【歪みの構造 社保庁問題】(下)年金に群がるアリ | 香りを感じる

【歪みの構造 社保庁問題】(下)年金に群がるアリ

年金給付以外に消えた保険料総額は、10年から17年の8年間だけでも7兆7500億円を超す




 年金特別会計からは、カネが無尽蔵にわいて出てくるとでも思っているのだろうか。年金保険料の無駄遣い問題の経緯をひもといてみると、特別会計の魔力に引き寄せられて群がってくる厚生労働省のキャリア官僚や政治家、業者らの姿が浮かび上がってくる。

 「あんなに大きなのは日本中にそんなにいらないというので、本当は3カ所だった。岩手の田老、新潟の津南、兵庫の三木。それがいろいろ要望が強くて結局10カ所(※実際は13施設)になった」

 年金局長を務め、大規模年金保養リゾート「グリーンピア」の発案者を自任する横田陽吉氏らの昭和63年の著書「厚生年金保険制度回顧録」の一節だ。

  グリーンピアは、旧厚生省の特殊法人「年金福祉事業団」(現・年金積立金管理運用独立行政法人)が全国13カ所に建設した。約300万平方メートルの敷地 に宿泊施設やゴルフ練習場、プールなどのスポーツ施設を完備。経営に失敗した一因は、採算を度外視して“政治圧力”で建設が進められた点にある。グリーン ピア構想が生まれた昭和40年代後半。列島改造ブームの中、国民から集めた巨額の年金積立金にも当然目が向けられた。

  年金給付を受ける高齢者だけでなく、保険料を支払っている現役世代も恩恵に浴せる事業が必要だ-というこじつけの論理により、昭和34年3月の衆院社会労 働委員会は全会一致で「積立金の運用については被保険者に利益が還元されるよう格段の配慮を加える」との付帯決議を採択した。

 大義名分さえあればあとは怖いものはない。

  具体的な建設計画づくりの段階になって、「多くのグリーンピア建設が厚生関係議員の利益誘導や官僚の天下り先確保の道具として利用された」(民主党関係 者)。あるベテラン議員は「13のうち7つか8つは厚相経験者ら政界関係者の地元に誘致されたはずだ」と述懐する。「グリーンピア岩沼(建設費約79億 円)は横田氏が昭和51年の衆院選で旧宮城1区から自民党公認で立候補するための『おみやげ』として計画されたと聞いている」と証言する政府関係者もい る。

 その後、グリーンピアは社会問題化し、平成17年12月までにすべて地元自治体などに売却され た。売却額は13施設で計48億円。建設費1943億円に大規模修繕費や固定資産税などの維持費を加えた3679億円もの保険料が消え、無駄遣いの殿堂と して後世に悪名を残す存在となった。

 「無駄遣いといわれるが、そんなことはしてません。たたき売りしたわけでもないことをご理解いただきたいです!」

 今月21日、超党派の国会議員でつくる「公共事業をチェックする議員の会」で、和歌山県の「グリーンピア南紀」の説明に来ていた厚労省幹部は終了間際、荒々しく席を立った。

 破綻(はたん)したグリーンピア南紀は地元自治体に譲渡後、格安の値段で再譲渡されようとしている。

 砂糖に集まるアリのように保険料に群がったのは、政治家や高級官僚だけではない。社保庁本庁採用のノンキャリア職員が保険料を裏金化して宴会費やタクシー代に流用してきた事実が平成17年以降、次々と発覚した。

 社保庁主催で年金週間コンサートやエアロビクス大会を開催したことにして、架空の大会出演料や審査員への謝礼金などを6年間で計約6億円計上。一部が裏金となった。社保庁のパンフレット作製でも、印刷業者側から「監修料」を受け取り、組織的に裏金としてプールしていた。

 裏金は、職員の飲み食いだけでなく、「政治家らの会合費にも回されていたようだ」(厚労省OB)という。この裏金システムはノンキャリア職員の間で代々引き継がれていった。

 社保庁と業者との蜜月ぶりにも疑惑の目が向けられている。

  政府は紛失した年金記録の突合のため、NTTデータと日立製作所に新ソフト開発の発注を決めたが、今月14日の参院厚生労働委員会で両社にオンラインシス テム開発当初から総額1兆4000億円という巨額の開発費などが支払われてきたことが明らかになった。両社とその関連企業に、厚労省と社会保険庁から少な くとも15人が天下りしていたことも判明した。

 社保庁の社会保険業務センター三鷹庁舎も月額9200万円(18年度)の賃貸料でNTTデータから借り上げたもので、「相場と比べて高い」といわれる。

 国家財政が厳しさを増す中、年金保険料はいつの時代の政治家や官僚、そして業者にとって魅惑的だ。年金給付以外に消えた保険料総額は、10年から17年の8年間だけでも7兆7500億円を超すとみられている。

 この企画は、佐々木美恵、比護義則、杉本康士、河合雅司が担当しました。

(2007/06/28 09:20)





産経



マンガで読むびっくり仰天!年金浪費



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asahi.com:「年金、本人確認が早道」 社保庁長官ら街頭PR


歴代厚生大臣の地元になぜか、グリーンピアが・・。
損保会社から助っ人で呼んだ村瀬長官の時に年金崩壊を国民に告げる。

歴代社会保険庁長官以下かつての幹部クラスから退職金を取り上げ、街頭でビラまきさせろ。すべてはそこから始まる。

写真の中で「社会保険庁です」と横柄な態度で看板を掲げている社会保険庁職員の年金は(この職員がたとえ今、この瞬間に亡くなっても遺族年金の分まで)サラリーマンとは別にきっちりと確保されている。


これで怒らなかったら21世紀も日本人はひどい目に遭うだろう。
ここまでなめられている親をみた子供たちが非道に育ったとしてもオレはもう言葉もない、同情もしない。




消えた年金の“元凶”社保元長官、田園調布豪邸直撃

 
退職金は返還せず

田園調布に建つ正木氏(顔写真)の自宅
田園調布に建つ正木氏(顔写真)の自宅
 社会保険庁という名の役所の、あまりの無能・無機能ぶりに、歴代長官の「退職金返還」という責任追及論が浮上している。国民の怒りが沸点に達している約 5000万件もの「消えた年金」問題。照合作業を難航させている元凶が「入力済みの手書き台帳を破棄せよ」との通達だ。この当時の正木馨元社保庁長官 (76)は、今何を思うのか、直撃した-。

 「他人事のように受け取られると困るが、この問題を知ったとき、『大変なことだ』と思った。年金保険料を納めた人の記録が十分に把握されず、給付に結びつかない。一体どうなっているのか、と。社保庁にいたものとして残念で遺憾。できるだけ速やかな解決を祈りたい」

 4日午後、正木氏は東京・田園調布駅から徒歩5分の豪邸で取材に応じた。東大法学部を卒業後、1954年に旧厚生省入省。85年8月から86年6月まで、社保庁長官を務めた。 

 「消えた年金」問題は、手書きの台帳をコンピューターに入力した際に膨大なミスが発生したことが原因の1つ。加えて、十分なチェックもせずに台帳を破棄したため、現在の照合作業が難航している。この破棄通達は、正木氏が在任中の85年9月に出された。

正木馨氏 正木氏は「20年以上前なので、どんな協議をしたか細部は定かではない。ただ、『コンピューターの入力は完璧(かんぺき)にするのが当然。万全の措置を取るように』と言っていた。『それができれば台帳を破棄してよろしい』という意味だった」と釈明。

 そのうえで、「結果として事務処理や作業で万全さが欠けていた。それが何年も積み重なった結果だ。事後処理についても、早く気づけば戻って調べるなど、もう少し手を打てたものもある」と語ったが、まるで評論家のように聞こえたのは気のせいか。

 その正木氏は、超高級住宅街に自宅を構える。民主党の細野豪志衆院議員が国会で指摘したところによれば、正木氏は長官退官後4法人を渡り歩き、少なくとも2億9000万円の退職金を受け取った。現在は、財団法人の非常勤理事長を無報酬で務めている。

 田園調布の自宅は木造2階建て延べ約275平方メートル、「不動産価値は土地建物と合計で約4億5000万円」(地元不動産関係者)ともいわれ、妻と息子夫婦、小学生の孫2人と暮らす。

 内閣支持率の急落など、政権運営に大打撃を受けた安倍晋三首相は「歴代社保庁長官を含め責任を明らかにする」と明言。自民党内にも「歴代長官の退職金を取り上げろ」(中堅議員)といった声が根強い。

 これに対し、正木氏は「責任の取り方は難しい。政府、厚労省、国会で責任問題についてもどうすべきか検討している。当事者としては見守り、結果を重く受け止めるとしか言えない」と自らの責任は認めつつも、退職金の自主返還については否定した。

 ちなみに、正木氏は、いま問題となっている国民年金や厚生年金よりも優遇されている「国家公務員共済年金」を受給している。これについては「こっちの船は安泰だ、と思う人はいない。国民年金、厚生年金について、なんとか解決してほしいというのが、公務員含めてみんなの願望だと思う」。質問に対して、逃げも隠れもせず淡々と語る正木氏だが、国民はどう思うのか。

 

【歴代の社会保険庁長官】
石野清治 80年5月~81年8月
山下真臣 81年8月~82年8月
大和田潔 82年8月~83年8月
金田一郎 83年8月~84年8月
持永和見 84年8月~85年8月
正木馨  85年8月~86年6月
吉原健二 86年6月~88年6月
下村健  88年6月~89年6月
小林功典 89年6月~90年6月
北郷勲夫 90年6月~92年7月
末次彬  92年7月~94年9月
横尾和子 94年9月~96年7月
佐々木典夫96年7月~98年7月
高木俊明 98年7月~01年1月
中西明典 01年1月~02年8月
堤修三  02年8月~03年8月
真野章  03年8月~04年7月
村瀬清司 04年7月~


ZAKZAK 2007/06/05


ZAKZAK