コルトレーン/ジョン・コルトレーン | スロウ・ボートのジャズ日誌

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ジャズを聴き始めて早30年以上。これまで集めてきた作品に改めて耳を傾け、レビューを書いていきたいと考えています。1人のファンとして、作品の歴史的な価値や話題性よりも、どれだけ「聴き応えがあるか」にこだわっていきます。


岩波新書で少し前に出た

「コルトレーン~ジャズの殉教者~」(藤岡靖洋著)

を読みました。


帯には「決定的評伝」という文字が。

実際、長年ジャズを聴いてきた私も知らなかった

ジョン・コルトレーン(ts,ss)の経歴と、

彼を取り巻く社会情勢が描かれていました。


印象的だったのは、コルトレーンと

人種差別反対運動とのつながりでした。

この本でも指摘されていますが、

コルトレーンには声高に黒人に対する

差別を訴えてきた、という感じがありません。

他のミュージシャンなら、マックス・ローチ(ds)の

「ウィ・インシスト」に代表される

「プロテスト・アルバム」があるのですが。


藤岡さんによると、コルトレーンは

「静かなる抵抗」をしていたというのです。

明確に抗議の声を上げたりはしないものの、

取り上げる曲などを通じて、

秘かに「抵抗の意志」を示していたのだと。

その一つがデビュー・アルバム「コルトレーン」に

収められた「バカイ」なのだそうです。


「バカイ」はアラビア語で「叫び」を意味します。

作曲者のキャルヴィン・マッシーは

人種差別でリンチを受けて殺された

黒人少年を悼み、この曲を書いたということです。

コルトレーンは、そんな曲をデビュー作の冒頭に置き、

人種差別に抗議していたのです。


私はずいぶん前に「コルトレーン」を入手していましたが、

「バカイ」という曲のことを覚えていませんでした。

それほど「さりげない」曲ですし、

ましてや「怒り」を感じてもいませんでした。

それよりも有名なバラッド「コートにすみれを」に

耳を傾けていたのが正直なところです。


今回、聴き直すにあたって、

発売時の英文ライナーをチェックしてみました。

批評家アイラ・ギトラーが書いており、

「バカイ」が「叫び」を意味するという記述はありましたが、

リンチ事件については一切触れていませんでした。

1957年の録音時、人種差別問題に正面切って迫るのは

なかなか大変なことだったのでしょうし、

売り上げにもプラスにはならなかったのだと推察します。


その後、晩年のコルトレーンは「黒人社会の建設」に

関心を持つようになります。

亡くなったのはデビュー作録音から

わずか10年後の1967年。

短い間に時代は大きく動き、

コルトレーンも活動をより前衛的なものに

していた頃のことでした。


私はコルトレーンが亡くなる前、「アフリカ」や「宇宙」に

傾倒していったことが今ひとつ不可解でした。

しかし、その音楽が社会情勢や黒人としてのルーツに

影響されていたことを知ると、頷けるものがあります。


それでは、コルトレーンのリーダーとしての

第一歩を聴いてみましょう。


1957年5月31日、

ルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで録音。


John Coltrane(ts)

Johnnie Splawn(tp)

Sahib Shihab(bs)

Red Garland(p)

Paul Chambers(b)

Albert Heath(ds)

Mal Waldron(p)


①Bakai

サヒブ・シハブによるバリトンで

緊張感のある低音が連続して打ち出される中、

テナーとトランペットがメロディを奏でます。

マイナー調で、エキゾチックな雰囲気もある

メロディ部分には、「怒り」があまり感じられません。

まず、レッド・ガーランドのピアノ・ソロ。

これは、いつもの饒舌な彼と比べると、

やや淡々とした演奏です。

ブルージーで、フレーズを一つ一つ

「置いていく」ようなプレイ。

曲の背景を知ると、少し抑えたのかな?とも思います。

続いてコルトレーンのソロ。

スタイルを完成させつつある頃の演奏だけに、

音に自信があります。

細かいフレーズを連続させるスピーディなプレイも快調で、

ここから黒人少年への哀悼の意を聴きとるのは

なかなか難しいものがあります。

ただ、いま振り返ると、

大っぴらに人種差別を訴えることが難しい時代の中で、

確信を込めてメッセージを発していたことが分かってきます。

初期のコルトレーン、入魂のプレイの一つと言って良いでしょう。


感性の鋭いアーティストであればあるほど、

時代と深く関わり、その思いを自分の表現へと昇華させていきます。

コルトレーンは生涯、激しく自らのスタイルを変えて

「時代への答え」を追い求めました。


原発事故以後、価値観が揺れ動く日本。

今後、アーティストが新しい時代感覚を

働かせるのではないかという予感があります。

あくまで私見ですが、「正義」とは何かが

問い直される気がしますし、

それを表現する芸術が出てくると思います。