アダム・リザレクティッド

   (Adam Resurrected
・独・2008)
 ★★★★☆


こんな映画見ました-Adamu resurrected


GYAOで配信される映画は大半がB級作品ですが、根気よく捜しているとたまには掘出し物や秀作もあります。この作品もそうした数少ない掘出し物の一つでした。邦題は英題をそのままカタカナにしただけで能がありませんが、ナチスのホロコースト(大量虐殺)を生延びたユダヤ人の物語で、ユダヤ教や旧約聖書に出て来る「アダムとイブ」に由来すると同時に主人公の名前でもあります。その主人公のアダムがホロコーストのトラウマから立ち直る(resurrect)物語ですが、もう少し気の利いた邦題をつければ日本でも劇場公開される機会があったものを、と思いました。


>1961年、アダム・シュタインはイスラエルの砂漠地帯にあるホロコースト生存者のための精神病院に再び入所して来ます。医師も看護師も患者も皆顔見知りです。アダムは戦前、ベルリンのサーカスの団長として奇術やコントで人気を得ていて、病院内でも人気者でした。10年前、彼は同時に強制収容されていた娘が結婚してイスラエルにいることを知って訪ねますが、既に亡くなっており、夫は彼女が父親がナチスの“犬”として生き残ったことを恥じていたと聞かされて衝撃を受けていました。療養所で、或る日、立入禁止の部屋に“犬”と化した少年を見つけ、過去の悲惨な記憶に苦しめられることになります。戦争中、ユダヤ人の強制収容所で、アダムはナチスのクライン所長の“犬”となる事で生き残ったのでした。所長の前で彼は這いずって歩き、番犬と共に寝起きし、番犬と同じものを食べることで虐殺を免れました。その“犬”も少年時代、ナチス将校夫人の愛玩物として飼われて成長し、解放されてからも"犬“として生きて人間を一切寄せつけません。アダムは自分の悲惨な体験から彼に近づき、気長に話しかけて彼の心を開かせて行きます。アダムは少年をデヴィッドと名付けます。デビッドは立ち上がり、簡単な言葉を口にするようにまでなりますが、アダムは腎臓病が悪化して生死の境をさまよいます。幻想の中にクライン所長が現れて彼に自殺を勧めますが、彼は思い留まります。漸く病から回復したアダムは、過去の忌まわしい記憶と決別して新たに生きて行く決意を、デヴィッドに養子縁組がまとまり、療養所を去って行くのを暖かく見守ります。


収容所での記憶はモノクロ映像で暗黒の時代が陰鬱に描かれます。しかし、解放後のアダムの人生は時系列的には描かれず、目まぐるしく前後するのでちょっと混乱するところもありました。又、アダムは以前から看護師長のジーナと懇ろになっていて、ジーナがアダムの命じられるままに犬のように這って歩いて吠えるのは不必要なシーンで、被害者だったアダムが加害者になってしまい、彼の悲惨な過去への同情を薄れさせてしまって逆効果でした。


ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を描いた映画は枚挙に暇なく、人種差別や人権蹂躙の悲惨さは色々と描かれて来ましたが、その時代の記憶がトラウマとなって精神を病んでしまった人々という新しい視点から描いたこの作品は、特に残酷なシーンはありませんが、改めてホロコーストだけでなく、戦争そのものの非人道性を強く訴えていました。人間性の崩壊を“人間を犬化する“ということで象徴させていますが、戦争という極限状態の中では加害者も狂気になっていて、あり得たことだったと思わざるを得ませんでした。


結末が一応ハッピ-・エンドになっていてちょっと呆気ない感じはありましたが、この作品が第三国ではなく、加害者であったドイツで製作されたということは、アダムが復活したように、ドイツ国家そのものも、日本のように曖昧に終わらせず、過去の悪夢から吹っ切れて冷静に歴史を見られるようになったのだと思いました。