私がこの「支配欲求」の章で問題にしたいことを竹原信一氏が彼のことばでのべています…
とくに…
< 私たちは生きる力によって、生き難い世界を作っています >
< 人々は常に満足や快楽を追求し続けています。その成功を経済発展などと呼んだりします >
…のあたりでしょうか…同感です。
< 愛も快楽の一種と認識されているようです。これは堕落にほかなりません >
…も、似たような思いをもちます。
「支配欲求」…それは「思いどおりにしようとする意欲」でもあり、悪いことでは本来ありませんが…
協力ではなく、競争を強いられることで、弊害をもたらしていることを②で…
他者を支配すること自体が目的になって、本末転倒していることを③で述べたわけです。
「夢を実現する」んだとか「自由を拡大する」とかいっても、傍若無人は許されないはずです。
「他者の尊重」を忘れた「オレ様の勝手主義」を「悪魔の自由」と、当ブログでは呼んでいます。
これは「オレ様が天上天下唯我独尊」という「優生学」的錯覚をしばしば伴います。
念のために言いますが「天上天下唯我独尊」とは、「かけがえのないオンリーワンの自分」のことで…
「なぜ白人のまねをする?ブラック・イズ・ビューテフル!」「レット・イット・ビーそのままでいいんだよ」
…こうした意味でしてね…
「オレ様がナンバーワン」じゃあないのですよ…
歪んだ「支配欲求」は、たとえば「YAWARA!」のさやかお嬢様がわかりやすいですね…
自分が注目の的であり、中心であり、ナンバーワンでないと許せないのです。
いまの40代くらいが親が豊かな時代に子ども時代をおくったので「さやか化」してるのがよくいます。
妙な”万能感”があるのですよ…。ジコチュウなのも多いしね…「平等意識」も高いし…
「平等意識」というのは、一種のファシズムですからね…。容認できませんよ。
こうした歪んだ支配欲求というのは、ひとつには幼児のときにつくられるそうです。
二歳くらいまで、子供は母親の保護のもとに安心して暮らします。
要求は速やかに母親が聞き届けてくれて、何でも実現してくれます。
それで、ある種の”万能感”を抱いているというのです。
ところが、いつまでも母親はやさしくはない。ときに無視し、無力な自分をあざ笑うかのように放置する…
このときの烈火の怒り…「この自分をほっておくなんて!!なんてやつだ!」
これは「恥をかかせられた!」とか「挨拶がない」とか言って絡んでくる連中の心情に近いものです。
こうして、「自分は捨てられた」=「自分には価値がない」…という挫折感や劣等感の一方…
「自分は価値あるものだ。ゆえに世界は私を正当に扱わねばならない」という優生学感情を抱くようです。
そうすると、「支配欲求」がはたされずにストレスが生じたときに、自虐や他罰に走るわけです。
この人たちの心は常に満たされず、常にだれかと自分を比べ、人を道具扱いし、使役するのです。
人を支配するのが上手ですから、案外、仕事ができたりするようです。
自分を魅力的に見せる術も心得ています。
しかし、実際に「リーダー」の器かどうか…
彼らは「良心のない人」「永遠の二歳児」などと呼ばれます。
彼らはたとえば、チャンネル権を獲得する際にも、あらゆる口実を用います…
「オレは稼いで、お前を養っている」「オレははたらいて、疲れている」
そう言っては「お前は我慢しろ」と、自分の要求を通そうとするのです。
「あなたはおねえちゃんだから」「あなたは子どもだから」「あなたは若いから」等々…
母親も子どもにやってますね?これも、そう言っては相手に我慢を強要するのです。
この手の争いに、なぜか”話し合い”は存在せず、勝つか負けるかみたいになりがちです。
犬のケンカですね…。どっちが順位が上か、どっちがどっちにしたがうか…ってだけです。
夫婦間の争いも大半がこれなら…生徒の対教師暴力もこれの一種でした…
どうして、人間と人間の付き合いが、日本人はできないのでしょう?
「和の精神」…そんなものはおとぎ話です。そんなものはどこにもありません。現実を直視しましょう。