「ボンジュール!」「マドモアゼル!!」…って言うもんだから、
フランスの映画なんだって思って聞いていたら、あの鼻濁音がちっとも聞こえない…
あ…これ、ディズニー映画だもんね~と納得…
定番のお城や王子様が出てくるストーリー、ミュージカル…
中世のオペラとかも、こんな感じで人々が劇場で楽しんだのだろうね~
実写版『美女と野獣』…
どうも人が感動するツボというかパターンというのは決まっているようだ。
銭湯だって、流行ってるところはやっぱ”定番”だしさ…
風俗や、いやいや毎晩の”秘め事”だって、同じパターンでないと…ってか…
最後のシメは、アレでないとさ…(何の話だってのww)
料理でも、音楽でもそうだしね…
「泣けるドラマ」も「ヌケるエロ動画」も、同じ道理がはたらいているんだろう…
「興奮するものか!」と思ってても、そうはいかず…
「泣くものか!」と思ってても、そうはいかないもんだね…
野獣役のダン・スティーヴンスは毎日重たい野獣コスチュームを着ての撮影で気を失いそうになるほど大変だったって言うのだけれど、ちょっと打ち解けてからみせるやさしいまなざしがなんとも言えない。
「こんな化け物からの申し出を、ベルは受け取ってくれるだろうか?」と悩む気弱な表情…
自分にも覚えのあるような狂おしい思いの記憶が甦ってきて涙してしまったよ…
「一瞬を永遠に変えるのは愛」とか、「内面の美しさ」とかね…
これらは「真実」なのか、それとも人々が「信じたいもの」なのか…
そんな都合のいい「愛」など存在せず、「永遠の愛」なんかも存在しない…
だから、ひととき”夢”をみて、慰めるってことなのかな…
やっぱ、風俗だの、エロ動画だのと、どこか共通している…
みんなそんなものどこにもないと思いつつ、
ないはずのものを提供してもらって「気持ちいい」と思うわけでしょ。
風俗嬢が、ときどき本当の愛とは何かわからなくなってしまうように…
映画なども、現実の愛というのが何かわからなくなってしまうようなことはないのだろうか?
こうしたエンターティンメントは、人々の快感不快感や喜怒哀楽の感情を動かす…
そして、虚構をいまそこに存在するように映し出す…
感覚や感情というのは、このように”操作”されうるものでもある…
現実にないものでも、感覚や感情を、そこに喚起させることができる…
だから、自分の感覚や感情に頼りすぎるのは危ないよね…このマンガのように…
たとえば、こんなふうに別れてみて、涙が出たかどうかなんて”証拠”になる?
初めからわかっていたことだけど、理由をこしらえただけのような気もするね…
だいたい…
悲しいから泣くとか、寂しいから泣くとか、ホントにそうなんだろうか?
一般の人々は、感情を何かの”証拠”としてみようとばかりするんだけど?
妻や子供と別れたからといって、私は泣きはしなかった…「ああ、そうか」と思っただけだ…
しかし、この前夢に子どもが出てきて「お父さん」と呼んでくれた時には、涙が出た…
これって、悲しいわけでも寂しいわけでもないんだよね…
『君の名は。』で、入れ替わっているときに涙が出るって話が合ったけど…
映画を見ているときなどは、たとえば「野獣」がそのまんま自分のなかに入ってくる
あるときは、日本兵たちの人生が、走馬灯のように走って呆然とするんだよね…
お経を読んでいたって聖書を読んでいたって、突如別の人生が入ってくる…
その人々の生きた万感の思いが様々に湧き上がって、こみあげてきて…
気がつくと泣いているんだ…
いろんな思いで胸がいっぱいになるとき、怒りも悲しみも喜びも、すべてないまぜになって…
ホントに呆然とただ立ち尽くしてしまうんだけど…
涙が出るときって、そういうときじゃあないのかな~