モノローグと台詞の違い | 交心空間

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◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇

 FMシアター『モモと見た夢』(作・大山淳子)を聴いて、まず感じたのは
「ほとんど受賞原稿のままでいったか……」でした。まあ、あれだけのモノロ
ーグ分量を改訂するとなると、演出を担当するディレクターにも書き手(受賞
者)にも相当の勇気と技量が必要です。その意味からすると、「それで受賞し
たのだから」の理由で微量の改訂にとどめたのかも知れません。
 審査員の中でも私がモノローグを一番否定しておきながら、それを上回る別
理由(発想ユニークさと構成力)で、この作品をイチオシした張本人としては、
恥ずかしい限りですが、それでヨシとしましょう。これもコンクールと放送の
現実かな……。


 ところで放送の感想を水本爽涼さんからいただきました。
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☆拝聴しました☆(水本爽涼さんより・2008年2月17日書き込み)
 昨夜、NHK・FMにて「モモと見た夢」を拝聴させて戴きました。私ども
素人目(この場合は、素人耳ですが^0^)には、聴いておりますと、なかな
かドラマの展開を楽しみにさせる、いい作品に思えてしまったのですが、先生
が仰せのように、モノローグに終始した展開でしたから、これを第三者から描
いたドラマ構成にすれば、妻と夫、そしてモモというキャラクターが浮き出て、
また違った作品になったのかも知れませんね。しかし、こういった、いい番組
がFMであることを知り、拝聴できたことは、小説を書く私にとって大変うれ
しいことでした。
 番組案内をして戴きまして、有り難うございました。
       【記事:FMシアター『モモと見た夢』のコメントより転記】
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水本爽涼 歳時記 (水本爽涼さんのブログ)


 確かにこの作品を台詞主体(できればモノローグなし)にしたら、水本さん
のいうようにキャラクターも浮き出たでしょう。同感です。特に主人公である
鈴子の「白昼夢性」だけでなく「切迫感(真に迫る切実な思い)」も一層出せ
たでしょう。
 ただ一点、コメントをいただきながら別論を唱えておきます。「これを第三
者から描いたドラマ構成にすれば……」とありますが、私は、モノローグが第
三者的(客観的)描き方で、台詞で描くのが主観的と捉えています。
 つまり人物自身の気持ちを淡々と綴るモノローグは、自分(人物)を別のと
ころから眺めて、その感情を代弁的に伝える『語る』わけですから「第三者的
描写」になります。一方台詞は、人物が自分の感情を「しゃべり言葉」に乗せ
て伝え『訴え』ます。当然観聴きする側も臨場感があり、より沁みるわけです。
台詞こそが「それぞれの人物主観」で描いた、本当のドラマの世界と信じてい
ます。(悪しからず)