自分をあきらめるにはまだ早い 手塚真輝 著

「自分をあきらめるにはまだ早い」


ディスカヴァー・トゥエンティワン社より発売中!!

ISBN-10: 4887596804

ISBN-13: 978-4887596801


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2015-09-22 20:46:45

DISMALAND(ディズマランド)

テーマ:ブログ





ディズマランドへ。


陰気と憂鬱と前置きがありながら、行く人はみんなウキウキ。
11時入場の僕等は10時半に並び始めたが、前にも後ろにも大行列。
でも、笑顔だらけ。



入口にはダンボールで作ったセキュリティゲードと、センサー。

係員には厳しく睨まれ、数人に1人は横に連れ出し怒られる。


園内に入って、パンフレットを渡す係員も数人に1人には渡さずに下に落とす。



そして灰色、茶色が殆どのディズマランドの全貌が面前に。

自然と笑顔になる。ワクワクする。写真に収めたくなる。


皮肉ったとか、パロったとか、そんな単純な腹落ちは一回もない。

でも、深く考えなければいけないというプレッシャーもない。



展示室の作品達は、ダミアンハーストを初め見応え満載。


外のアトラクションは、絶対取れない、しかも取れても景品は紙というアヒルすくいとか、過去の体感や経験からくる楽しみ方の予測を、全て覆す。


大人がショボい観覧車やメリーゴーランドで満面の笑み。


係員達は陰気と憂鬱を演出しているが、それは前提の承知の上での「陰気と憂鬱」であって、こちら側は全く不愉快ではない。



このランドには陰気も憂鬱も存在していない。



テーマパークや人がたくさん集まるところには、誰かしらイライラしている人を見かける。
係員と揉めてる人、連れと意見が合わない人、子供に手を焼いてる人、、、

ここには、誰もがある意味テーマパークとしての要素を期待しないで来ているからか、そんな人は1人もいなかった。


だから、本来のみんなが笑顔になるテーマパークとして成り立ってしまっているのだと思う。



一つ一つの作品について深く考えなきゃ。みたいなプレッシャーがあるアートって、こういう入口でいいと思う。

ミーハーと言われようと、僕はバンクシーを益々好きになった。


心が躍る。心が騒ぐ。


心が色付いた。


ランドに見える色は、黒、茶色、灰色、そんな色ばかりの場所で、僕の心は色付いた。



現代アートって第三者として観て楽しめるものなんてないと思う。自分が参加して初めて自分の中で作品になる。


でも、物事や、事象って「当事者」であるか、そうでないかの差が何よりも大きな差。

子供の頃の兎に角何でもやりたい触りたい気持ちを、今もこれからも大事にしたい。


ロンドンから往復6時間も苦にならない。貴重な時間になった。





追記

絶対取れない射的で、僕はネックレスのヘッドをピンポイントで落とした。たぶんランドのミスでヘッドとチェーンが外れてたんだと。最初は勿論無愛想で人間味のない係員はそれをくれなかったが、あとでコソッとウインクしてヘッドをくれた。
けけけけけ。



dismaland

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2015-08-03 16:29:36

君の膵臓をたべたい 

テーマ:ブログ

「君の膵臓をたべたい」住野よる


活発で可愛くて人気者の女の子の、死に向かう絶望に反する明るさという切なさ。
読書好きで友達を作ったことのない排他的男の子の、人の心に初めて気付くという、前向きさ。


帯にある「最後40ページは涙が止まらない」というフレコミや、この「不良が雨の中捨て犬に傘を立てかけて帰る」的な、逆説の設定で、読み始め10ページで最後が想像出来た。


読書好きを恥ずかしながらも公言している自分としては、この本について感想を述べることはセンスを疑われてしまうのではと思うが、この読み始めの「舐めてしまった」ことに対する自戒を込めて感想を書く。


というか、そんなFBに感想を書くことに言い訳をしている時点で、僕自身この主人公の男の子のように正反対の主人公の女子に憧れている側の閉鎖的なかっこつけしいなのだろう。


正直ストーリーは予想通りだし、泣かすポイントも水戸黄門的。

でも、僕は舐めていたからこそ、展開に目が向いていたからこそ、この男の子と女の子の心の変化が純粋に入ってきた。


正反対の人から教わることで変化する自分の心。

純文学のようにわかりづらく行動の変化で読み取るような行間を読むということはせずとも、この男の子は自己分析を丁寧にしてくれているのだ。


一行一行丁寧で、情景と織り交ぜて・・・なんて上品ではなくケータイ小説のように淡々と進んでいくが、この男の子の心の変化は手に取るようにわかり、それが成長だと途中から、男の子も僕らも感じるのだ。



今の子はカテゴライズ欲求が強いのかもしれない。いや、今でも昔でもそうだったかもしれない。

それが今は顕著に初対面だろうが会ったことがない人だろうが、必ず名札を付けられてしまう。


でも人にはカテゴライズ出来るけど、

「関係にはカテゴライズしない」

というのは物凄い現代的だと思うし、僕はずっとそう思ってきたし、そう言ってきた。



正反対だと思っていて最後にシンクロする作りもアッパレ。


映画でも小説でも、辻仁成「サヨナライツカ」的な答え合わせ反芻パターンは好き。

君の膵臓を食べたいの真意の腑に落ち具合は西野カナの歌詞に共感を得てる軟弱男子は読むべし。


読後は、朝井リョウの「何者」の今への希望感と、

「サヨナライツカ」の心の焦燥感を同時に得られた感じ。



純文学的難しい本を読まなくても、こういう読みやすい本から読書の楽しさを知っていけばいいように思う。


君の膵臓をたべたい。レクター博士のようなコメントだが、読後は、

僕も膵臓を食べたい。膵臓を食べたいという価値観を大事にしたい。



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2015-05-10 19:05:28

サッカーが超えた民族の壁。

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ボスニア・ヘルツェゴビナは歌舞伎町と似ている。


90年代のボスニア紛争って、急に明日から関東と関西と外国人が敵同士に殺し合いを始めたみたいな感じだったのかな。って思う。


ボスニア紛争から20年。


民族、宗教、更に一度殺し合ってしまった関係。


取り戻せない時間と、変えられないアイデンティティ。


でも、みんな同じ人間で、同じところに住んでいるわけで。


民族と宗教のごちゃまぜ感は、数年前ボスニアを訪れた時、その後イスラエルを訪れた時、正直頭では理解出来なかった。無理やり理屈で整理して片付けることは出来ただろうが、あえてしなかった。


ずっと考えていくことなんだろうと思った。だから今も整理出来ていないし、正直何もわからない。


でも、日本人として僕らが持っている「当たり前」を、これからも大事にするべきものなのだろうか?


自分が大事だと思ってきたことが本当に大事なものなのか?


グローバルな今考えなければいけないように思う。





ボスニアを知っていくことが、僕ら日本人が触れてこなかった人間が持っている心の話に触れることの近道なのかもしれない。


「サッカーが超えた民族の壁」著森田太郎


15年前20歳そこらの青年が紛争後のボスニアでサッカーを通じて民族の壁を越えようとした話。

素直な子供たち。傷を負った大人たち。「日本人だから出来るんだよ」と言われた著者の疎外感。


日中関係だって日韓関係だって、僕らは「?」で、敢えて疎外ぶるしかない。


疎外ぶるのは別にいいし、偉そうに意見を言う必要も別にない。

でも40才を迎える僕らは、「?」では、ここで生まれた意味すらわからないで死んでいくことになる。



「教養の強要」というのをミッションステートメントに入れているが、それは決して机に向かって勉強しろということではない。自分の心の幅を広くする為、人の心の幅を広くする為だ。


僕らは感情に深く関わって生きている。そして歌舞伎町という寛容な街で生きている。


その素晴らしさを知ること、人間の感情に深く関わって生きていく上で


ボスニアを知ることは繋がっていくように思う。



もっと人間について考えたいと思う。








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