被災地を訪れて | siennaのブログ 〜羽生君応援ブログ〜

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羽生結弦選手の現役時代をリアルタイムで体験できる幸運に心から感謝しつつ、彼のスケートのここが好きあそこが好きと書き連ね、ついでにフィギュアにも詳しくなろうと頑張る欧州住まいのブログ主です。

 なかなか日本に帰る機会のない自分ですが、いつか被災地を訪れたいという思いはずっとありました。そしてKさんも、津波の被災地区は是非見て欲しいと最初から予定に組み込んでくれていました。地元の住民にとっては、見て様子を確かめたくても気持ちの負担を考えればなかなか足の向く場所ではありません。仙台巡りの二日目、雨も激しいなか終日運転を続け疲れているであろうKさんに、時間的に帰路で渋滞するかもしれないし最後の目的地である閖上地区は省いてもらっても…と持ちかけると、Kさんは、人を案内する時でもないと自分もなかなか来れないから、と言いました。

 最初に向かったのはゆづが老人と言葉を交わしたあの石巻市日和山公園。私たちは車で到着しましたが、あの日ここへ逃げてきた人々は、この標高56mの山を追い立てられるように徒歩で登ってきたのでした。やっとの思いでたどり着いた場所から、眼下に繰り広げられる信じがたい光景を見守っていたのです。






[石巻市門脇・南浜地区] 日和山(56メートル)の南側に位置し震災前は約2000世帯、約4700人が暮らしていた。震災で死者389人(石巻市全体の12%)、行方不明者150人(同35%)と市内で最大規模の被害を受けた。市は門脇に災害公営住宅や宅地を造る一方、南浜全域を災害危険区域に指定。宮城県と復興祈念公園を整備する。河北新報より)

 がんばろう石巻の看板が立つ場所。この4月に2代目の看板に新調されたとのこと。






 その後、松島を経由して次に向かったのは名取市閖上地区。津波で住民の5分の1が亡くなるという、ここもまた大きな犠牲が払われた場所です(閖上地区・大津波の証言)。

 見渡す限りの更地で、道はオフロード。降り続く雨の中をKさんのファミリーバンがガタガタと茶色い水しぶきを上げながら進んでいきます。土地や道路が所々かさ上げされているのが目につくものの、工事は進んでいるのか中断しているのか判然としない感じでした。海に面し水に囲まれたこの場所も、このぐらいかさ上げすればまた人が安心して住めるようになるのだろうか…そう考えながら、雑草の生えた盛り土を車の中から眺めていました。

 閖上地区にはもう一つの日和山がありました。こちらは標高6.3mの人工築山。頂上に生えた木の痕跡から、山頂からさらに2.1m上の位置まで津波が押し寄せたことが判明しています。そこにあった神社の社殿は流されてしまいました。今は再建され、閖上地区の鎮魂の場となっているそうです(ウィキペディアより)。






 震災遺構の旧鈴木邸は空港寄りにありました。海岸の松林が見える場所です。Kさんは実はこの名取市の出身で、閖上地区に来てから何度か「松がすっかり減ったのが自分にはとても不思議な光景に見える」と言いました。海岸の松林は全く無くなってしまったわけではないけれど、津波前は今とは比べものにならないくらいたくさん生えていたそうです。






 鈴木邸から、鈴木氏も避難して3日を過ごしたという仙台空港に向かいました。すぐの距離です。私ともう一人のゆづ友さんはここから電車で仙台市内に戻るため、Kさんとは空港でお別れしました。空港にはANAのカウンターにゆづの金メダルパネルが飾ってあったり(先日空港を訪れたゆづ友さんによるとこのパネルが無くなっていたとか)、飛翔展の名残の展示があったりで、羽生くんの笑顔に気持ちがパッと明るくなったのでした。彼の繋いでくれた縁がなければここに来ることもなかったかもしれないと思いながら…。