なぜ ヴィーガン(完全菜食)なの?なぜ肉食がいけないの? |  ぼちぼち ごった日記

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慈悲 と 愛
アヒムサー

あなたとわたしの 悲しみと苦しみがなくなり

ひかりにあふれています

先日、ツイッター経由でわたしの過去記事を読んでくださった方が、ご丁寧なメッセージをくださいました。

 

なんと、海外でアメリカンフットボールチームの選手として活躍されている大学生。

スポーツの性質上、大量のタンパク質の摂取が必要なのだそうです。

 

そんななか、工場的畜産の問題を知り、色々と考えるようになったとのことです。

 

わたしが肉食をやめた当初の ヘタな記事を読んでくださり、素晴らしい考えの共有、尊敬いたしますとまで仰ってくださり、嬉しいやらお恥ずかしいやら…

これからもSNSでのシェアをお願いしますとも仰ってくださいました。

ほんとうにありがとうございます。

 

食事を管理されている関係で、急に肉食をやめることはのは難しいけれど、まずは、ポールマッカートニー推奨の、ミートフリーマンデーを実践してみようと思います…のようにおっしゃり、(言葉は少し違いますが)早速実践されたこと、これからもこのことについて考えていきたいことをお知らせくださいました。

いくつか質問もしてくださいまして

微力ながらお答えしつつ、何度かやりとりをしました。

 

わたしの息子くらいの年齢の方が、とてもピュアな心で、動物たちの問題をまっすぐに受け取り、意識されるようになられたことが、とても感動でした。

 

お若い方々の方が、魂が綺麗で比較的 柔軟に受け入れられるのでしょうか。

 

わたしは大層なこともできませんし、特別な能力があるわけでもなく

ブログやSNSは地味でぼちぼちですなのですが

そうしてお一人でも、動物たちの問題に気付かれ、行動された方がおられたことに

無駄ではなかったのだなあと、本当に嬉しく感謝の気持ちです。

 

逆に、こちらが元気をいただき、素直で綺麗な魂に胸が打たれました。

 

 

 

と言いつつ、最近は別のことばかりしており (それでもアニマルライツな要素が多々 笑)

マンネリ気味なブログの更新もできておりませんが(;^_^A

 

 

 

過去記事もたまに再アップしたいと思います。

 
 

 

自分の過去記事のリブログです。

 

 いいのかよくないのか?

わかりませんけれど……
 
時々、過去の日記を振り返ってみています。
 
 
この時より

必要時応じて、たまに自分が書いて来たブログを振り返っています。

 

 

 

シルバーバーチは、一時ハマりましたが

今はあまり読まなくなりましたね

少しだけ違和感も……

いや、  そうだな

ゆるゆるのわたしにとっては、ちょっと厳しめで

なかなか生活に活かせないからかな?(;^_^A

 
教えは素晴らしいので、動物を食べることについての記事だけでも、知っていただきたいです。
 
 

 ***** 以下転載 **********

 

こちらのブログで紹介されていて感銘しました(涙)。
ヴィーガン始めました

とてもわかりやすい映像です。

 

(追記:絹ごし豆腐さん、いつからか記事を全部消していまね なぜ…?

引っ越したのでしょうか…?)

 なぜ、ヴィーガンなの?



    by:britches1985

ベジタリアンに関心のある人・ない人、たくさんの方にご覧いただきたくて
何よりも自分のためにアップしました。
まだまだ、ヴィーガン(完全菜食)どころか、「ベジタリアンです」とも言えないほどゆる~いわたしが紹介するのもお恥ずかしい限りなのですが・・・。
でも、ヴィーガン向けの料理はよく作りますし、動物由来の食品を摂らない日は増えてきました。
以前にもチラッと観た記憶がありますが、どなたのブログだったか思い出せません。



人がなぜ、動物に残酷なことをしてはいけないのか?
わかりやすい一文があります。
 

シルバーバーチの霊訓〈8〉




「シルバーバーチの霊訓」より引用
 

私が常々申し上げているのは、殺害の観念がつきまとう食糧品はなるべくなら摂取しないほうがよいということです。他の生命を略奪しておいて、その結果として自分に及ぶ苦しみから逃れられるものではありません。
略奪行為は略奪者自身にとって危険なことなのです。共存共栄こそが摂理なのです。
殺すということは絶対にいけないことです。ただし、その動機を考慮しなければならない場合があることは認めます。
霊的向上を望む者は、いかなる犠牲を払っても大自然の摂理と調和して生きる覚悟ができていなければなりません。
人間の責任は人間同士を超えて草原の動物や空の小鳥にまでおよんでいます。抵抗するすべをしらない、か弱い存在に苦痛を与えることは、ぜひとも阻止しなくてはなりません。


 
   

シルバーバーチは語る 第十二章
――動物を殺して食べるということについてはどうでしょうか。

 動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、
いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、
やはりそれなりの報いは受けます。

その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、
別に罰は受けません。
知識にはかならず代償が伴います。責任という代償です。
(シルバーバーチは語る 第十二章)


詳しくは⇒スピリチュアリズムから見た肉食と動物虐待問題



また、
ぱにゃえるさんのブログでこの本を紹介くださっていました。
その一部です。
もっとたくさん、大切なことを書いてくださっていますので、
ぜひぜひブログに飛んでくださいね☆

シルバーバーチと動物愛護☆.。.:*
他の記事も多方面から動物愛護について書いておられます。


--引用--

七章 愛すべき仲間たち-動物より

動物実験によって“何一つ”役立つものが得られないというわけではありません。が、その手段は間違っていると申し上げているのです。何の罪もない動物に残酷な仕打ちをすることは霊的なことすべてに反するからです。

学者が道を間違えているのはそこのところです。人間の方が動物より大切な存在である。よってその動物を実験台として人間の健康と幸福の増進をはかる権利がある、という弁解をするのですが、これは間違っております。


動物は忠誠心、愛着心、犠牲心、献身といった資質をけなげに表現しますが、これは人間が学ぶべきすばらしい手本です。しかし人間はそれらを意識的に、そしてもっと高度に発揮できます。なぜなら、動物よりも意識の次元が高いからです。


装飾品にするために動物を殺すことは、神は許しません。あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生(せっしょう)は絶対に止めなくてはなりません。物言わぬ存在の権利を守る仕事にたずさわる者は、常にそうした人間としての道徳的原理に訴えながら闘わなくてはいけません。小鳥や動物に対して平気で残酷なことをする者は、人間に対しても平気で残酷なことをするものです。


     by:シルバーバーチの霊訓

 

 

 

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参考