1か月過ごした京都を離れ、久しぶりに実家に戻ってきた。何も変わらないようで、世間では感染者が急増している。もう少し危機感を持ったほうがいいのかもしれない。2週間後、再び京都に向かうのだけど、もしかしたらまた状況も変化しているかもしれない。コロナ、というのは非常に面倒だ。いつまで、私たちにつきまとうのだろう。生活が変わってしまったことが、時々無性に悲しくなったりも、する。
今日は書きたいことがあった。「嫉妬」について。今までお付き合いしたことがある人に、その感情を抱いた記憶はあまりなくて。今回、そのような感情を抱いて、わたしもヤキモチを妬くことがあるんだと感じた。嫉妬というのは、今回のわたしの場合、実際にありもしないことをわたしの脳内で勝手に想像して、ひとりで悶々と戦っていることだった。それが、すごく嫌だった。今目の前にいる人が彼とどうにかなったらどうしよう、という現時点で起こっていない出来事を作り上げて不安になる。悶々として、苦しくて、その想像が残像として居座っている。じゃあどうして、わたしは嫉妬しているのだろう、と考えてみた。だって、マジョリティーが女と男でしかない世の中で一方の性に関わらないなんて到底出来ない。私自身、男性の友人はいるし、彼とふたりでご飯に行くことだってある。そんな頻繁に、毎回毎回その感情に支配され続けていたら、きっと関係だって悪くなるし機嫌だって悪くなる。何も起こってないことでムカムカとして、彼との関係を悪いものにしてしまったらどうしようもないじゃないか。じゃあ、どうして?わたしはどうして、今回に限って特にもやもやしているのか。それは、ひとつの可能性だけれども、自分で不安を作り上げて自分でモヤモヤとする状況に自ら飛び込んで、もしかしたら自分自身を攻撃しているのかもしれない、と。悲しい状態が好きな無意識の私が、意識の私を連れ込んでいるのかもしれない、なんて思ったりしている。
だって、どうしたっておかしいじゃんか。今ない不幸せを自ら勝手に作り出して、今の私を不幸にするなんて。何のメリットがあるのだろう?私が幸せであることに無意識のわたしは、不満があるのだろうか?幸せの状態でいることに、不安があるのだろうか?だからきっと、全て今の私が作り出している妄想にすぎないのだと思う。嫉妬に取りつかれて、今ある幸せを取りこぼしてしまうのはもっともっと馬鹿馬鹿しいじゃんか。だったら、今ある幸せをちゃんと噛み締めたいじゃんか。彼がいること、わたしがいること、幸せなこと。全部、いまある幸せ。きっと不幸な自分が幸せな自分に嫉妬しているんだろうな。そんなことが、そんなわたしが出てこれないように、もっとちゃんと今を見つめていたい。今、現実を見つめていたいなと思いました。