私のハンドルネームは「しののめ」と読みます。


昔の日本家屋は木材や植物を素材につくられていましたが、その窓というか明かり取りに相当する篠の網目の間からうすぼんやりと光が感じられるころ、朝方のころを指す言葉のようです。


(引用)

昔、篠竹を編んだものを住居の明り取りに用いたが、その編み目が薄明るくなるころの意という。(出典『古語林』大修館書店)


「しののめ」は「東雲」と慣用的に変換されるようですが、本来は表記の根拠がない用法だそうです。


そういう難しい表記の問題はさておいても、私にとって「朝」「希望」「将来」といったワードはひたすら明るいイメージで想起されるのではなく、むしろ、ぼうっと遠慮がちに暗闇に浮かぶもので、暗がりのなかでかろうじてまさぐるように探し当てるあるいは感じ取るものだとイメージされるのです。


「暗い奴だ」の一言で片づけられるのならそれはそれで仕方ありませんが(笑)


しかしながら、ことばを用いて真面目に自分の思想を表明しようとすると、感情的に悲観ぶるのではなく、

冷静に考えて楽観視できないわが家わが子を含む日本の現状と将来を見据えないわけにはいきません。


ですから、まずは「絶望的なくらいにきつい現実」から目をそらすことなく、さりとてそこに感情的に溺れず、

生きる意志をもって明るい明日を探り当てたいと思うのです。


具体的な話に行きます。


TPPの論議がようやくTVなどでも盛んになってきましたね。


テレビタックルで、中野先生(京大准教授)の反対論が流されましたが、一方で「みんなの党」の江田氏の推進論も聞かれました。


江田氏も古賀氏も共通しているのは、TPPに対する反対論を、農業問題に矮小化している点です。


だから、賛成論と反対論が初等数学における「ねじれの位置」のごとくに接点をもたないままてんでんばらばらに論じられ、しかも誰もまとめようとしていないというおかしな状況にあります。


こんなわけのわからない状況を黙って息を殺し、謙虚なふりだけして出番を待っている野田どじょうさんにまとめられたら、たまったものではありません。


国会の質疑応答を視聴すると、「TPP反対論」と「増税反対論」の根拠(=民主党政治への不信)が集約されずに「それはそれ、これはこれ」みたいな雰囲気でバラバラ状態で結局通されそうな危険を感じます。


私たちは、自分では政治に直接かかわることのない庶民かと思いますが、たまには声をあげないと大変なところまで流されてしまい、怒りの声を上げるころには「お前らの努力が足りなかったからだ」と言われかねません。


上述お読みいただきありがとうございます。