漠然と決めていたことがもっと漠然としてしまった。4月から働きたかった場所で、4月から働けなくなった。何度か面接を申し込んで、直前の中止。世の中もころころと変化してしまい、未来の予定が全く決められなくなってしまった。次回の面接は大丈夫かも、そんな気持ちはもうない。刻々と変化していく世界で、決めていくのは非常に難しいのだと悟った。今まで決めていたことを一度水に流す作業が必要になりそうだ。


4月から働きたいとおもっていた場所は今、閉園している。きっと閉園時期が終わる前にまた閉園を延長するのだろう。始まりが見えないなんてこと、生まれてから今まで一度もなかった。4月から6月まではそこで働きたい。6月中旬の家族旅行も楽しみだし、フランス語もまた勉強したいなあなんて流暢なことも考えていた。7月からは富士山でバイトしてガッツリお金を稼いでウイグル資金にしよう。8月は今まで行きたかった礼文島のあのユースホステルでヘルパーをして過ごそう。9月はどこかエコビレッジにでも行って、農業がしたい。10月は親友の結婚式だ。それまでに帰ってこよう。それからのことは、またこれからのわたしが決めるだろうと漠然に考えていた。それが全部、おそらく出来なくなるだろうと思うんだ。


3月31日、京都から帰ってきた。帰ってきたのは、傷病手当てをもらうために病院に行かなくちゃいけなかったから。病院に行って、診断書を書いてもらって、それを提出して、友人とご飯を食べて、親友とわたしの誕生日兼ハンバーガーパーティーをしてそれから、また京都に戻ろうと思っていた。それさえも、今は出来そうにない。友人との予定は全て白紙に戻り、京都に戻る見通しさえ立っていない。そろそろ、首都封鎖が起きるだろう。外出自粛の週末。それでも外出する人は一定数いるわけで。近くまで来ているコロナウイルスが少しずつだけど迫りつつあって。きっとかかるのも時間の問題なんだろう。死ぬのは、怖いと思う。今は死にたくない。絶対にまだ、死ねない。死にたくないと思わせてくれる出会いがあった。死にたくないと、まだやりたいことがたくさんあると嘆くわたしもいる。わたしはまだ、死ねない。だから、まだ京都には行けない。


いつどうなるかわからない。今私には仕事がないし実家にいるから、食べていくことが出来る。とりあえず家にいれば、なんとか生きていくことが出来る。明日さえどうなるか分からない。次恋人にいつ会えるかも分からない。未来にわたしがやりたいことがやれないなんて、そんな未来が来るなんて考えもしなかった。どうなっていくのだろう。これから。海外に行くことも出来ない。京都にすら、行くことが出来ない。日本は、決断力がない。年金ももらえないだろう。だって、その成果がマスク2枚の配布のみ。それ以外の保証は何もない。そんな国で生きていくなんて、誰が希望をもって年金を払うっていう選択が出来るっていうの。