近藤悠三の河井寛次郎への追悼稿を発見! | 豊池美術店のブログ

近藤悠三の河井寛次郎への追悼稿を発見!



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古い北国新聞の切抜きを手にしました。赤黄に変色しています。日付は不明ですが、河井寛次郎先生がご逝去された直後の昭和41( 1966)11月下旬のものと推測します。近藤悠三先生の河井寛次郎先生に対する追悼稿です。

近藤悠三先生は京都市立陶器試験所で河井寛次郎先生と濱田庄司先生にお引き立て頂き、後年に轆轤の助手を探していた富本憲吉先生に推薦して頂いています。

近藤先生は河井先生を生涯に亘り恩人と深く感謝し、また陶芸家の大先輩として強い畏敬の念を抱いていました。

河井寛次郎先生は民芸の世界の名も無き工人の残したものから多くのものを自らのエネルギーとして汲み取り独自の世界を展開しました。

近藤悠三先生は、追悼文を寄稿した時期に自らも陶芸の道を歩みつつ、京都美大学長の職も務めていらっしゃいました。追悼の言葉は戸籍上の近藤雄三で記しています。

追悼文で河井寛次郎先生を「日本の陶芸界の最恩人」と記しています。また、「自分の道を打ち立てられた孤高の人」と評しています。最期に、「外国では日本以上に尊敬されていただけに、先生の死去は世界の損失といえる。」と結んでいます。

この追悼稿は河井寛次郎記念館に寄贈させて戴きます。