織部先生の手にした、処置のためのはずのハサミがキラリと光る。
冷たい光沢を放つそれを――――
――――特にどうするともなく机に置いて。
「チサちゃん」
「はい」
「チサちゃん」
「? はい」
「……チサちゃん?」
「…………」
何をしているのだろうこの人は。
まるで私が返事をすることそのものを楽しんでいるかのように、何度も名前を呼んでいる。
奇妙な雰囲気に緊張感も薄れてくる。
私の名前をどうして知っているのかという疑念も、こうも連呼されると調子が乱される気分だ。
「ご、ごめんなさいね。……えーと、あなたがあのチサちゃん、で合ってるのよね?」
私が浮かべた訝しげな表情に、織部先生はすぐ気づいたらしい。
少し照れたように微笑みながら、そう聞いてきた。
「”あの”って……。はい、本名は千紗季ですけど……」
「あっそうなんだ! 里穂ちゃんや有希ちゃんがそう呼んでたからそれが名前だと思ってた」
なんだ、と一人で納得する。
あくまで名前を知っていただけで、私のことを知っていたわけじゃないのだ。
そうだ。私はともかく、里穂と有希は何度も織部先生と話をしているはずだ。
その中で私の話題が上がって、それを先生が聞くこともあっただろう。
決しておかしな話じゃない。
そう思い始めると、急に力が抜けてきた。
張り詰めていると思っていた空気はどうやら私の思い込みで、そしてそれは私が思っていた以上に心を圧迫していたらしい。
勘違いが解けてうんうん、と一人で頷いて笑う織部先生がどこか可笑しくて、自然と緊張が緩むような気持ちだった。
「そういう織部先生は、下の名前なんていうんですか?」
そう聞いてしまってから――――しまったと思う。
決して踏み込むまい、私から何もすまいと決めていたはずなのに。
抑えていたはずの感情が、わずかな油断の隙に言葉となって出てしまった。
織部。
オリベ。
その3文字には、私の知りたかった答えは存在しない。
あくまで3文字の中には、だ。それならきっと……
織部先生はくすりと笑って――――
「ミルイ、よ。美しい涙と書いて美涙。織部美涙(おりべみるい)、それが私の名前」
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