麻生多賀吉氏と近藤悠三先生の出会い | 豊池美術店のブログ

麻生多賀吉氏と近藤悠三先生の出会い

若き日の麻生多賀吉(麻生セメント社主)が九州からご先祖供養の為に上洛し、その折に清水茶わん坂の近藤悠三先生お宅で、ウインドーに飾って在った作品に一目惚れしました。「惚れる」とは「心勿れ」と記します。理屈で説明の仕様が無い状態です。

当時無名の一陶工だった近藤悠三先生をこの時以降生涯に亘り応援して行く運命が始まりました。

麻生多賀吉氏は後に結婚されて、お生まれになった子息・麻生太郎は総理大臣に、ご令嬢信子様は三笠宮寛仁様妃殿下となられます。その御家庭では近藤悠三先生の食器が使われます。

清水寺と近藤家は近藤悠三先生の祖父が清水寺の僧・月照に寺侍として仕えていた事から、月照と西郷隆盛を京都から逃れる手引きをした咎で捕縛されました。清水寺境内には「勤皇志士近藤正慎之碑」が在ります。爾来、清水寺と近藤家との親密な縁が生まれました。

近藤悠三先生、麻生多賀吉氏、そのご令嬢が三笠宮寛仁妃殿下と成られたこと。そのようなご縁の中で、三笠宮寛仁殿下が清水寺訪問の折に拝眉の席に隣席させて頂く貴重な体験をさせて頂きました。

縁は巡ります。森陶岳先生が日本陶磁協会賞・金賞を受賞された時に銀座和光に療養中の三笠宮寛仁殿下の御名代で信子妃殿下がお越しになりました。