▼輪に入る。映画「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」
天才子役としてその名を知らぬ者はいない、芦田愛菜の主演映画が今週末より公開。
「きいろいゾウ」も映画化された西加奈子原作の映像化を手掛けるのは
「今度は愛妻家」「つやのよる」の行定勲。
共演は八嶋智人、羽野晶紀、いしだあゆみ、平幹二朗、
青山美郷(三つ子の姉をひとり三役!)、伊藤秀優、入江甚儀、丸山隆平など。
本作のカテゴリーは『ドラマ/ファミリー/コメディ』になっている。
なるほど確かに全部入ってはいるが、私にとってはファンタジックホラーだった。
幼い頃の私は、いわゆるこまっしゃくれた子供だった。
同世代の友達とはどうも話が合わないし、話をする時には
常にこちらから「降りていっている」意識を持っていた。
大人が子供を見る目線も理解していて、「こうすれば大人は喜ぶだろう」と
計算した上で行動しているような子供だった。
大人が面白がって酒を呑ませようものなら、酔った振りをして千鳥足で歩いてみせた。
案の定大人達は大笑いし、それを確かめながら「ちょろいな」と思っていたものである。
自分を特別な存在だと思っていたわけでは決してなく
むしろ何故他の子のように出来ないのかと劣等感に苛まれることも多かった私にとって
「円卓」の主人公こっこの言葉に出来ない苛立ちやモヤモヤは非常に理解できる。
戸川純の名著「樹液すする、私は虫の女」の中にあった
通学路にある赤い郵便ポストをひと舐めしなければ
学校に行けなかったという行を読んだ時の、言葉にし難い共感に似ている。
円滑なコミュニティを形成する上で、規格外の存在は歓迎されない。
異端であることを長所として伸ばすことが出来れば「天才」ともてはやされるが
多くの場合は単なる変人扱いで終わってしまう。
小さな体内に収まりきらない巨大な自我をコントロールできないこっこが
彼女なりの小さな頭で必死に人生とは何かを問い掛けている姿が涙ぐましい。
足掻いても腹を立てても、行動範囲はご近所が精一杯。
ご飯は母親に頼らざるを得ず、小馬鹿にしている学校の教師にすら
こっこの策略はばっちり見抜かれて、そのことがさらに彼女を苛立たせる。
子供はしょせん子供であり、大人の掌の上からは逃れられないのだ。
芦田愛菜主演のコメディという触れ込みから、
勝ち気な少女が大人を言い負かすベタな人情劇だろうと思っていた私は
「子供の中の大人」と「大人の中の子供」に斬り込んだ本作の
予想外のディープさに衝撃を受けた。
異端児・こっこを演じているのが、天才子役の名を欲しいままにしている
芦田愛菜というのがまた絶妙過ぎる。
ここまで見据えてキャスティングした行定監督にも恐れ入るが
監督の意図を完璧に汲み取った芝居をする女優・芦田愛菜に至っては化け物である。
彼女も今、普通の子供とのズレに少なからず悩んでいるはずで
こっこを通じて得たものは大きかったに違いない。
予告編を見た時には行定監督作品の中でも断トツの駄作だと思っている
「遠くの空に消えた」のような地雷臭がしていたのだが、これは嬉しい誤算。
ファンタジックな描写も、こっこの脳内と現実との距離を効果的に見せているし
序盤から出ずっぱりだったジャポニカ学習帳の使い方も上手い。
最後の最後に出て来る「もののけ姫」的なシーンには胸が熱くなった。
ただ、試写の反応からして、多くの方にとって本作は単純なコメディらしく
会場が爆笑に包まれる度に、私は少なからず疎外感を感じていた。
こっこと自分のシンクロ率が高くない人にとっては
本作はただのコメディとしか映らないのかも知れない。
この映画で屈託なくゲラゲラと笑える人は、枠内からはみ出ることなく
スムーズに人生を送って来た幸せな人なのだろう。
それはそれで羨ましい。
でも、私はこっこのジタバタを嗤うのではなく、温かく包み込む大人でありたい。
映画「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」は6月21日より公開。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
タイトル:円卓 こっこ、ひと夏のイマジン
配給:東宝
公開日:2014年6月21日
監督:行定勲
出演者:芦田愛菜、いしだあゆみ、伊藤秀優、他
公式サイト:http://entaku-movie.jp
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
発売中■BOOK:「円卓(文春文庫)」
配信中■Kindle:「シナリオ 円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」
発売中■DVD:「大阪ハムレット デラックス版」
人気コミック「少年アシベ」の森下裕美の同名コミックの映画化。
監督は「富江replay」の光石富士朗。
大阪の下町を舞台にした正統派の人情劇で、
三兄弟の肝っ玉母さんを松坂慶子が、叔父を岸部一徳が好演している。
鑑賞前は「円卓」も本作の流れだと思っていたのだが、全く違っていた。