さようなら 伝説の日本六古窯 | 豊池美術店のブログ

さようなら 伝説の日本六古窯


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「日本の焼物史:小山冨士夫監修」( 昭和4962日発行:別冊歴史手帖)を入手しました。これで積年の疑問が氷解しました。

六古窯と云う言葉。これはいつ頃から言われるようになった言葉だろうか?六古窯(常滑・瀬戸・越前・信楽・丹波・備前)以外にも古い窯は日本にたくさんあったであろうに、なぜ六古窯なのだろうか?」これをずっと疑問に想っていました。



「日本の焼物史:小山冨士夫監修」の27頁に「日本六古窯の思い出」として小山冨士夫氏は、日本六古窯という名稱は戦前私がつけたものだが、戦後は岐阜県の中津川、多治見付近、静岡県に金谷附近、渥美半島、能登半島などに平安・鎌倉・室町時代の古い窯址が発見され、厳密にいえば今日では正しい名稱とはいえないかも知れない。と寄稿しています。



研究者として、小山冨士夫氏の姿勢は立派です。独自に研究を進める故に自説を世に発表する機会が生じます。それを更なる研究の結果で、以前の説より発展したものが出来たらならば訂正する事を厭わぬ姿は信頼出来ます。

昭和49年(1974年)に小山冨士夫氏が「日本六古窯の思い出」を発表してから現在も日本六古窯と云うフレーズは、伝説の如く生き続けています。

21世紀は日本六古窯の呪縛から逃れ、焼物史研究が進む事を期待します。