最近、性欲がない。人間の三大欲求としてある、食欲・睡眠欲・性欲。食べることや寝ることは大した問題ではないけれども、性欲というものは中々にクセモノである。
女性と肉体関係を持つことで解消されるものは性欲なのか、と問いかけてみる。
何とでも言えばいいけれども、どうにもそれは欲求を満たすどころか不満を増幅させるものである気がする。
そもそも、人が精神的合一を目指す過程において、性交というものを抜きに語ることはできない。ただし、精神的合一を達成するために、また、達成できるような性交をしていることは、ほぼ皆無に思う。
人はどこまで言っても孤独だ。深淵で底が見えない、孤独を抱えて生きている。人は孤独を拭うことはできない。なぜなら、人は孤独であることを前提に生きているから。
所詮、安易な肉体的合一を成し遂げたところで、結局はただの孤独な二人の人間の傷の舐め合いとしての性交でしかないだろう。行為中はある種の恍惚状態にあり、それは孤独を埋め合わせるには十分なモルヒネのようなものだろう。だがしかし、行為が終われば人はまた孤独に立ち返る。孤独を埋め合わせたという思い込みが強ければ強いほど、その孤独感は更に深く、暗くなるだろう。
性欲とはなにか。その答えは未だに知られない。
ただ言えることは、「愛するということ」を通してのみでしか満たされない欲ではある。人を愛するということそのものが性欲なのではないだろうか。
ただし、愛するということは最早アートである。間違いなく技術を要し、その上でセンスを要求されるものである。
愛するということ。
人は、愛し愛されることでしか、生きられることはない。だから、傷つけあい、慰めあうのだろう。どちらも、愛ゆえの行為であるから。
駿祐