今日で
COLLAGE最後やね。
お疲れ様でした。
オープンしてから20年か。
でも、よくここまで頑張ったよ。
クラブやDJのあり方がこの20年の間にどんどん変質し、
僕たちが働き始めた頃の初期衝動はすっかり失われてしまった。
あの頃僕たちは、
未知なるものに貪欲で
権威に懐疑的だったよね。
山口君と出会ったのは、
僕が店長を務めていた京都のCOTAINERというクラブだった。
スタッフ兼DJとして随分貢献してくれた。
実は
山口君は初期KYOTO JAZZ MASSIVEのメンバーで
(僕の上京を機にKJMは一時的に分散)、
KYOTO JAZZ MASSIVEのファースト・アルバム
(厳密にはコンピレーションだったけれど)にも
参加してもらったよね。
山口君からCOLLAGEがオープンする事を聞き
東京でひとまず先にThe Roomをスタートさせていた僕は、
僕たちが一緒に育ったCONTAINERのDNAが
僕のいなくなった京都でも引き継がれる事を
とてもうれしく思ったよ。
最初は店長だったっけ?
後に買い取ったんだっけ?
僕が東京のDJをブッキングしてた時期もあったよね?
COLLAGEは
"まともな"クラブとして良質な音楽を発信し、
愛好家達の集う空間であっただけでなく、
日本の音楽シーンに大きな功績を残している。
知ってるかな?
UAはCOLLAGEのお客さんだったんだよ。
彼女は僕の事を
「おっきん」と呼んでいた。
ある日、The Roomにサンプルを持って
ふらっと現れ、
「今度デビューすんねん、おっきん」
とCOLLAGEで遊んでいた頃と同じスタンスで
僕に彼女の近況を報告してくれた。
そして、
僕は、
彼女を大沢君に紹介した。
そして、
UAだけでなく、
CHARAやbirdをプロデュースした
大沢君本人/Mondo Grossoもブレイク。
勿論、その成功は基本的に彼の努力と才能の賜物だけど、
僕とUAのCOLLAGEでの出会いは
"リズム"という曲のヒットの誕生の一因になっている。
そう言う意味では、
COLLAGEの存在は日本の音楽業界にも
少なからず影響を与えた事になる。
でも、
COLLAGEにとって大切だったのは
その影響力の行使ではなかった。
ひたむきに昔ながらのクラブ・スタイルを貫き、
シーンで
失われつつある(失われてしまった)
大切な何かを守り続けた。
足繁く通ってくれる
COLLAGEのファンの為に。
そして、
音楽を愛する気持ちをモチベーションに活動を続けている
DJの為に。
COLLAGEを閉店するのは
苦渋の選択だったに違いない。
色々な事情があったのだろうけど、
決してその葛藤や心情を表に出さない
山口君の姿に僕は、
若く美しかった青年の
見事な成長を感じ取ったよ。
始めたものは
いつか終わる。
できる事なら、
山口君には
違う形でまた何かを初めて欲しい。
終わらせないと
始まらない事もある。
だから、
今日は残念だったねとは言わない。
少し休んで
落ち着いたら一杯やろう。
僕たちの
そして
音楽の未来について
CONTAINERの営業前に行っていた
熱いミーティングみたいに
語ってみるのも悪くないかもしれないよ。
お互い
いい年のおっちゃんになってしまったけれど。
金曜には駆けつけたものの
最終日の今日は
東京だから顔出せないんだ。
僕と一緒に
オープニングでプレイした
弟のイベントがラストなんだよね。
最高の音楽を
最高の仲間と楽しんで欲しい。
最後に一言。
飲まされ過ぎないように!
PS
撮影でお店を借りて
1回ノー・ギャラで回すって約束、
忘れてないからね。
果たせる日を楽しみにしてます。