たまに、聞かれます。
「なんでこないに行動力があるのか」と。
そして、いつも戸惑います。
「ぼくは行動力があるわけではないのに…」と。
決して自分を卑下しているわけじゃありません。ぼくはぼくなりに頑張るべきところは頑張って、生きてきたつもりです。それが甘いと言われるなら、もっとやるしかないですし。結果残してないですし。
周りに結果を出し続け、ぼくよりももっともっと時代の先を見て駆け抜けている知人を見ていると、果てしなくやるせなくなります。ぼくは何をしているんだろうと。人は人、自分は自分。分かりきっていても、やっぱり比べてしまいます。
勉強だって大学まではほとんどしてこなかったし(事実、高校は偏差値35とかそんなもんで)、とりわけ何が出来るわけでもない。プログラミングも素人に毛が生えた程度、写真も下手っぴ、文章も稚拙。伝えたいことを伝えられるほどにぼくは人として成っているとも言えない。
こうやって、色々と質問されると至らない点なんてもう山のように出てくるわけで、もう毎日が弱点つぶしの日々です。知識足りないなら論文でも本でもニュースでも読むし、スキルが足りないなら先人から学んで、盗もうとするし。教えを乞えるならば教わりたいし。
ぼくが自分自身が好きだと言えるただひとつの所は、やりたいことを真っ直ぐ見つめられることなのかなと。できないことはできないし、事実、小学生の時に言っていた2010年のワールドカップに出るなんてことは中学に入ったくらいから思わなくなって。
ただ、やりたいって思ったことは言ってみて、それを達成するためには何ができるかを考えて、愚直にやること。それだけなんです。
ぼくは一点だけ見定めて、それ以外に手を出したりするとぐちゃぐちゃになっちゃうから、一つだけやりたい事決めて、全部手段化する、本当にそれだけ。
その(親父譲りの)不器用さでたくさんの人を傷つけたりもしてきました。ホント、くそったれた世間知らずの若造。
そんなんなってもやりたいことだった。
小さいころ、親や先生に聞かれた。
「夢は何?」って。
途中まで夢を持て囃しておいて、いつからか手のひらを返したかのようにたたき出す大人たち。ぼくのオカンや親戚は疑ったり問いかけてくれることはあっても否定はしたことがない(とぼくは思っている)。それが、この結果なのかなと。
サン・テグジュペリが星の王子さまの作中に「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」と記した。作中には触れられていないけれど、著者が伝えたかったことの中に含意されるものなんじゃないのかな。
ぼくも夢という言葉は抽象性の高いもので叶わないもののように感じていた。叶わないから夢なんでしょって言ってた。人の夢と書いて「儚い」と先輩が言っていた。憧れていた人だっただけに、この発言は重くのしかかった。
でも、やっぱり夢を追うのはやめられなくて。それがないと、何をして生きていけばいいのか分かんなくなっちゃうから。本当に実現させたかったら、それこそ、頭と足を動かすしかないんだもの。
夢が何か?というお話は、また機を見て話します。
ちなみに、この世界一周は夢じゃないんです。まだまだぼくは夢に向かって走り始めたばかりです。
駿祐
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