自分をあきらめるにはまだ早い

自分をあきらめるにはまだ早い 手塚真輝 著

「自分をあきらめるにはまだ早い」


ディスカヴァー・トゥエンティワン社より発売中!!

ISBN-10: 4887596804

ISBN-13: 978-4887596801


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愚行録の解説に対しての愚行録。

「愚行録 」貫井徳郎 読了。
巻末の大矢博子さんの解説が素晴らしい。
なので本の感想ではなく、解説の感想です。

 

「他人を語ることは自分を語ることに他ならない」...
「自分が見透かされていることに気付かず滔々と他者の評価をしてみせる証言者達こそが愚かなのである」
「悪なら断罪出来る。非なら糾弾出来る、しかし愚かであることは、、、ただただ哀しい」

 

小説はある夫婦の輪郭をずっと描き続けているので、読み手の想像力と創造力も必要な小説。正解はないという人物像を模索しながら、しかし何となく抱いていた全編のモヤモヤしていたイメージを、わずか6ページでスッキリ腹落ちさせてくれた。

 

長々と主観で小説をこねくり回すような解説や、説明を付け加えるような解説、著者の心情を読むという、小説とは別のスパイスを付け加えるような解説より、シンプルでとても良い。

 

大矢さん自身も書いている通り、この解説を書くことは非常に難しかったのだと思う。だからこそ絞り出したシンプルな言葉が並んだのだと思う。

 

 

 

最近、自分の「存在と当為の混合」について考えていた。

部下を持つ立場からか自然と何に関しても「当為」的に考えてしまう癖がついていた。だからARTなど、当為に至らない存在を感じる時間が心地よく感じていたのだろう。

この愚行録も証言者それぞれの当為を語っている。そして、それを愚行と指し示し、纏めたものを愚行録であるということを、解説で教えてくれた。

 

正に存在の提示だった。

 

財務部に、この間自分の言葉が上手くまとまらず声を荒げてしまったが、伝えたかったことは、こういうことだ。

財務部には是非読んで貰って存在ということについて丁寧に捉えて、優しく扱って各事業部へ当為を促すようにして貰いたい。

 

酒を飲んで当為を語るのはいいが、それよりも先ず我々は存在をしっかり理解することが先だ。

 

暇潰しのエンタメ小説の解説で、経営と倫理について考えさせられることになるとは。

 

人生は面白い。

2017香港旅行3日目

3日目

前日の疲れが抜けず、ズルズルと1日が始まる。不整脈が辛い。ホテルを大陸側の中心地へ移動し、観光地的マーケットと、エリックの地元的案内とで街ブラ。

 

夜はちょっと高級中華へ。スコットランド人も合流してたのだが、中村俊輔を知らずショック。僕は革ジャンでも寒いのに彼はティシャツ。アングロサクソンが世界を支配出来た訳がわかる。

 

その後はDJAPAという大金持ちがアートコレクションを展示しているバーへ。系列が数軒あるのだが、何億もする作品がいくつも飾られている。是非日本でもゾゾタウンのような方々に今すぐやって貰いたい。

 

街ブラしながら飲みながらホテルへ。

 

そして最終日。
街ブラし、屋台で不味い麺を食べて、飛行機が2時間も遅れてロビーで寝て、飛行機の中でこれを書いている。

 

短い期間だったし、そこまでディープな旅でもなかったが、随分楽しかった。期待度が低かったせいもあるかもしれないが、やはり初日すぐに心が解放されたのが大きかったように思う。

 

大体僕は旅に出ても数日間は頭と心は東京のまま。数日間はどうにも勿体無い使い方をしてきたマイトリップライフだった。

 

初日の解放によって普段より長い旅感を得られたように感じる。

 

 

そういえばカメラは、やはり見つからなかった。しかし3日目の食事中に丁寧な文章と共に、防犯カメラの映像が「飲んでる最中」「店を出る時」「出た後」と、小分けに丁寧に、そして静止画でカメラを丸で囲んで送ってきてくれた。レイはカメラを持ってバーを出ていたのだ。

 

思い込んでいたのだ。失くすとしたらあそこだと。そして奴らはパクると。

 

モンパチが頭に流れる。

「人に優しくされた時自分の小ささを知りました。。」

 

約20年前バリ島で、海の家の幼稚園位の娘さんがミサンガを巻いてくれた。バリ島では当時よくあったのだ。巻いてからお金を請求されるのだ。普段は断るのだが、その海の家を利用しているし邪険にして雰囲気悪くするのもなーと思い、この時は受け入れた。

 

ミサンガ代は請求されなかった。帰り、乗り込んだ車で流れていたのが、この曲だった。

 

「人に優しくされた時、自分の小ささを知りました」

 

 

20年経っても変わらない自分の小ささを知った旅でした。ちゃんちゃん。

2017香港旅行2日目

2日目。

昼頃起きてロビーへ。
オーシャンビューを眺めるレイを発見。
「最悪です。俺昨日のバーにカメラ忘れちゃいました」

昨日もどうでもない景色を楽しそうにパシャパシャ健気に撮っていたカメラ。そのカメラは買ったばかりで、新宿でも嬉しそうにカメラを買ったことを僕に話していた。

バーの名前などわからない。しかもあんな胡散臭い店。ある訳がない。一応後程行く事にしたが。

 

かなりの高額のカメラを失くしたのに、「めっちゃショックー」と笑いながら話すレイ。

おそらく宝物だったカメラを失くして意気消沈の筈なのに旅の雰囲気を悪くしない様に気を使って落ち込み具合を1ミリも見せない。

 

しかし余りにもいつも通りなので、お前あんまりショックじゃないだろ?って聞いたら「メッチャ落ち込んでますよ!だって落ち込んでたら皆んなもつまらなくなるじゃないですか!」と。ただの能天気では全然なかった。反省。

 

今日は太古にある不思議な雑居ビルを先ずは目指す。地下鉄を乗り継いで香港島の西にある太古の街へ。

トランスフォーマー2の舞台にもなった九龍城を少しだけ彷彿させるような、どでかい雑居ビル。ほぼロの字のような作りは、空洞の中から見上げると止まっている滝の真下にいるような圧倒感と、刑務所の壁の高さって物理的な高さではなく精神的な高さなんだろうなと思わせるようなちょっと恐いような圧迫感。

 

ビルの最上階まで階段で上がり屋上で一休みしてから、迷宮のような住宅棟をジグザグに降りていく。何世帯あるのだうか。1000世帯以上は余裕であるように思う。無造作に干されている洗濯物や薄暗い廊下はスラム的な雰囲気を一瞬醸し出しているが、住民は至って普通な方々。

 

不動産価格が高い香港では、中流階級の人々が住む所なのだそう。一階には食品、生活雑貨が買える市場があったり、床屋やマッサージなど充実。駅も近く、要素で考えるとかなり住み心地も良さそう。

 

住民らと混じり食堂で香港料理を食べて、香港島の北側を東西に走るトラムという路線電車に乗って、途中フラッと降りて歩いたりしながら中心地へ戻る。

 

期待は殆どしていないレイがカメラを忘れたバーへ。

昨日とは違う店員だったが、彼も彼でよくいる胡散臭い感じ。カメラはない。しかし状況は把握してくれたのか、防犯カメラをチェックして連絡する。と。ライン交換はしたが、そんな態度すらもこいつが持ってるんじゃないか?という誤魔化し態度にしか見えない。

 

その後、再びアートバーゼルへ。
2日目でもやっぱり心が躍った。不思議なものだ。

 

夜は香港人のエリックと合流して、彼のアテンドで山の頂上へ。霧で夜景はあまり見えなかった。カクテルではなく紹興酒と中華なので、バブルさはあまりなかったが。

昨日に引き続き蘭桂坊へ歩く。エリックの地元状況説明バンバンで、昨日とは違う景色。なんでもストーリーはあるものだ。へー!へー!と香港文化に触れる。

行きがかりにバブルが出来るバーへ。夜景とカクテルとサックス&DJ。
ミッションコンプリート。

 

その後は、イベントがある小さなクラブへ。良い音。エリックが飲む飲む。飲ます飲ます。皆泥酔酩酊。朝までワチャワチャしてホテルへ。久々に吐いた。

 

2日目終了。

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