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「年金、本人確認が早道」 社保庁長官ら街頭PR


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歴代厚生大臣の地元になぜか、グリーンピアが・・。
損保会社から助っ人で呼んだ村瀬長官の時に年金崩壊を国民に告げる。

歴代社会保険庁長官以下かつての幹部クラスから退職金を取り上げ、街頭でビラまきさせろ。すべてはそこから始まる。

写真の中で「社会保険庁です」と横柄な態度で看板を掲げている社会保険庁職員の年金は(この職員がたとえ今、この瞬間に亡くなっても遺族年金の分まで)サラリーマンとは別にきっちりと確保されている。


これで怒らなかったら21世紀も日本人はひどい目に遭うだろう。
ここまでなめられている親をみた子供たちが非道に育ったとしてもオレはもう言葉もない、同情もしない。




消えた年金の“元凶”社保元長官、田園調布豪邸直撃

 
退職金は返還せず

田園調布に建つ正木氏(顔写真)の自宅
田園調布に建つ正木氏(顔写真)の自宅
 社会保険庁という名の役所の、あまりの無能・無機能ぶりに、歴代長官の「退職金返還」という責任追及論が浮上している。国民の怒りが沸点に達している約 5000万件もの「消えた年金」問題。照合作業を難航させている元凶が「入力済みの手書き台帳を破棄せよ」との通達だ。この当時の正木馨元社保庁長官 (76)は、今何を思うのか、直撃した-。

 「他人事のように受け取られると困るが、この問題を知ったとき、『大変なことだ』と思った。年金保険料を納めた人の記録が十分に把握されず、給付に結びつかない。一体どうなっているのか、と。社保庁にいたものとして残念で遺憾。できるだけ速やかな解決を祈りたい」

 4日午後、正木氏は東京・田園調布駅から徒歩5分の豪邸で取材に応じた。東大法学部を卒業後、1954年に旧厚生省入省。85年8月から86年6月まで、社保庁長官を務めた。 

 「消えた年金」問題は、手書きの台帳をコンピューターに入力した際に膨大なミスが発生したことが原因の1つ。加えて、十分なチェックもせずに台帳を破棄したため、現在の照合作業が難航している。この破棄通達は、正木氏が在任中の85年9月に出された。

正木馨氏 正木氏は「20年以上前なので、どんな協議をしたか細部は定かではない。ただ、『コンピューターの入力は完璧(かんぺき)にするのが当然。万全の措置を取るように』と言っていた。『それができれば台帳を破棄してよろしい』という意味だった」と釈明。

 そのうえで、「結果として事務処理や作業で万全さが欠けていた。それが何年も積み重なった結果だ。事後処理についても、早く気づけば戻って調べるなど、もう少し手を打てたものもある」と語ったが、まるで評論家のように聞こえたのは気のせいか。

 その正木氏は、超高級住宅街に自宅を構える。民主党の細野豪志衆院議員が国会で指摘したところによれば、正木氏は長官退官後4法人を渡り歩き、少なくとも2億9000万円の退職金を受け取った。現在は、財団法人の非常勤理事長を無報酬で務めている。

 田園調布の自宅は木造2階建て延べ約275平方メートル、「不動産価値は土地建物と合計で約4億5000万円」(地元不動産関係者)ともいわれ、妻と息子夫婦、小学生の孫2人と暮らす。

 内閣支持率の急落など、政権運営に大打撃を受けた安倍晋三首相は「歴代社保庁長官を含め責任を明らかにする」と明言。自民党内にも「歴代長官の退職金を取り上げろ」(中堅議員)といった声が根強い。

 これに対し、正木氏は「責任の取り方は難しい。政府、厚労省、国会で責任問題についてもどうすべきか検討している。当事者としては見守り、結果を重く受け止めるとしか言えない」と自らの責任は認めつつも、退職金の自主返還については否定した。

 ちなみに、正木氏は、いま問題となっている国民年金や厚生年金よりも優遇されている「国家公務員共済年金」を受給している。

 これについては「こっちの船は安泰だ、と思う人はいない。国民年金、厚生年金について、なんとか解決してほしいというのが、公務員含めてみんなの願望だと思う」。質問に対して、逃げも隠れもせず淡々と語る正木氏だが、国民はどう思うのか。

 

【歴代の社会保険庁長官】
石野清治 80年5月~81年8月
山下真臣 81年8月~82年8月
大和田潔 82年8月~83年8月
金田一郎 83年8月~84年8月
持永和見 84年8月~85年8月
正木馨  85年8月~86年6月
吉原健二 86年6月~88年6月
下村健  88年6月~89年6月
小林功典 89年6月~90年6月
北郷勲夫 90年6月~92年7月
末次彬  92年7月~94年9月
横尾和子 94年9月~96年7月
佐々木典夫96年7月~98年7月
高木俊明 98年7月~01年1月
中西明典 01年1月~02年8月
堤修三  02年8月~03年8月
真野章  03年8月~04年7月
村瀬清司 04年7月~


ZAKZAK 2007/06/05


ZAKZAK




 94年9月~96年7月の長官の横尾和子氏は現在、最高裁判事。日本で最初に最高裁判所裁判官国民審査で罷免される裁判官になったら・・私もビビる。


村上龍の処女作、限りなく透明に近いブルーは原題、「クリトリスにバターを」だったと昔の飲み仲間が楽しそうに語っていたのを今思い出したが、こんどの
最高裁判所裁判官国民審査では「投票用紙に×印を」で、決まりだね!

と、思ったがいい人だったら困るので 


横尾和子裁判官


↑これみて(今、酔ってますので・・)明日決めることにします。


 

限りなく透明に近いブルー



2005.09.16

裁判官の名前を覚えましょう!

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