10月12日(11日深夜?)
早朝にテレビをつけると
午前2時から4時まで
関西テレビ(大阪)で
FNSドキュメンタリー大賞の
60分番組2本を放送していました
1本目は鹿児島県の島での“産科崩壊問題”
2本目は山形さくらんぼテレビの“星の話”です

2本目の「天空の座標を見つめて」という
ロマンチックな題名に惹かれて見てみると
山形県最上町在住の平山行夫さんが
淡々と語る終戦間近の海軍航空隊の話です
今は妻と2人暮らしで食事も作る
元気で優しい好々爺の平山さんは
旧日本海軍の飛行艇偵察員だった

横浜から旧日本軍唯一の
4発機で航続距離の長い
2式大艇(2式飛行艇)で
敵のレーダー網を避け
制空権、制海権もなく
敵の機動部隊の位置も不明のまま
何の援助も受けず単機で
夜間に目印もない洋上を
補給基地トラック島を経由して
はるか遠方の前線基地
ラバウルまで
11時間も飛び続けて
病死者が多かったマラリアの特効薬
キニーネを運ぶ重要な任務

速度が700㎞/h以上の強力な
敵戦闘機に比べ400㎞/h程度で
護衛もいない大きな飛行艇が
敵に発見されればひとたまりもない
だから、12名の乗員全員で一睡もせず
周囲を監視する緊張の洋上飛行を
平山さんは特攻の一種ですと話す
GPSもない時代の飛行機は
洋上を推測航法で飛び
六分儀でこと座のベガなど
3つの星の高さを測る
「天文航法」で方向を修正する

平山さんは当時
「天測の神様」と呼ばれた天測名人で
星の観測だけでは正確ではない位置を
細かく何度も計算して修正
ラバウル到着時のズレはわずか9km!
飛行艇の真正面に島が見えたという
しかし、ラバウル付近は荒天で着水できず
クスリをトラック基地に預けて横浜に戻った
平山さんは今も当時の飛行経路を
覚えていて白地図上に定規で正確に描き
海軍の六分儀を出して説明していましたが
「戦争では星も兵器です」と語る

その後も危険な
南方の島々を連絡任務で往復したが
そこでは食料の尽きた兵隊が栄養失調のため
ヨロヨロと畑仕事をしていたという
平山さんが当時
南の島で話した中尉に会いたいと
遠路、戦友会を訪ねましたが
200人以上復員した島の守備部隊も
戦後60年余を経た今ではみんな高齢となり
生きている人もわずかで記憶も
定かでなく何も分りません

開発当時は高速・重武装を誇った旧海軍の
2式大艇も偵察・輸送・爆撃などに酷使され
ほとんど撃墜されて終戦時には
わずか4機が残っただけでした
悲惨な戦争の記憶は本当に
遠くなってしまったようです・・・

【KTV関西テレビ番組表から】
(10月12日午前02:00~)
FNSドキュメンタリー大賞
「それでも私たちは産みたい」
~南の島の産声を守れ~
「子宝の島」として名高い鹿児島県の南の島々。ここにも産科医療崩壊の影がー。突然の診療休止、島外出産を余儀なくされる女たち。産声の行方を見つめる。【ナレーター】 青木隆子(鹿児島テレビ) 古井千佳夫(鹿児島テレビアナウンサー)
(10月12日午前02:55~)
FNSドキュメンタリー大賞
「天空の座標を見つめて」
~秘史”特攻輸送”5千キロ~
太平洋戦争時、旧日本海軍の飛行艇偵察員として危険な任務に従事していた男性の貴重な戦争体験の証言や思いを通し、改めて平和の尊さ、平和への祈りを訴える。
【さくらんぼテレビ】
FNSドキュメンタリー大賞
「天空の座標を見つめて」
~秘史”特攻輸送”5千キロ~
平和の尊さ、平和への祈りを次代へと繋ぐー 170万人もの兵士、38万人の民間人が犠牲となった太平洋戦争の終戦からはや64年。実体験として戦争を知る世代も少なくなり、悲惨なその記憶は年々薄れてきている。戦争に身を投じた兵士たちは当時何を感じ、何を思い、何のために命を懸けて戦ったのか。
小学校で課外授業の教壇に立つ最上町在住の平山行夫さん。平山さんはかつて旧日本海軍の飛行艇偵察員として危険な任務に従事した。当時、夜間に目印のない洋上を飛行する際は、星の高さを測る「天文航法」を駆使して自らの位置を把握していた。平山さんはその正確さから仲間達に「天測の神様」と呼ばれていたという。偵察部隊は攻撃部隊と比べると地味な印象があるが、実は大変危険な任務。護衛する戦闘機もなく、たった一機で敵の艦隊を探し出さなければならない。敵を発見したその瞬間、敵は猛烈な攻撃を開始してくる。また広い洋上で位置の計算を誤れば、目的地にたどり着けず、燃料切れで墜落する危険もある。まさに常に「死」と向かい合わせの任務だった。
襲ってくる戦闘機、死んでいった戦友の顔…。平山さんの戦争の記憶は、いつも満天の星と重なっている。見上げるといつもそこにある美しい満天の星空さえも、敵を攻撃し、身を守る武器になってしまう「戦争」。番組では、平山さんの貴重な戦争体験の証言や思いを通して、改めて平和の尊さ、平和への祈りを多くの戦争を知らない世代に伝えていく。
制作・著作 さくらんぼテレビ
二式飛行艇(二式大艇)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二式飛行艇(Kawanishi H8K)
用途:飛行艇
製造者:川西航空機
運用者:大日本帝国海軍
初飛行:1941年1月
生産数:167機
生産開始:1941年~1944年
運用開始:1942年2月
退役:1945年
運用状況:退役
二式飛行艇(にしきひこうてい)は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)。機番は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇り、現在なお凌駕する機体は出ていないともされる。通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily」。・・・

帰ってきた二式大艇―海上自衛隊飛行艇開発物語/碇 義朗

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川西二式飛行艇 (エアロ・ディテール)/野原 茂

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最後の二式大艇―海軍飛行艇の記録/碇 義朗

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飛行艇時代―映画『紅の豚』原作/宮崎 駿

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奇蹟の飛行艇―大空に生きた勇者の記録 (光人社NF文庫)/北出 大太

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日本の飛行艇/野原 茂

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飛行艇の時代―世界の海を渡った豪華絢爛の翼 (のりもの選書)/帆足 孝治

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旭日の艦隊〈2〉北海突入作戦・超輸飛行艇白鳳出撃 (中公文庫)/荒巻 義雄

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早朝にテレビをつけると
午前2時から4時まで
関西テレビ(大阪)で
FNSドキュメンタリー大賞の
60分番組2本を放送していました
1本目は鹿児島県の島での“産科崩壊問題”
2本目は山形さくらんぼテレビの“星の話”です

2本目の「天空の座標を見つめて」という
ロマンチックな題名に惹かれて見てみると
山形県最上町在住の平山行夫さんが
淡々と語る終戦間近の海軍航空隊の話です
今は妻と2人暮らしで食事も作る
元気で優しい好々爺の平山さんは
旧日本海軍の飛行艇偵察員だった

横浜から旧日本軍唯一の
4発機で航続距離の長い
2式大艇(2式飛行艇)で
敵のレーダー網を避け
制空権、制海権もなく
敵の機動部隊の位置も不明のまま
何の援助も受けず単機で
夜間に目印もない洋上を
補給基地トラック島を経由して
はるか遠方の前線基地
ラバウルまで
11時間も飛び続けて
病死者が多かったマラリアの特効薬
キニーネを運ぶ重要な任務

速度が700㎞/h以上の強力な
敵戦闘機に比べ400㎞/h程度で
護衛もいない大きな飛行艇が
敵に発見されればひとたまりもない
だから、12名の乗員全員で一睡もせず
周囲を監視する緊張の洋上飛行を
平山さんは特攻の一種ですと話す
GPSもない時代の飛行機は
洋上を推測航法で飛び
六分儀でこと座のベガなど
3つの星の高さを測る
「天文航法」で方向を修正する

平山さんは当時
「天測の神様」と呼ばれた天測名人で
星の観測だけでは正確ではない位置を
細かく何度も計算して修正
ラバウル到着時のズレはわずか9km!
飛行艇の真正面に島が見えたという
しかし、ラバウル付近は荒天で着水できず
クスリをトラック基地に預けて横浜に戻った
平山さんは今も当時の飛行経路を
覚えていて白地図上に定規で正確に描き
海軍の六分儀を出して説明していましたが
「戦争では星も兵器です」と語る

その後も危険な
南方の島々を連絡任務で往復したが
そこでは食料の尽きた兵隊が栄養失調のため
ヨロヨロと畑仕事をしていたという
平山さんが当時
南の島で話した中尉に会いたいと
遠路、戦友会を訪ねましたが
200人以上復員した島の守備部隊も
戦後60年余を経た今ではみんな高齢となり
生きている人もわずかで記憶も
定かでなく何も分りません

開発当時は高速・重武装を誇った旧海軍の
2式大艇も偵察・輸送・爆撃などに酷使され
ほとんど撃墜されて終戦時には
わずか4機が残っただけでした
悲惨な戦争の記憶は本当に
遠くなってしまったようです・・・

【KTV関西テレビ番組表から】
(10月12日午前02:00~)
FNSドキュメンタリー大賞
「それでも私たちは産みたい」
~南の島の産声を守れ~
「子宝の島」として名高い鹿児島県の南の島々。ここにも産科医療崩壊の影がー。突然の診療休止、島外出産を余儀なくされる女たち。産声の行方を見つめる。【ナレーター】 青木隆子(鹿児島テレビ) 古井千佳夫(鹿児島テレビアナウンサー)
(10月12日午前02:55~)
FNSドキュメンタリー大賞
「天空の座標を見つめて」
~秘史”特攻輸送”5千キロ~
太平洋戦争時、旧日本海軍の飛行艇偵察員として危険な任務に従事していた男性の貴重な戦争体験の証言や思いを通し、改めて平和の尊さ、平和への祈りを訴える。
【さくらんぼテレビ】
FNSドキュメンタリー大賞
「天空の座標を見つめて」
~秘史”特攻輸送”5千キロ~
平和の尊さ、平和への祈りを次代へと繋ぐー 170万人もの兵士、38万人の民間人が犠牲となった太平洋戦争の終戦からはや64年。実体験として戦争を知る世代も少なくなり、悲惨なその記憶は年々薄れてきている。戦争に身を投じた兵士たちは当時何を感じ、何を思い、何のために命を懸けて戦ったのか。
小学校で課外授業の教壇に立つ最上町在住の平山行夫さん。平山さんはかつて旧日本海軍の飛行艇偵察員として危険な任務に従事した。当時、夜間に目印のない洋上を飛行する際は、星の高さを測る「天文航法」を駆使して自らの位置を把握していた。平山さんはその正確さから仲間達に「天測の神様」と呼ばれていたという。偵察部隊は攻撃部隊と比べると地味な印象があるが、実は大変危険な任務。護衛する戦闘機もなく、たった一機で敵の艦隊を探し出さなければならない。敵を発見したその瞬間、敵は猛烈な攻撃を開始してくる。また広い洋上で位置の計算を誤れば、目的地にたどり着けず、燃料切れで墜落する危険もある。まさに常に「死」と向かい合わせの任務だった。
襲ってくる戦闘機、死んでいった戦友の顔…。平山さんの戦争の記憶は、いつも満天の星と重なっている。見上げるといつもそこにある美しい満天の星空さえも、敵を攻撃し、身を守る武器になってしまう「戦争」。番組では、平山さんの貴重な戦争体験の証言や思いを通して、改めて平和の尊さ、平和への祈りを多くの戦争を知らない世代に伝えていく。
制作・著作 さくらんぼテレビ
二式飛行艇(二式大艇)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二式飛行艇(Kawanishi H8K)
用途:飛行艇
製造者:川西航空機
運用者:大日本帝国海軍
初飛行:1941年1月
生産数:167機
生産開始:1941年~1944年
運用開始:1942年2月
退役:1945年
運用状況:退役
二式飛行艇(にしきひこうてい)は、旧日本海軍が第二次世界大戦中に実用化した4発大型飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)。機番は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇り、現在なお凌駕する機体は出ていないともされる。通称は二式大艇(にしきたいてい、にしきだいてい)。二式大型飛行艇とも言う。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily」。・・・

帰ってきた二式大艇―海上自衛隊飛行艇開発物語/碇 義朗

¥2,100
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川西二式飛行艇 (エアロ・ディテール)/野原 茂

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