<娘よ(Dukthar・パキスタン・2014)> ★★★★

 

 

 イラン映画はそう珍しくありませんが、パキスタン映画は初めてでした。パキスタンと言えば、女性解放を叫んで狙撃され、ノーベル平和賞を史上最も若くして受賞したマララ・ユスフザイがいますが、彼女の主張の裏書をするような人権無視の内容でした。パキスタン奥地の厳しい山岳地帯で、21世紀の今でも女性を財産の一つである“物としてしか扱わない旧態以前たる風習が残っていることに対して、女性監督が批判を込めて描いています。

 

>パキスタン奥地の国境地帯に聳えるカラコルム山脈の麓には多くの部族がいますが、厳しい生活環境の中で絶えず衝突を繰り返しています。とある部族長のドーレットは長年対立してきたトールに和解を提案しますが、トールは条件として彼の10歳になる娘ゼナブを自分の嫁に出すよう要求する。ドーレットの年の離れた妻アッララキも15歳で嫁がされていて、娘に自分と同じ苦難を味あわせたくないと決意して、ゼナブを連れて脱出を図ります。掟を破り、誇りを傷つけて名誉を傷つけたとして、双方の部族が追っ手が出動して、母子は命を狙われることになります。母子は途中出会ったトラック運転手のソハイルに助けられながら決死の逃避行を続けます。そのトラックも途中でガス欠、3人は砂漠地帯を歩いてソハイルの家に辿りつきます。ひと息つくとアッララキは首都ラホールに住んでいて、結婚以来一度も会っていない老いた母親に会いたいと言い出します。追っ手が母親の家にも行っているのではないかとソハイルは案じますが、彼女の強い頼みで隣人の車を借りて首都へと向かいますが・・・・

 

実話がベースになっているそうですが、登場人物が携帯電話で連絡を取り合っているシーンが何度も出るのでそんな昔のことではないと思いす。そんな21世紀の現代でも、西欧や先進諸国の一般常識では考えられないような部族の強い掟と女性軽視の世界が存在するのは驚きでした。マララ・ユスフザイの叫びを実感として理解しました。幼いゼナブはただ母に従うだけなのは仕方がないとしても、母親の方は将来を見据えてもう少し考えをめぐらしても良かったと思います。

 

映画は、そんな古い因習にあるからこそ更に強くなる娘の将来を案ずる母の命がけの決意を描いています。前半は伝統と因習の紹介と、彼女にとっては自分も味わった理不尽な決め事に対する反撥と娘を連れての決死の脱走がサスペンスフルに描かれて引き付けられました。ただ、婚礼を目前に控えて考える余裕もなかったにせよ、余りに簡単に家を飛び出してしまって、彼女の苦渋の決断がうまく描かれておらず、ないような気がしました。

 

後半になって、出会った見ず知らずの運転手ソハイルが次第に事情が判って、一度は放り出そうとしますが、やげて立往生したトラックを見捨てて荒野を歩いてでも2人を守ろうとするのは、単なる義侠心だけでなく、互いに惹かれあったためと思われますが、そのあたりの愛情表現も極く抑えられているのはお国柄のせいか、演出の未熟さか判りませんが、割合と淡々としていてダレ気味でした。ラストになって一転して猥雑な都会となり、意外な結末を迎えますが、そこに至るまでの演出にもう一工夫あれば女性地位向上というメッセージも浮き出て、もっと引き締まったヒューマン・ドラマになったと思い、後半半ばのダレが前年でした。