【本】李世民(上・下) | はれ、ときどきフロンターレ

はれ、ときどきフロンターレ

北海道から川崎に移住したのをきっかけに、Jリーグ・川崎フロンターレを応援するようになりました。


李世民 (上) 玄武篇 (日経文芸文庫)
李世民 (下) 貞観篇 (日経文芸文庫)



久しぶりに長編を読んでました。
最近はどうしても本が読めるほど体力にゆとりがない状態が続いていたので、なかなか読めていないのですが…
(悪天候で本がびしょ濡れになるのが嫌だというのもありますが)


読んだのは、塚本靑史の『李世民』。7世紀の中国・唐の太宗のお話。
上下の2冊組で、前半は隋の末期から「玄武門の変」まで、後半は即位からその最期までという内容を扱っていました。

作者は、この李世民のことを「隋の煬帝と同じようだ」といっています。しかし、「煬帝は悪だと描かれるのに対して、この人が善に扱われるのか…カラクリがあった」というコメントをしていて、ものすごく気になっていました。

確かに共通点はありまして…
次男坊だし、兄弟を殺して皇太子になってるし。
無意識に父親をマインドコントロールさせるような発言をしているし。
自己プロデュースという部分においては秀でているといえます。
しかし、最終的には…というのはいうまでもなく。

作者の言う「カラクリ」の理由については、話の中であるので敢えて言わないが、中国史について多少の知識があるなら想像はつくと思います。
(これは他の歴史書についてもいえるけど)
つまり、正当性を保つためにはやらざる得ない方法をとったといえるのです。


それと同時に、歴史は繰り返されるというけれど。
隋末期の「桃李の子」という言葉と。
物語の終盤に出てくる「女武王」という言葉。
これらの言葉によって、物語の展開につながっていきます。



(「そういうオチか!!!」というのは内緒ですが)











※余談ですが。
物語に出てくる「桃李の子」といえば、松坂桃李もこの「桃李」という字を使っているので思わず反応してしまったのですが。
本人の話によると、『史記』の「桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれども、したおのづからこみちをなす)」という言葉が由来だそうです。
ちなみにこの言葉の意味は、「徳望のある人のもとへは人が自然に集まること」ということです。


松坂桃李 カレンダー 2015年