2016/09/22 jounral | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

2016/09/22 jounral



■タイトル:

神の約束は「占領」によって可視化される。


■聖書箇所:

士師記1章20節 

彼らはモーセが約束したとおり、ヘブロンをカレブに与えたので、カレブはその所からアナクの三人の息子を追い払った。



ヨシュアの死後、イスラエルの民は主に伺いを立て、
どの部族が最初に領土に侵攻して所有すべきか、
と伺いを立てると、ユダ族からだ、と主は語られ、
その通りに侵略が進む。


その物語は残虐で、
現代の世界にそのまま当てはめることは到底出来ないし、
イエスも武力による神の御心の実現を棄却しているから、
キリスト教の立場からも追認不能である。


イエスが「神の国」を「占領」という
アナロジーで語られたことにヒントがある。


占領と言う言葉は英語でOccupy、
Occupation(職業)と同根の語彙である。


とすると、
私たちは職業を通して
この世に神の国を拡大し、建設するのだ。


この比喩で捉えたときに、
ユダ族とカレブがその土地を「占領」したという物語から
学び取るものがある。


彼らの物語の特徴的なのは、
主があらかじめ「約束によって与えた」ものは、
そのままでは彼らのものにならず、
彼らは「占領する」というミッションを遂行する必要があった、
ということである。


神はPDFのデータをメールで送られたが、
それがソリッドで手にとって触れるものになるには、
プリントアウトを自分でしなければならなかった。


この「プリントアウト」が、
旧約聖書では軍事的侵攻だが、
現代社会では額に汗する生産による
「職業的貢献」であるように思う。


主は私たちに「前もって約束したとおり、既に与えた。」


それが私たちの職業的分野だ。


ある人には教師、ある人には研究者、
ある人には建設、ある人には専業主婦や子育て、
ある人には医療、ある人にはコンビニバイト、
ある人には清掃、ある人には獣医師、ある人には公務員、
ある人には牧師や宣教師、、と言う風に。


今の私の場合にはNGOの働きであり、
教会の働きがそれである。


現代社会は終身雇用制が崩れ去っているため、
生涯でその分野が二転三転することもある。


当時のイスラエルも、いろんな場所に攻め入ったので、
「占領」するメタファーならば、転職も有利に働かせられる。


主は私たちに職業分野(Occupation)という「召命」によって、
神の国のために占領(Occupy)すべき社会領域を予め定められた。


しかしそれは「手形」のようなものであり、
その約束を具体化するために、
私たちには為すべき仕事がある。
いや、そのためにこそ、
私たちの人生は与えられている。


私たちが仕事において、
誠実さをもって人々に貢献していく度合いに応じて、
「主の約束が現実化し、
 可視化される」のだ。


イエスの名前は「ヨシュア」から取られた。


「ヨシュア」の死後に、
本格的に彼らが占領を始めたのは象徴的である。


イエスが天に挙げられた後の時代に生きる私たちは、
主が「その時」といわれる日まで、
この地を神の国の価値観で、
職業生活を通して浸食していく。