25時のメール | 交心空間

交心空間

◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇

 日付が変わった。しかし今日は続いている。私は、パソコンのディスプレイ
と向かい合い、マウスをカチカチとクリックしたり、キーボードを叩いては言
葉を発信している。
『有希といいます。その名のとおり、希な存在の私ですが、どなたか素敵なお
付き合いをしてくださる方を望みます。まずはメールをお待ちします』
 打ち終えて、両手を後頭部に回して組んだ。首を傾げて眺めている。
「な~んか、硬いな」
 ぼんやりと唇が発信した。眉間にシワを寄せたということは、前頭葉もそう
感じているのだろう。即時に指先がDeleteキーを押した。押し続けながら、こ
の空間ではもっと溌剌として、いつもなら頭の中で浮かんでは消し去ってしま
う思いを、前面に出したいと感じている。いや、押し出さなければと言い聞か
せている。
『夢、かすれる、ザッパ、時代。都会、水、乾いてる。言葉、少な、虚ろ、気
分。ゆらゆら、人人人、流される。膝、抱える、マネキン。マネキンたち……
同調人希望! 有希』
 マウスを操作して送信ボタンをクリックする。私はメッセージをネットの海
原に投げ込んだ。静かに目を閉じて、ゆったりとした呼吸を繰り返す……どこ
の、どんな人が語りかけてくれるだろうか。そして私は……瞼を開けると、画
面の隅っこに表示されたデジタル時計が“1:03”に変った。
「25時って表示してくれないかな」
 あくび混じりにぼやいて、パソコンの電源をオフにした。


「あんたさ、自分の意見ってものはないの」
 女子更衣室で、昼食を食べ終えて一服しながらの美里が聞いた。私は、彼女
の吹き出した煙草の煙をモロに浴びながら、俯き加減でコンビニ弁当の唐揚げ
と一緒に、その言葉を噛み砕いている。ゴクリと飲み込み、胃袋に落ち込んだ
頃を見計らって口を開いた。
「いえ、そんなことは……」と首をすくめながら唾を飲み込んで「……ないよ」
と微かに返した。
 美里とは同期入社になる。旅行会社の企画開発部で机を並べて二年が経つ。
元来私は、出身地である静岡支店に配属される予定だったらしいが、入社試験
の面接で「しゃべることは苦手ですが、いろんなことを想像するのが好きです」
と唯一意思表示を見せたのが、役員たちの何かをくすぐったのだろう。明朗活
発で真っ向勝負の美里と競わせるという脈絡が打ち出されたみたいだ。ツアー
プランナーを目指す美里と違って、私は程良いところで寿退社をしたいと考え
ている。浅はかな考えかも知れないが、メールから始まる恋愛もアリだと思っ
ている。だから、期待されても困ってしまう。とりあえずこの二年、企画採用
された人の助手が私の仕事だった。それなのに、この不景気を打破するとの名
目で、開発部全員が三つ以上の企画提案を命じられた。適当に流しておけばい
いものを、私は五つも提案してしまった。
「いけるよ、杉下くん。この企画!」
 開発部員全員を集めた会議の席での、部長の一声だった。私は顔を赤らめた。
五つのうちの一つ、“当社のツアーに参加した顧客から旅行記やツアーガイド
記事を募る。優秀なものは、それらを集めて出版する。本の売れ行きに乗じて
執筆者にも配当金、もしくは次のツアーに無料参加の権利などを与える”とい
うものだ。湯船に浸かりながらの発想が、部長の脳ミソを刺激したらしい。み
んなの目が私に注がれている。私は、驚きと緊張に縛られて、みるみるうちに
萎縮していった。特に、美里の唇を噛みながらの凝視は、私の皮膚をジリジリ
と貫いて、心臓を引き裂くほどだった。
「配当金とか、無料とか……一見損にも思えるが、その割合と循環性を考えれ
ば、益の可能性は充分にある」
「そうですね」
「私も、そう思います」
 課長連中が頷いた。
「この提案、次の役員会にかけるから、詳細な企画書と収支計画書を仕上げて
くれ」
「はい、分かりました。そういうことだから、杉下くん、頑張って」
 直属の上司である山岡課長が檄を飛ばした。
「ァ、いえ、でも私は……」
 私は、泣き出しそうな顔で口籠もった。結局会議は、上の連中の一方的なや
りとりだけで、私が発言する余地もなく進んだ。
 二つ目の唐揚げを口にしながら、、私はメールのことを考えていた。あの後
すぐ布団に入ったものの、あれこれ興奮して浅い眠りのまま朝を迎えてしまっ
た。早速、誰かが返事をくれたかも知れない。出掛けにメールをチェックした
かったが、つい寝坊をしてしまい、ろくに化粧もせず家を飛び出す始末だった。
「だからどうなの? 有希としては」
 美里が、煙草を挟んだ手をスーっと伸ばして、弁当の中から出汁巻き玉子を
さらっていった。
「ァ……」
 出汁巻きは最後に食べようと思っていたのに、あっという間に美里の口の中
に消えた。彼女は、出汁巻きを摘んだ指を軽く舐めながら私の方を見ている。
その目は、私の答えを催促している。
「そりゃ、私が初めて出したメールだし」
「はい?」
「ァ、いえ、ごめんなさい。企画の話だったわね」
「そうだけど……どうだっていいわ。有希の企画だもん。私は落選組。しゃく
だけど面白いと思うわ、あの企画。だから、あんたがチーフで、私は助手」
「私は何も……」
「じゃ、私が立候補しようか」
「それは」
「やりたいんでしょ。提案者がチーフになるのは当然よ。初体験は誰にでもあ
るわ」
「ええ、まァ」
「よし決まった!」
 美里がポンと手を打った。
「いい。休憩時間が開けたら、即課長んとこ行って、私がやりますって、はっ
きり言うことね。でなきゃ本当に私が取っちゃうよ、有希の企画」
 私は、ペコリと頭を下げた。美里が午後の勤務に備えて化粧を直し始めた。
「ねえ、ところでさっき言った、初めてのメールって何のこと?」
「大したことじゃないわ」
「ウソついてる。鼻がピクピクしてるぞ」
 コンパクト越しに指摘した。
「……」
「ほらァ、またダンマリ」
「ゴメン」
「これ?」
 とファンデーションを塗りながら親指を立てた。
 私は小さく頷いた。
「ウソ~。三ヶ月前に私が紹介した男は?」
 私は俯いた。
「別れちゃった!」
「そういうところまで、いく以前に」
「これで三人続けてよ。ね、何が気に入らないの?」
「私の方は別に」
「じゃ、何なのよ」
「さァ……」と首を傾げて見せた。
「呆れた」
 本当は、美里の紹介だということに抵抗を感じていた。彼女が連れてきた男
たちは、誰もが決まって美里と私を比べる。そして、美里のテンポに同調でき
ても、私とは不調でイライラした様子を覗かせる。それに、これは私の思い込
みだろうが、何かある度に、それが美里の耳に入るのを懸念して、男の前で素
直な自分を出せないでいる。この二年、会社で定着してしまった“いい子ちゃ
ん”のイメージを壊したくないという、バカげた防衛本能がそうさせているの
だろう。
「あのね、あんたさ、前にも言ったと思うけど」
 美里は化粧をする手を止めて私に対面した。相手が真顔で威圧的に出ると、
私は目を合わせるのが苦手だ。キューっと胃袋が縮まったとき、休憩時間の終
わりを告げるチャイムが鳴った。私はホッとした。


----------------------> 短編小説集【背中の男】「25時のメール」より 
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