武将の墓 | 武田勝頼の墓-2 - 法泉寺!武田勝頼の首を持ち帰り目印に桜を植えた寺 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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武将の墓めぐり、武田勝頼の墓の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
ともリンクしていますのでよろしくお願いします。

人物名墓のある施設住所
武田勝頼法泉寺山梨県甲府市和田町2595
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武田勝頼の墓は法泉寺にあります。
発見難易度★☆☆☆☆
本堂に向かって左側にあります。案内があるのですぐ分かると思います。

くるまr駐車場があります。

勝頼、織田の正規兵の前に散る
武田勝頼・信勝父子は田野の地において、織田の正規兵を相手に家臣とともに獅子奮迅の働きをします。
その活躍ぶりは少数ながらも、「武田の兵47人を以て、5000の織田の兵を、四度突き崩し、討ち捨てた敵は都合380余人、手負いは500人におよばせた。」というものでしたが、多勢に無勢、ついにはみなが戦場の露と消え、武田家は滅亡します。
詳しくは以前のブログ
で。


武田信武建立の府中五山の古刹・法泉寺
元徳2年(1330年)、七代当主・武田信武(たけだのぶたけ)が建立しました。
武田信玄は、寺領を寄進した上、府中(甲府)五山の一つに加えました。
ちなみに府中(甲府)五山は、東光寺、円光院、長禅寺、能成寺、法泉寺の五寺です。
信玄の子・勝頼も同様に庇護しますが、織田信長との戦いに敗れ自刃し京の六条河原に晒し首となりました。
快岳禅師は、妙心寺の南化和尚の助力を受け、勝頼の首(歯髪とも)を密かに持ち帰り現在の地に埋葬し、目印として桜の木を植えたといいます。
本能寺の変の後は、徳川家康の庇護を受けたうえ勝頼の菩提所に定められました。


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鐘楼門。
寛永13年(1636年)建立です。



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鐘楼門の屋根瓦。
武田菱、かっこいいです。



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本堂。



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本堂屋根にも武田菱が光りますキラキラ
ここは武田の菩提寺なんだとあらためて感じますね。



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石橋。



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武田勝頼の墓全景。
本堂に向かって左側にあります。



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墓に植えられた桜の木。桜の季節キレイでしょうね*さくら*
快岳禅師が京都に晒されていた勝頼の首を持ち帰りここに埋め、その目印として桜を植えたんだとか。



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武田勝頼の墓の墓アップ。
無常です…。


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快岳禅師の墓。この方が命懸けで勝頼の首を持ってきてくれたんです。ありがたいことです焼香チーン


ご朱印はこちら

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