津波からは遠く離れていたけど・・・

多くの人の痛み悲しみを感じた年だった。

そして原発大事故。

家の通気孔をサランラップとガムテープで塞ぎ、

安価なガイガーカウンターで暫く毎日、放射能を測定した。

無意味な計画停電が行われ、ガソリンスタンドからガソリンが消え、

スーパーマーケットやコンピニエンス・ストアーから

米をはじめ殆どの食料品が消えた。

如何に日常生活において電気や車に依存しているかを思い知らされた。

電気が酷く汚れたものに感じた。

なるべくTVの電源を入れず、情報はラジオから得るようにした。

家の食品備蓄を長く持たせる為に食事量を減らした。

頻繁に余震が来た。

交通機関は寸断され続けた。

でも、

飯が喰えて風呂に入れる自分がいた。

被災地の人々に対して自分は何が出来るのか考えた。

曲を数曲書いてレコーディングした。

初めて日本赤十字を通して、CD売上金の備蓄を全て被災地支援に寄付した。

辛うじて生きている放送局をインターネットで調べた。

ふくしまFMや他の2局にCD-Rを送り、

知り合いの団体が、米や食料品生活必需品を被災地に送る為の各梱包に、

被災地に宛てた僕の曲を焼いたCD-Rを同封してもらった。

募金の為に、CDやCD-Rの手売りを始めた。





嬉しかったこともある。

原発事故直後、EAST MEETS WESTの相棒Don Shafer が僕に言った。

"Come to USA with your wife, we have a room for you!!"
(妻と一緒にアメリカの我が家へ来い。 君たちの為の部屋は用意してある!)

そして、福島から離れた友人たちや知り合いの方たちが、

僕の生活や関東のことを心配してくれた。

そして原発や原発政策に対して熱く怒りを込めて語ってくれたことだ。

想いを共有してくれたことだ。