大正の100円白石に脈々 無税化目指し当時の町長寄付 | 香りを感じる

大正の100円白石に脈々 無税化目指し当時の町長寄付



 1926年(大正15年)5月、当時の宮城県白石町長が住民の無税化を目指し町に寄付した100円が、郵便貯金として白石市に脈々と受け継がれている。203年経過すれば、利子だけで財政がまかなえる―という壮大な計画だ。貨幣価値が変わり、願いは実現しそうにないが、市幹部は先人の志を胸にしっかり刻んでいる。

 100円を寄付したのは、旧白石町18代町長の菅野円蔵氏。1859年、呉服商の長男として生まれ、製糸業も手がけた。その後、肥料業や金融業へと商いをかえ、相当の財を成した。1923年10月から1926年5月まで町長を務めた。

 菅野氏は寄付した100円を郵便貯金として預金し、「203年間払い戻しなどの処理をしてはならない」との条件を付けた。市によると、大正時代の町の財政規模は年間10万円ほど。100円を203年預金したとして、当時の利息5分4毛(5.04%)で計算すると、元利は約212万円に上る。これを原資にすれば、利子は年10万円を超え、町税を徴収しなくてもやりくりできる、という考えだったようだ。

 菅野氏の2代後の鈴木俊一郎町長は1932年、「203年貯金の件」と題する趣意書を記した。以来、現在に至るまで歴代三役が就任と同時にこの巻物に署名、なつ印する習わし。市長名義の郵便貯金の通帳は代々、収入役が保管責任者で、残高は財政調整基金扱いとなっている。

 同市益岡町の神明社境内には「203年据置郵便貯金碑」がある。貯蓄の大切さを忘れないよう菅野氏自らが建立したと言われ、市会計課職員や白石郵便局員が折に触れ、清掃している。

 風間康静市長は任期初日に当たる2004年11月14日付で、趣意書に署名した。現在の残高は元利合わせて3535円。貨幣価値が変わり、目標達成はさすがに困難だが、「壮大なロマン。町のことを思う気持ちには頭が下がる。足元ばかりを見ず未来を見据えよ、という戒めにもなる」と志を受け継ぐ決意を語った。
(河北新報) - 7月13日7時4分更新

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