<丹下左膳餘話 百萬両の壺(日・1535)> ★★★★☆



こんな映画見ました-丹下左膳

NHK-BSで「山田洋次の選ぶ日本映画100選」の中の喜劇篇として放映された山中貞雄監督・大河内伝次郎主演で、まだ私が生まれる前に公開された作品です。山中監督は昭和13年、中国に出征して28歳の若さで戦病死してしまいました。僅か5年間の監督生活で26本を製作していますが、戦時中のフィルム不足や空襲による焼失で、まとまった作品として現存しているのはこの作品の他、<河内山宗俊>と<人情紙風船>の3本だけだそうです。<人情紙風船>は昨年、やはりNHKで放映されて録画して保存しておきました。残る<河内山宗俊>もぜひ見てみたいものです。“丹下左膳”は林不忘という作家が創造した陰のある隻眼片手の剣豪で何度か映画化されたようですが、この<百万両の壺>は人情喜劇で、原作者が自分のイメージと違うとクレームをつけたので、“餘話”と付記したと放映前の解説で述べられていました。

>柳生藩に伝わる“こけ猿の壺”には先祖が埋蔵した百万両の在処が塗り込められていることが判りますが、壺は江戸の道場屋敷に婿入りした弟の源三郎に与えてしまっていました。それとも知らず源三郎はその壺を屑屋に売り飛ばし、屑屋はそれを隣家の子供・安吉に金魚鉢として与えてしまっていました。その夜、安吉の父親は行きつけの矢場(当時のゲームセンター)での喧嘩で殺されてしまい、矢場に居候をして用心棒をしている丹下左膳は成り行きで安吉と壺を引き取ることになります。一方、源三郎は壺を探して江戸中を歩き回りますが、目にした矢場で働く娘が気に行って入り浸りになり、左膳や安吉とも親しくなりますが、捜している壺が目の前にあることに気付きません。柳生藩でも壺を探して、江戸中に「壺を1両で買い取る」旨のポスターを貼り出し、売り手が殺到します。安吉も自分の養育のための費用にと、無断で壺を売りに行きます。漸く安吉の金魚鉢こそ捜し求める“

こけ猿の壺“であると知った源三郎は安吉のところへ取り上げに来ますが、左膳もその秘密を知ることになります。急遽、安吉を追った左膳は売却を食い止めて戻りますが、左膳も源三郎も百万両の在処が判ることは夢として心に収めておいて、今まで通りのんびりと暮して行こうと矢場で遊び続けます。

この映画での左膳は、安吉を連れて賭場に行って大負けしたり、源三郎の道場へ押し掛けて弟子たちの門弟の前で八百長試合をして60両を貰う等、ヒーローの面影はありませんが、孤児になった安吉を引き取って秘かに敵討をしてやったり、矢場の女将に秘めた想いを隠して口喧嘩したりと人間味ある無頼漢として描かれていて、大河内伝次郎も楽しそうに演じています。源次郎を演じるのは沢村国太郎ですが、時々、加東大介?と思うほど兄弟だけあってよく似ていました。ついでですが、私が子供の頃に仲間内で流行った「あのねおっさん、わしゃかなわんよ」の高勢実乗(タカセミノル)が屑屋として登場して懐かしく思い出しました。

それにしても、山田洋次監督が“100選”に入れるだけあって、筋書きはさておき、絶妙な省略を多用したテンポの巧みさと奥行きのある人間描写で、これが弱冠25歳の人の作品かと感心しました。左膳と矢場の女将が安吉を武芸道場にやるか寺小屋にやるか口喧嘩してパッと画面が変わると安吉が書道の勉強をしている、というように僅か2分ほどのシーンで余計な説明は全く入れずに成り行きを説明し、2人の口は悪く意地っ張りですが根は優しい性格を見事に表現していました。大衆娯楽映画でありながら、安直に流れず、登場人物のちょっとしたセリフや仕草で性格や心情を正確に描き出していて流石でした。

子供同士がメンコで現金勝負をしたり、賭場で大負けしたり、八百長試合をしたり、1両欲しさに壺を売ろうとしたり、金にあくせくしている割に“百万両の壺”と判っても心底からそれを信じて慌てて打ち砕いたりせず、夢を見続けようと決めるのは少々不自然ではありますが、ほんのりとして気持ちの和らぐ結末でした。

何せ古い原版をデジタル化して映像は比較的鮮明に甦りましたが、音声は今いちで、大河内傳次郎が、「笑点」で林家喜久扇がよく真似するような口ぶりで丹下左膳をコミカルに演じていますが、、良く聴き取れないところがかなりあったのはあながち私の聴力の衰えだけではなかったと思います