今回読んだ本は、岩井勉さんの「空母零戦隊」です。半年ほど前になりますが、同じような本で、源田實さんの「海軍航空隊始末記」 を読みました。昭和37年に刊行されたものを改題した古い本でしたが、こちらの「空母零戦隊」は1979年(昭和54年)に刊行されていますので大分新しい本ではあります。ちなみに1979年はいわゆるファーストガンダムの放映された年で、昔のことには変わりありませんか... 


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岩井勉さんは、多分零戦マニアの方にはよく知れ渡っている人物かと思います。わたしはこの本で知りましたが、岩井さんの経歴というか戦歴はそのまま大東亜戦争で活躍した零戦の歴史と同じといってよい位です。つまり、16歳の時に海軍飛行予科練習生を受験し合格後、予科練6期生として横須賀空に入隊し、最初の実戦が漢口の第十二航空隊に転属になった時の重慶爆撃の護衛任務で、零戦にとっても11型が前線に配備されて戦果を挙げた最初に当たります。

太平洋戦争が始まった後は空母瑞鳳戦闘機隊に転属し、ガダルカナル撤退作戦の間接掩護に参加します。さらに「い」号作戦、「ろ」号作戦で、ガダルカナルやラバウルでの戦闘に参加、そして台湾の台南海軍航空隊へ転勤となり予備学生など後進教育にも従事します。この時に生徒からつけられたあだ名が“ゼロファイター・ゴッド”でした。

内地に戻っては、六〇一空に所属し松山で基地訓練に励みますが、この時期に最新鋭機「紫電改」を使用機としていた源田さんの三四三空(剣部隊)とも一緒になったのだと思います。

次に戦場に戻るのは、フィリピンを巡る戦いとなったレイテ沖海戦です。母艦は、第三艦隊(小沢治三郎中将が指揮する囮部隊の旗艦となった瑞鶴でした。

レイテ沖海戦で負け、日本の敗戦がほぼ決まった後は再び内地に戻って、本土爆撃のために飛来する米軍機の邀撃や菊水作戦の特攻機護衛や前路掃討に従事しましたが、戦争中一度も撃墜されることなく最後まで生き残りました。

 

なぜ岩井さんはこのような激戦の連続にも拘らず生き残り、ましてや数々の戦果も挙げられたのか、もちろん“ゼロファイター・ゴッド”と呼ばれた優れた零戦操縦能力や瞬時の適切な判断力などを身に着けていたことは間違いありませんが、それ以上に、本人も回顧していますが非常に幸運でもありました。

「ろ」号作戦におけるラバウルでの激戦では、出撃前にたまたまトラックに足を轢かれて負傷し、ブーゲンビル島沖航空戦に出られませんでした。レイテ沖海戦では母艦の瑞鶴が沈没したのにも拘らず、発艦後早々にグラマン編隊と遭遇し、戦闘の成り行きでルソン島の飛行場に不時着します。硫黄島の戦いでは、特攻隊として出陣することが決まっていましたが、整備途中の零戦が準備できるまで待つことになり、目的地の香取基地に到着した時には、既に部隊は硫黄島へ飛び立った後でした。菊水作戦では援護のための機体が途中で足りなくなってしまったため、いったん部隊が百里原の基地に引き揚げた際に肺浸潤にかかっていることが判り、療養中に終戦を迎えることになりました。



本人は、京都の鞍馬寺のお守り(岩井さんは京都府の南部の出身)による御神力のせいだと言っています。郷里のお母さんも息子が出兵中ずっと鞍馬寺にお参りしていてくれていたそうです。やっぱり親は子供にとってはかけがえのない大切で有難いものなんですね。

 



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