囲の常識的欠点(?)であるなら、ですけれど)




相手の欠点は認め、でも自分自身の欠点は甘えず直していきたいものです。

私にはいくつかの欠点が確かにあるけど、でも「高慢」と「偏見」だけはないかな~と思っていましたが、実はあるのかもと、ぎくりともしました。

自戒の意味も込めて、妹メアリの言葉を引用。

高慢というのはね、と彼女は語ります。



「(前略)たしかにだれにでもある弱点で、人間は高慢になりやすい性質なのね。なにか特別な資質のようなものがあるとすると、それが本物だろうと思い込みだろうと、そのためにたいていのひとが自惚れという感情を心に育んでしまうのね。虚栄心と自尊心は違うものなのよ、よく同じ意味に使われているけど。虚栄心はなくとも自尊心の高いひとはいるわ。自尊心というのは、わたしたちが自分をどう見るかということだし、虚栄心というのは他人に自分をどう見てもらいたいかということでしょ」

(上巻38ページ)



この感覚は頭に刻み込んで、ぴろっと小さな付箋を貼っておこうと思いますありがちなキラキラ



虚栄心や自尊心って、海外文学によく登場しますよね。

普段はあまり意識していない概念だけど。。。

自尊心とは、自分の人格を大切にする気持ち、とのことですwing.right*

虚栄心は、自分を実際以上によく見せようとるする心wing.right*


海外の小説で、母親が娘の虚栄心を取り除こうと努力する姿があったなぁと、ふと思い出しました。

そういえば、私が子供の頃に周りの目を気にしていると、母親によく「自意識過剰よ」と一刀両断されたことも、思い出しました笑


自分の意識の持ち方さえよくわかっていない私が、今後娘をどうやって諭すのかしら。。。

やっぱり、育児は育自なのだなぁかぜ




なんだかすごく文学から脱線して、思ったままつらつらと書いてしまいましが汗

オースティン、いろいろと考えさせられ面白かったので、『エマ』や『分別と多感』も、読んでみようと思いますuresii*

映画も観たいなぁd.heart*


そういえば、『ブリジット・ジョーンズの日記』が、『高慢と偏見』の現代版ともいえる、と解説にありました。

そうだったのか。

ブリジット・ジョーンズも面白かったから、また観返したくなりました1heart*



次は誰の訳で読もうかな。

amazonのレビューを見ていたら、どの訳も賛否両論なので、ええいままよと新訳の小尾さんのにしてしまいました。

女性の作家に女性の翻訳家というのも、いいかなとs.heart**

柔らかい文章でとても読みやすかったけど、昔っぽい格調高い雰囲気の訳でも読んでみたいです♪*