“Sing with Piano.”

ピアノ弾き語り 野坂ひかり OFFICIAL BLOG

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蝶々その他のライブスケジュールこちら(野坂ひかりライブ予定)


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【本日ラジオ出演!】

本日夜のかわさきFMの番組に、野坂ひかりがゲスト出演します◎

■番組名:瑠愛「幸せですか?」
■79.1MHz かわさきFM
■時間:21:30~30分番組
■野坂ひかりの楽曲、パーソナリティー瑠愛さんとのトークが放送されます。
■リアルタイムで聞けない方は
「radiko(ラジコ)」https://radiko.jp/mobile/
で、一週間以内の番組を聞いていただけます。
(エリアフリーで聞くには、プレミアム会員登録制のようです(>_<))

■遠方の方は
かわさきFMホームページ
「サイマルラジオ」をクリック!
【かわさきFM「放送を聞く」】をクリックして、インターネットで聞いていただけます◎


★インターネットでパソコンやスマートフォンアプリ「radiko(ラジコ)」から、リアルタイムで聞けなかった方でも一週間以内は放送を聞いていただけます!!
★ラジコをご利用の方は、キーワード「radiko」で検索か、https://radiko.jp/にアクセスして見てください◎
 
ぜひお聞きください^^
楽しみです。


収録の時の瑠愛さんと私ー!

とても楽しかった^^

ラジオも楽しみに、これからお仕事行ってきます~!


野坂ひかり
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Twitterを見なくなって久しいのですが。
今日はちらほらと見させていただきました、不安だったんでしょうね。

活動休止してお仕事を続ける方、昼夜ワンマンを全速力で駆け抜けた方、大きな会場でいつも通りのライブを行った方、応援している方たちの気持ち、眼差し、暖かさ、行けなかったライブの感想など。
何かね、音楽は暖かいなと思ったよね。
頑張れば頑張った分だけ、ちゃんと見ていてくれたり結果が付いてくるんだって。

自分は他の人にはなれないので、自分のやることにだけ目を向けた方が私は良いタイプなので最近引き籠ってますが、やっぱり人を疑っちゃダメだなと思ったよ。
疑って性格悪くなって嫌な言葉しか言わなくなるより、人を信じた方が良い、人に良い言葉をかけられたら、ちゃんと自分に返ってくるしね。
そう思いました。愛とか夢とか光とか希望って、馬鹿に見えるんだけどだいじね。

人には人の頑張り方があると思うので、私は私のことを考えて見つめて想っておりますが、回り道・暴れ道ばかり歩いてきた人生なので、あんまり他の人のやり方が参考に出来ない…




「人生は生きるに値するものだと言うことを、繰り返し繰り返し、作品の中で伝えていきたいんだ」と言ったのは、確か宮崎駿でなかったかと思うのですが、私も同じ気持ちです、
「人生は、“自分”は生きるに値する価値の在るものだ」と言いたくて、まだ此処に居るのだと思います。

これまでと違う、恐怖に脅かされないようになって、生活も仕事のおかげで安定し、優しくて素晴らしい人たちばかりに囲まれて、生きることが出来ている今、昔の私の夢だったことは、
「安心して眠れるような場所が欲しい、生きていて良いんだと言ってもらいたい、仲の良いちゃんとした“家族”になりたい」と言うことでした。
当たり前のことを普通にちゃんとこなせるように、普通じゃない状況でしか生きてこれなくても“ふつう”に出来るように、多少無理してでも押しきる、と言う形で自分のことは省みない毎日でしたが、そう言う生き方には、おそらく“しわ寄せ”はきます。

私にとっての“しわ寄せ”とは、たぶん人が怖くて恐くてメールの返信が返せなくなったり、自分のことがどうでもよく感じられたり、自分の本心の気持ちが分からなくて意味が分からず動けなかったり、本心とは別のことで何とか誤魔化して上手くいくんじゃないかと思ってみたりずるい心でしか向き合えないところ、誰も信じられなくて一度は疑うところ、人と仲良くなれないところ、自分に自信がないところ、もうそんなところに集約されているのではないか。

息が出来なくなりそうです、自分のことが嫌いすぎて、自信が無さすぎて、ふつうのことが経験出来なすぎて。でもまあ、それで良いんだと思います、それが幸せだと、器に見合った。

だから私は“遊ぶ”ことにしました、空想の中で、想像力と感じる心を目いっぱい使って、他に誰も入らない、現実に何のリスクも無い、ただただ楽しめば良い“遊び”、紙飛行機を飛ばされてきたのだから、そしたらじゃあ私は何を飛ばし返そうか、と考えたのです、そうしたら今度は歌が応えてくれて、曲が出来ました。

“バタフライ・エフェクト”、つまり「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたけば、テキサスでハリケーンが起こること」が、曲になって私のところに舞い降りてくれた。

以前サポートをしてくれていた人が「悲しくない蝶々の曲を書いてください」って言ってくれたことがあって、私は離れた人こそ忘れられない言葉と言うものが在る人間で、あああの約束も、ちゃんと叶えられたなぁ、ともう届かない人に想ってほっとした気持ちになったものでした。
“約束”は“約束”です、その人ともう会えないかも知れなくても、私は一度した約束のことを、たぶん死ぬまでずっと、律儀だと言われようとも覚えているタイプの人間です、
だって、忘れられないんだもん。

移ろう景色を、私もこの中で、ずっと見ていようと思います。
何が何でも守らなきゃならない、これを手離してはならない、これと引き換えられるものは何ひとつ無い、と思える程大事なものなんて、多分人間の短い一生の中で、同じ人間の小宇宙の中で、余り沢山多くはないのでしょう。

なにぶん欠けている人間だから、落としたものも落ちていたものも、気付いているのにどうにも出来なかったことも、沢山あって、時間をかけて漸く、消化出来たとしても、そこにはもう誰も居なかったり、取り戻せなかったり、時期が過ぎていたりするのでしょう。

でも、そんな私にも音楽の魔法は等しく舞い降りてくるもので、そこには魔法のように、過去を塗り替えたり、未来を作り上げたり出来る力が備わっています。
それは音楽のくれる、神様のくれる慈愛のようなもので、私にとってはそれが“音楽”だったのでしょう、と言うこと。

最近余りにも朝方にしか眠れないので、眠れないなら何か活動にプラスのことをしようとした結果がこのブログなのですが、
私は音楽に言葉に依存して助けられて生きてきた人間なので、やはり音楽や言葉を排出する方が、膿が溜まらなくなるような、体や心の調子も良くなるような気がする。

突き詰めたところ、大切なものなんて、そう多くは人間には無いのでしょうね。

それに出会ったのが早かれ遅かれ、現世であれ常世であれ、肉体が体感するかしないかで、魂的にはもしかしたら関係ないのかも。

だから私は世間的には負け組なのかもしれませんが、魂レベルでは誰かと一緒に手を繋いで生きることが出来た、リア充?なのかも知れない。

「この作品は作者にとってフィクションですか?ノンフィクションなのですか?」と言う問いに対して、「物語が自分の中を通る時に、作者はそれを目撃しているのだから、それは当たり前にフィクションでありノンフィクションでもあるもの」と応えた(心の中で返答した)のは江國香織ですが、私にも全く同じ感触が在ります。

その作品を作り出す時には、必ず作り手はその世界で、登場人物や風景や物語と対峙しているのです。
そしてそれを、書き写して、常世から現世まで持ってきて人々に伝える、謂わば吟遊詩人や語り部、伝い手を担っていると思う。
シャーマンと言うか、巫女と言うか、所謂そう言うもの。
何か目に見えない世界のことを人に伝える役目の人たちが旧くから存在していたこと。

私は有り難いことに神社で10年以上お勤めをさせていただいていますが、時々「神様は居るな。」と感じる瞬間は、有る。


例えば大雨のどしゃ降りの中、そこだけ燦々と晴れていたりするんです、日が照りながら雨の降る神々しい景色、時間が止まったような時間。流れる風のようなもの。

そう言う自分の特異体質を、もういいや、そう言うものなんだ、と認めることにしました、
受け容れて卑下せず責めずに自分と付き合っていく方が、自分に優しいから他人にも優しく出来るし。

“理解出来なくても、受け容れることは出来る”ことを知ったから、相手を非難することもあんまりなく、しょうがないなぁと笑っていられる気がします。

明日は仕事だから、そろそろ床について見ます。

おやすみ。






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昔に知人のミュージシャンから聞いた話で、
「デビューが決まる度に逃げるボーカルがいる。一回目のデビューが決まって音信不通になってそのバンドはおじゃんに、そのバンドメンバーが引き継いで立ち上げた新バンドのデビューが決まった矢先、またそのボーカルが逃げて、連絡が取れなくなって結局またおじゃんに、「あいつ逃げるんだよ、もうほんとあいつはダメだ(笑)」ってメンバーももう諦めてて。」
と言う話を聞いたことがある。

人には他人に理解出来ない何かしらのどうしてもみたいな強迫観念ってあるよね。

さて、ワンマンライブがもうすぐ一ヶ月後に迫ってきました。怖いです。
どうにかなっちゃうんだと思う程、私はいつもダメダメになります。

ハチクロの漫画の中で闘病中のはぐちゃんが、ストレスで腕を噛んで赤い痕が花のように散っている、と言う描写がありますが、本当にそうなってしまう時ってあるんだなぁと他人事のように困るので散歩に出、走る用ではないウェッジソールのサンダルで走り込みダッシュをして息を吐いて、漸くピアノと向かい合える精神状態になりまして。

その帰り道、横断歩道で待っている時になぜかふと羽生君は大変だろうなぁ、と思いました。
才能があって、期待されて重圧に耐えて記録に応える、私はそんな器の人間じゃないな、だから今が幸せだな、と安堵しておりますが。

フリーランスで音楽活動を気付いたらなぜか始め、辞められず途方に暮れ時には励まし奮い立たせ今年で10年になりますが、10年なんて記号でしかない、数字。
しかし遠征で出会った方が、新しくやり始めてまだ一年程、初めてのワンマンライブ前後で活動を辞めます、と言うのを見た時に、何とも言えない胸中になりました。

長く続けるのを推奨してる訳でもないけど、本当にそれで良いのかな、やりたい訳じゃないの?何でそんな簡単に辞めちゃうの?て言うか辞められるの?そんな風に、って思ってしまいます。
ただ単に私が粘着質な性格なだけかもしれませんが。
私は割りとこれが無いと絶対にダメ、生きれない、と言うものの基準でものを選んで最低限ギリギリのラインで、たぶん生活してると思うのですが(余裕はない) 、
私は、ずっとって言ったらずっとだし、二度とって言ったら二度となんだよ、って思います。
「ずっと」や「二度と」って言ったら本当で、本当に「ずっと」だし「二度と」なんだよ?
本当にそれ解って使ってるのかな、とか、潔癖なのかもしれない。

ずっと音楽を続けたいし、ずっと歌い続けていきたいです。
最後にこの歌を口ずさんで死んでいきたい、と言う曲に18の時に出会っていて、私はたぶんこのままそれを全うしてしまう人生なのかなって思っていて、もう決まってる、可笑しな程に。

産みの親や作り手として、私の曲が行きたい場所へ行けるように、届きたい場所へ届けるように、ってずっと思ってる。

そのためには、体や精神、自分をコントロールすることが何より必要で、それを今の自分に求められてるんですよね。
やり方を上手くしないとなぁ。
もう大人だから、それがきっと出来るはずだと。
アスリートの選手の密着ドキュメンタリーとか見るの好きなんだけど、あそこまでストイックになりたい。

今の時代、
作ること=クリエイター側 だけでなく、
売ること=バイヤー・セールスマン側
のやることまで全部、自分で企画・制作・決定・実行までしなければいけないし、いい加減慣れろよ、って思うのですが。
難しいけど、やるしかない、やるしかないです。

やれば出来るようになるんだろうか、仕事みたいに。向き不向きはあるけど、しっかり出来るようにならなきゃと思うんだよね。
自分の管理。

前途多難ですが、まだ言葉に出来るだけましかな、、、昔は人が怖すぎて、中々大変でした。

今の私の周りには、優しい素晴らしい人しかいないんです。
しっかり私がビジョンを描いて、決めて、実行していこう。

良いライブにします!!
ふぁいとで気合い。

その後のレコーディングも見据えて、正念場、動いていきます。




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久しぶりのブログ。

どうも、野坂です。皆さまお元気ですか?
だいぶ長い旅に出ていたような気持ち。




昨日はいつもながら井荻の中華屋さんでライブだったのですが、歌っている最中にどんどんどんどん自分を取り戻しているのが解って、「それが幸せ」では意図してなくとも泣きながら歌っていました。
自分で気付いて自分がびっくりしました。

「迷子」ってよく出てくる比喩なのですが、最近の私は正にそうだったなって思います。
私がライブ前にSEでかけてる曲もCrystal Kayの「LOST CHILD」だしね。(LOST CHILD=迷子の意)
本当の迷子って、自分が迷子だって自覚無いんだなぁー、だってそれすら解らないんだから、迷い過ぎて、混乱して。周りも自分のこともとっくに見えてない、半ばパニックだったり、自暴自棄だったり。

私は長らく、ずっと、今の今まで迷子だったと言うことです。


そして無理に言葉を発することをやめてました。
言葉に置き換えようとすると、誤解が生まれたり、ちぐはぐにすれ違ったりして、何だか可笑しいなぁと笑けてしまえたからです。
ああ可笑しい、私もあなたも、必死なのにすれ違ったり離ればなれになったり、嘘でしょ?って信じられなくなったり、ずるい所が見えてしまったり、でももう何でもいいや、って楽観的に思えたり。

一つ言えることは、本当に自覚なく上手く眠れなくなったりとか、どうしたら良いか解らなくなった時に、音楽に飛び込んで、音楽に救われた経験が直近で二回ありました。

昨日と、あと今月?先月?5月?くらいに、もう泣いて泣いて、やっと大丈夫になる瞬間が。

しかし、私達はお互いが鏡で在るが故に、もう既にちょっと前の私を写し取っていて、それが少し時を置いてぽんっ、と私に届けられると予想以上にショックがでかくて。
私も結局、今のあなたじゃなくて、去年の春頃とかの、今じゃないあなたを写し取って見て、ショックを受けた訳だし。
もう本当に、お互い様と言うか、おあいこと言うか、そう言うものだなぁと思った次第で。

そしてずーーーーーっと苦しかったのですが、この鏡に映っているのは自分だ!!!!!と確信を得ました。
そしてげらげら笑いました。そうだったのかぁ、おかしい、って。
いつもそんな感じです、解る時はずっと後で、解る瞬間には心があほなくらい、するっと解るのです。

ずっとずっと、同じところをぐるぐる廻る犬みたいに、くるしかったね、お互い、と相手を労うような気持ちになりました。
もういいから、喧嘩せずに、終わりだなんて言わないで、別に水に流して、仲直りして、仲良くしようよ、と。
だって私達が望んでるのってずっとそれだけじゃん、遠回りしてさ。

回り道してもいいのよ、ちゃんとたどり着けたら、言うことないんだからさ。

聞き分けの無い子供が、もう必死で考えたり何も考えてなかったりで、もうほんとに面白いなぁ、と思った訳です、私の人生。

そして唐突に、幸せだなぁ、と思いました。

別にいいんだこのままでも、と思ったんです、だって今、しあわせだから。

こんな風に自分が息を出来てるなんて、働けてるなんて、歌えてるなんて、笑えてるなんて、話せてるなんて、動いてるなんて、誰が予想した?誰も分からなかった、でも手に入れた、私の人生、未来。
そしたらきっと、何でも出来るし、何もかも変わってゆける。私は自由だ、自由の意味をちゃんと解ってなかったけれど、今は何となく、解るような。
言葉に縛られ過ぎていたのか、私が言葉を縛っていたのか。
言葉ってたぶん、そのイメージの意味を、一番意味の通じる近いものに、形に当てはめたような。それだけがそれを全て表すんじゃなくて、あくまで結果に過ぎない。全部が使われているのが大事なんだなぁと

一回言葉から離れてみて、別の言葉の見方を知りました。
憑き物が落ちるような、心が洗われるような、足を踏み出してみて、ふと手が触った瞬間に落ちた鱗のような。
ああ、私、歩くのが苦手だったのは、人魚だったからか、それなら納得、でも今は尾ビレを乾かしてちゃんと足があるんだから、これからは無理の無い範囲で、努力すればもっと、歩いて行けるぞ、築いていけるぞ、道を、走って行けるんだ、って気付いて、笑うみたいな。

そう、あれです、「魔女の宅急便」の中で絵描きのウルスラが、「描けなくなったら描くのをやめる!また描きたいと思うまでほっとく、そしたらまた、自然に描けるようになってる」と言うのと同じみたいに。

私は幸せなんです、それなのにその私が、その幸せを享受しないで幸せだって認められないで、不幸みたいに泣いても意味ない。

幾ら私がツンデレで、ひねくれてこじらせて逆のことを言ってしまう性格でも、それはよくない。全くもってよく分からないし、すごく損してる。
そんな風に客観視して、気付けたり別に明確に気付くとか言葉にしないくらいでも、自然と肌に感じ取ったり、馴染んだり。

何がなんでも明確に!これがこうでなければダメ!今を逃したら!はい、終わり!ではないんですね、人生とか、気持ちって。そんな風に魂振り絞ってギスギスになって、使い物にならなくなったら死んでいく、みたいな、そう言うものでもなかった。それを知らなかった、今まで。
なんかなぁ、と思う訳です、狭い世界で、自分を無理矢理そこに閉じ込めようとして、生きてたなぁ、と。
期限を決めるとか約束がどうしても欲しいとか、別にそんなんじゃなくても続けていけばいいんです、全てがすべて、そんな風に決まり事みたいに決まってるはずじゃない。

もっと広く、おおらかに、何も考えずに今だけ、今この時の自分の気持ちだけ、見てみなよ、自分は何て言ってる?何がしたい?どうしたい?のか、解るはずだ、だって自分の中に自分は居て、一番自分を解ってるはずだから、まずはそう、見つけてごらん自分を、話はそれからじゃなくて?

何かずっと訳が分からなくて崇高なことを上から言われてるようで馬鹿にしないでよって喚いて考えて考えて困った、みっともなかったなぁ自分、でも、必死で可愛かったな。そんなものだよ、人生って。

そんなようなことを、言葉にしないまま、無理矢理言葉と言う形に押し当てないまま、頭の中に漂う空気とか気分とか感情とか、そう言う理屈じゃない物の見方を学んで、気付いたら呼吸するように息づいて。
何となく、こうじゃなかったものかなぁ、こう言うのを言いたかったんじゃないかな、って反芻してる。

自分の中に、自分しか居ないと、とても気持ちがいいです。
何も誰も比べず気にせず、こんな、こんな時間、今までなかった。

少しずつこうしてこうやって、言葉にしていくのかもしれないし、歌になるのかもしれない、
でも何にせよ、一番、私はずっと表現をして生きていくのだと思う。
自分の内面を、そこに現れた何かを、忘れられないものを、記憶を、体験した出来事を、全部自分で記して生きていきたい。

人生の中で数字としても、一区切りつく記録の年です。

夏が終わってただ過ぎていくのを、面白いように見ていようと思います。

夏だなぁ、実は私は、夏がとてもすきかもしれない。





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自分と向き合うのってこんなにこわいし、
自分を知ることもこんなにおっかなびっくり、
それも自分と向き合う誰かが鏡になってやっと、自分のことが見えたり解るようになれるのだから、
これだから自分の人生は、ハードモードプレイ中だと思うわけです。

誰かに嫌われたくないとか、誰かに拒絶されたくない、傷付きたくないとか、もう疾うに捨てたと思ってた感情の筈なのに、今あなたの鏡に照らされて見える私の姿は、まるでそれの固まりのようだ。
こわくてびっくり、おびえて震えそうに隠れたい、わたし。
自分のしたことすべて悪いことだと思っている、誰に対しても謝りたい(謝ってどうする)、私を包み隠さず映すから。

それは鏡なんだと思うんです、私たちはお互いに鏡を持っていて、それに映すことによって自分の姿が分かるし、やっと、探してた失くしてた自分を見つけられるの。

自分が醜くて年老いて諦めていた部分が、未だ使い物になるってこと、すごく本当は綺麗なんだってこと、恐がらないでただ、一緒に笑っていたいだけなのに。

こんなにこわくなるなんてって云われたけど、全然ピンと来てなかった、
一瞬の幸福の後に、一年分の恐怖が襲ってくるみたいな。
それに打ち克つ誰にも左右されない、自分だけの答え、自分だけの意思が、たぶん今必要で。
この先絶対にそれが無いと進んでいけないから、装備必須の武器のようなもので。

私は今本当に自分と向き合うことを求められてる。

私は何をしたいのか、私はどうしたいのか、私はどう思うのか、私は何が出来るのか、“私”のこと。

私と向き合う為の力を今まで全然持って来なかった、でももうそれは違う、私はそれが出来るから、今やるべきこと、今の自分に必要なものを見つけ出すことが大事で。
誰に何を言われてもめげない“これは自分の選んだもの”と云う絶対的な自信が必要。

私は本当に自信が無くて。
強くもなくてみすぼらしくて、って思っていたけれど、
一番簡単な“自信”を持てるやり方って、ただ「これは絶対に誰にも左右されないで、自分が選んだものだから」って言い切る意思を持つことなんじゃないか。

強くなるのを待つ必要も、何かをしなければならないリスク&リターンでもない、
「ただ“自分で全て選ぶこと”をするだけ」の簡単なやり方。
これだけで私は「大丈夫、自分で選んで決めたんだから」って“自信”を持つことが出来る。

今まで自分に自信が無くて怖くてこわくて恐かったけど、気付いてみれば、こんな簡単なことだったとは。

でもこんな簡単なことが難しいのよ、皆がみんな出来ることで無いの。
だって誰かの所為にしたくなるし、それが出来るもんね、責任のなすり付け合い。大人のよくやる得意技。でももう、それとはおさらばだ。

もっと上手く云いたかったなぁ、とか、
全然ちゃんと云えなかったな、とか、
伝えたいのに伝えられなかった、とか、

言葉で云えば何もかも伝わると思ってた。

10年経って、でも私は「歌を唄うと云う武器」を手に入れたから。
割とこれが最強装備で、誰にでも出来ることじゃないもの。
そして、私の向き合うべき相手は、はなからこれを標準装備していて、一緒に遊べる相手をずっと、ずっと待っていて探してた節がある。

「紙飛行機を飛ばそうよ、飛ばしてみたら必ず届くから、ね、面白いよ?
一緒に飛ばそう、飛ばしてみよう、
僕と遊んで」
ってにこにこ笑う子に、私は出逢ったのだ。
だから、先ず紙飛行機を書いて、私も飛ばさなきゃならない。
必ず受け止めるし、必ず受け止めてもらえる人だから、それは信じなきゃ。



と云うことまで考えられるようになったのは、幼なじみが描いたこの絵がきっかけだったりする。
どうしてこう、モチーフが重なったり、ヒントとなるアイテムがそこらかしこに出て来たりするんだろう。
それは本人たちには全くの偶然、意図してなくて、神様が少しだけ糸を引っ張るように。
物事は少しだけ、神様の手のひらの上。

私は世界の真実のような、世界の秘密をあの頃知ってしまったから
それは私と神様の約束のようなもので、決して覆されない何か。
私の知り得たものは、誰にでも起こる不思議なことで、でもみんな見えないように見ないようにわざとしているもの。
何の疑いもせずにただの子供や馬鹿みたいに、曇りのないフィルターを通さない自分の瞳で物事を見れば、何が本物か解るもの。
私は世界の秘密を、神様にちょっとだけ、あの頃教えてもらったのだ
と、時間が経って大人になった今、わかるのよ。

これを綴って少しだけ、心が穏やかになった。
帰ろう、眠れる場所の家まで。

私もあなたも未だ、迷子みたいな旅路の途中だ。


パラパラと雨が遠くで降る音がするけど、私はもうひとりでは無いのだ。







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