第4回 北区の読書会 第一部 内容




8/30(日)第4回読書会 第一部を10:00~13:00で実施しました。

参加者は3名です。

今回の課題図書は『西の魔女が死んだ』(梨木香歩著)です。

常連メンバーのため、自己紹介は割愛です。

早速、いつものようにキャラクター分析から入りました。



1、まい

■相手の事情に思いをはすことができず、自分勝手に思い込むような自己中心的な性格だ。

■自己中心なのは、ある程度この思春期は当たり前で、賢い大人びた子である。父親を客観的に見ているし、目の前で起きていることを真面目にとらえている。神聖なところに入られたことで傷つくところは普通の子である。

■日常でもホームシックにかかることから、感受性が強すぎる子である。常に安心できる場所を持っていない。



2.おばあちゃん

■演技力を持つ理想的な教育者である。常にぶれない祖母にまいは安心している。

■自己や他者を肯定する愛の人。



3.ゲンジ

一般人である。生々しくて清潔感のない現実にいる人。まいが逃げてきたところに一般人がいたので、以前いた日常と同じような気持ちにさせる。

■まいの成長のためには必要なキャラクター。日常に感じていた違和感をゲンジとの対応でまいは自身と向き合うことができた。



4.母親

意図的な放任主義者である。母子密着がおそらく強かったので、母親も感受性が豊か。そのために自分の過去に感じた息苦しさをまいに感じさせたくない。

■まだ子供である。母親自身がまいにどう接したらよいかわからずに、図らずも放任の形を取っている。



5.父親

■人に対して丁寧な対応を心がけようとする誠実な人。

本質を外すところがある上辺だけの天然器質である。

■母親の放任、父親の形式的なところで育っても、まいはうまくやっていくことができそう。






続いて、テーマ分析です。

■体験して意志の力で魂を成長させる





その他にも、魔法は本当に存在するのか?というところで意見が分かれました。

魔法というのは、おばあさんがまいを成長させるために例えとして使った言葉であり、実際には意志の力を指す。

魔法自体は、科学的なものであり、そうした科学の引き出しを使っているに過ぎない。

魔法は存在する。おじいさんの「右へ」の話やおばあさんの「魂脱出のメッセージ」が非科学的な魔法である。





銀龍草は何を表しているのか?というところで、実際に銀龍草は存在し、日本各地に生息し、光合成をおこなわないので、共生植物である。よって、銀龍草は「共生・共感」といったテーマを象徴している可能性がある。

がテーマになっている部分もあり、おばあちゃんの魂はどこに行ったのか?という部分については解答が見つかりませんでしたが、もしかしたら、銀龍草の中にあるのかもしれない。銀龍草の花言葉は「そっと見守る」なので。






今回の書籍は、3名ともに成長物語として非常に良かったという感想でした。

ただし、分析という点においては、男性陣には難しかったようで、女の子特有の感情の揺れ動きをうまく言葉に表現できませんでした。

また今回は長編を扱った関係上、3時間では深く煮詰めることが出来なかった部分もありました。




はじめての現代小説でしたが、現実的にもありそうな話なので、感情移入がしやすい反面、客観的な分析がお粗末だったような気もします。