★応援くださる皆様へ★

このブログは、陣内俊の活動のためにお祈りくださり、

応援してくださっている皆様への活動報告を目的としています。

皆様の応援が力になっています。いつもありがとうございます。

★プレヤーレターのPDF★

支援者の皆様に紙媒体で郵送している、

「陣内俊プレヤーレター」のPDFは、

こちらからご覧になれます。

2016年5、6、7、8月号

2016年9、10、11、12月号

2017月1、2、3月号NEW


★陣内俊のメッセージが聴けます★

FVIメディアルームNEW


★ご支援くださる方へ★

FVI(声なき者の友の輪)の働きはセルフサポート制のため、

陣内俊の活動はすべて、

支援者の皆様のご支援で支えられています。

ご支援くださる方は、以下のリンクをご参照くださるか、

左のメッセージボードから直接ご連絡ください。

ご支援方法


過去のニュースレターからも、ご支援方法を参照いただけます。


★2017年2月から、メルマガを開始します!★



*毎回15,000字~20,000字の特大ボリュームでお送りします。
登録は無料です。試しに読んでみる、というのでも大歓迎!
「読めば聞こえてくる親密な会話」を目指す新感覚のメルマガです。
PCで、スマホで、タブレットでお楽しみいただけます。
ぜひご登録ください。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2017年06月26日(月) 07時00分00秒

2017/06/26 捕囚の背後に働かれる主

テーマ:デボーション

 

 

第二列王記25章7節

 

彼らはゼデキヤの子らを彼の目の前で虐殺した。王はゼデキヤの目をつぶし、彼を青銅の足かせにつないで、バビロンへ連れて行った。

 

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによれば、

バビロンの王ネブカデネザルによるユダの捕囚は、

20年に渡って3段階にわけて行われた。

 

 

ゼデキヤのこの捕囚はその最終段階で、

ユダが最後までエジプトと同盟を結ぼうと

あがいたことが裏目に出てユダは地図から消える運命を辿った。

 

 

・この時代にエジプトに逃げた民もたくさんおり、

その中のひとりにエレミヤがいる(自らの意志と言うよりも監禁し連行された)。

 

 

・また、エゼキエルはバビロンに捕囚された人々の中に含まれていた。

 

 

・ダニエルはバビロンでネブカデネザルの側近になり、

ネブカデネザルの政策がユダに不利に働かないよう影響を及ぼした。

 

 

・列王記はこの捕囚の時代に書かれた。

 

 

民はこれを読んで、

自分たちの境遇が自分たちの罪のためであったことを思い知り、

イザヤの預言の成就であるこの捕囚が終わり、

いつかエルサレムの宮が再建されることを願った。

 

 

イスラエルの歴史は新たな段階に入る。

 

 

しかし、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルの存在、

そして何より、この列王記が書かれたという出来事が、

主は風前のともしびとなったイスラエルの歴史を、

それでも「くすぶる灯心を守るように」、

火が消えないようにお守りになったのがよく分かる。

 

 

預言者(エレミヤやエゼキエル)と、

預言的な実務家(ダニエル)と、

書物(歴代誌・列王記)によって、

主はイスラエルの歴史の物語をお守りになった。

 

 

70年の捕囚のあとネヘミヤやエズラによる帰還と宮の再建は、

今度はメシヤ到来の期待へと変わり、

イエスの誕生で歴史はひとつの節目を迎える。

 

 

神はご自身のご計画をお守りになる。

 

 

私たちがいくら失敗し、

惨めに主のご計画を台無しにしたとしても主はそれでも、

ご自分の物語を完成される。

 

 

バビロン捕囚の間主が物語を守られた方法は

「預言者と実務家と書物」だった。

 

 

現代のキリスト者もまた、「世俗という異国」で、

主の物語を完成させる任務を果たしているという点で

ダニエルのような実務家に似ており、

エレミヤやエゼキエルのような預言者に似ており、

そして「神の物語」を語り継ぐ、列王記の編纂者たちに似ている。

 

 

主はご自分の物語を守られ、完成される。

 

 

私たちの失敗により、その火が消えそうになっても、

それでも守られる。ここに主の主権と深い愛がある。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月10日(金) 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年06月25日(日) 07時00分00秒

2017/06/25 主を恐れよ

テーマ:デボーション

 

 

第二列王記24章

 

 

 

2度読んだが、心に語りかける節はなかった。

 

 

エホヤキム、エホヤキン、

ゼデキヤ(バビロンの傀儡政権)の治世の話。

 

 

エホヤキンの時代に、

バビロンのネブカデネザル王によって、ユダは捕囚される。

 

 

エホヤキンは事実上、ユダの最後の王となった。

 

 

国は亡び、捕囚された。

 

 

聖書によればこれはマナセが罪のない者たちの血をながしたためだ、という(4節)。

 

 

ここから私たちは何を学べるか。

 

 

イスラエルは素晴らしい特権と約束を与えられていた。

 

 

しかしその特権には責任が伴った。

 

 

主の律法を守り行うことと、

それによってすべての国々への祝福となることだった。

(創世記12章および出エジプト記)

 

 

結果を言えば、彼らは責任を果たすことに失敗し、

特権と祝福の契約は約束通り「剥奪」された。

 

 

彼らの「神の民としての身分」は変わらなかった

(今も変わっていない)が、彼らに約束された祝福は去り、

同じく約束されていた呪いが彼らに実現した。

 

 

ここから私たちは何を学ぶのか。

 

 

ローマ書は、昔書かれたものは私たちを教えるためだと言う。

 

 

昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。

それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、

希望を持たせるためなのです。(ローマ15:4)

 

 

これらの物語から私たちは何を学べるだろうか?

 

 

神は愛だが、その愛は同時に厳しくもある。

 

 

その愛のゆえに、私たちが神の栄光を汚すようなことがあれば、

主はご自身の栄光をお守りになるために、

外敵をも用いて私たちを滅ぼす。

 

 

「恵みの時代」だから今はそうではない、

というのは間違いであり、

私たちは恐れおののいて自らの救いを達成せねばならない。

 

 

そういうわけですから、愛する人たち、

いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、

私のいない今はなおさら、

恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。(ピリピ2:12)

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月9日(木) 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年06月24日(土) 07時00分00秒

2017/06/24 先の見えない時代

テーマ:デボーション

 

第二列王記23章 

 

 

 

2度読んだが、心に語りかける1節はなかった。

 

 

ヨシヤ王の改革は徹底しており、

あらゆる偶像と異教の風習をユダの中から取り除き、

その治世の18年目に、過越のいけにえを捧げた。

 

 

これはイスラエルの歴史のなかでも特筆すべき出来事で、

聖書は「彼のように心を尽くし、精神を尽くし、

力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、

主に立ち返った王は、彼の先にも彼の後にもいなかった(25節)」

と告げている。

 

 

それにもかかわらず、と26節に続く。

 

 

マナセが引き起こした主の怒りは静まらず、

ユダの捕囚の運命は変わらなかった。

 

 

ヨシヤ王はこのあとエジプトに戦いを挑んで死に、

ヨシヤの子はエジプトの傀儡政権となり、悪政を行った。

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによれば、

パロが王座につけたヨシヤの子エホヤキムは、

預言者エレミヤを穴の中に幽閉した王である。

 

 

ここから私たちが学べることが何なのか、正直わからない。

 

 

わかりやすい道徳的教訓があるようにも思えない。

 

 

ヨシヤのしたように、主の律法に忠実に歩み、

自分たちの心や生活の中から主を喜ばせないものを徹底的に取り除く、

というのはひとつの教訓ではあるが、

そうしたらすべてうまくいく、という話ではなく、

それでもユダは主のさばきを受け、エジプトの支配下に置かれた。

 

 

エレミヤがこの時代の人だった、ということは偶然ではない。

 

 

この時代のユダは、先の見えない時代と言えるだろう。

 

 

周囲の大国に翻弄され、政治は不安定で、未来は予測不能だった。

 

 

人々と王は、「明日はきっと良くなる、上手く行く」という

前向きな言葉を聴きたがり、

そのような預言者が王に雇用されたが、

エレミヤのような陰鬱な未来を指し示す預言者は投獄された。

 

 

現代は、おそらくこの時代に近いといえる。

 

 

「偽の希望」を人々は聴きたがっている。

 

 

本当に主のことばを語る人は

無視され冷遇されるような時代かもしれない。

 

 

しかし主の教会のひとりとして、

社会に向けて真実を語る者でありたい。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月8日(水) 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年06月23日(金) 07時00分00秒

2017/06/23 ヨシヤから学ぶ、「聴く祈り」

テーマ:デボーション

 

第二列王記22章13節

 

「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおり行わなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」

 

 

 

7歳で王に即位したヨシヤは、16歳で改革に着手し、

26歳の時に主の律法を発見したことは改革に大きな刺激を与えた、

とハーレーの聖書ハンドブックにはある。

 

 

26歳で主の律法を見つけたヨシヤは、

衣を破って悲しみを表し、主の前に出た。

 

 

マナセの時代にユダの偶像崇拝や

道徳的な堕落はひどいものになっていたはずだ。

 

 

マナセとアモンの統治は57年に及ぶので、

レーニン、スターリン革命以降の、

崩壊寸前のソ連邦ほどの「歴史」がある。

 

 

ソ連では無神論のマルクス主義によって

宗教や哲学は民衆レベルではやせ細っていた。

 

 

ヒゼキヤの改革が忘れられて約60年経ったユダも

同じような状況だったのだろう。

 

 

ヨシヤが主のことばを読んで、

民がどれほど遠く主の心から離れてしまったのかを自覚したとき、

衝撃を受けたのは無理もない。

 

 

13節にヨシヤが「主のみこころを求めなさい。」

と言ったその手続きが興味深い。

 

 

 

1.彼は「書物のことばについて」主のみこころを求めた。

 

書物とは律法の書である。

 

私たちは主のみこころを求め、主に聴く。

しかしそれは「フルオープン」で聴くわけではない。

 

あくまで神の言葉である聖書があり、

それを軸として、その枠組みのなかで、

主に聴くのだ。

 

何もないフルオープンで聴くのは危ない。

「モルモン教の啓示」のような、

聖書を否定する「神の声」が聞こえるのは、

このヨシヤの聴き方を実践していないからだ。

 

また、何かを決定するために主の声を聴くときも、

聖書という基準を元に聴かなければ、

聴いたと思った神の声は自分の願望の投影に過ぎない、

ということも多々ある。

 

 

 

 

2.自分のため、民のため、ユダ全体のため

 

ヨシヤは三つのことについて聞いた。

自分、他者、国のためだ。

 

王として自分の責任の及ぶ範囲にしたがって、

主のみこころを求めた。

 

私はどうしたら良いのか、

民はどうしたら良いのか、

国はどうしたら良いのか。

 

さらに、「ために」というのはポイントだ。

 

私がヨシヤに準じて、

自分、自分の家族や友人、日本の教会、日本の社会全体、世界について、

神のみこころを求めたとする。

 

そのとき、「ために」ということばが大切だ。

ただそれについて聴くのではない。

 

彼らを祝福するために、

私と他者が主の心に従って生きられるように、

私のために憐れみとみこころを求める。

 

そして、

家族や友人のために、

教会のために、

社会のために、

世界のために、

信仰者である私は「祭司」として主の心を求める。

 

 

祝福する動機をもって、主のみこころを求める。

そうしてはじめて、

主に聴いたことになる。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月7日(火) 

いいね!した人  |  リブログ(0)
2017年06月22日(木) 07時00分00秒

2017/06/22 主のしもべ、預言者たち

テーマ:デボーション

 

 

第二列王記21章10節

 

主は、そのしもべ預言者たちによって、次のように告げられた。

 

 

 

21章はヒゼキヤの子マナセの統治。

 

 

マナセは55年間という長期政権であり、

ユダの王の中で最悪の統治者だった。

 

 

彼は偶像崇拝を行い主の宮をも恐れなかった。

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによれば、

伝説ではマナセはイザヤを

のこぎりで真っ二つにして殺したとされている。

 

 

マナセの時代にも預言者は黙っていなかった。

 

 

10節に出てくる「預言者たち」が誰なのか具体的には書いていない。

 

 

イザヤも含まれていたかも知れないし、

イザヤはもう殺された後だったかも知れない。

 

 

いずれにせよ、当時の預言者たちは

命の危険を冒して預言をせねばならなかった。

 

 

しかもその預言の内容は希望の預言ではなく

陰鬱な「裁きと亡びと警告」だった。

 

 

ヒゼキヤが生きていたとき、

イザヤはヒゼキヤと二人三脚で働いた。

 

 

ヒゼキヤはイザヤを尊敬し、

人生と王国の重要な局面で必ずイザヤの助言を求め、

そしてそれは数々の奇跡をもたらした。

 

 

統治がヒゼキヤからマナセに変わると、

イザヤと預言者の立場は一変する。

 

 

伝説が事実かどうかは別にしても、

このような伝説が残っていることから推察するに、

イザヤをはじめ多くの預言者たちが命を追われ、

辛苦を味わったに違いない。

 

 

それでも預言者たちは主の心を預言せずにはいられなかった。

 

 

彼らには口を閉ざすという選択肢はなかった。

 

 

私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」

と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、

骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、

私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(エレミヤ20:9)

 

 

エレミヤがこう語るように、

預言者は主のことばを託されたなら、

それを内側に押し込めておくことは出来ない。

 

 

伝えることが自分の破滅を意味するとしても、

それでも語らねばならない。

 

 

さりげなく「そのしもべ預言者」と、

「しもべ」が挿入されているところに、主の配慮を感じる。

 

 

彼らはもしかしたら世俗的な基準では

「犬死に」したようなものかもしれない。

 

 

もっと権力におもねれば、命を失ったり生活苦にあえいだり、

妻子が苦しんだりすることもなかっただろう。

 

 

周囲にバカにされたかもしれないし、

「もったいない」と言われたかもしれない。

 

 

しかし彼らは預言者だったので、

主のことばを語らずにいられなかった。

 

 

そのような彼らに主は「この者たちは私のしもべだ」と

宣言して立場を守っているように、私には思えるのだ。

 

 

主はご自分に忠実な者の名誉を、最後には守ってくださる。

 

 

この世では何の報いも得なくても、

主は最後には守ってくださると信じて、

忠実に主に仕えていきたい。

 

 

 

journal by Shun Jinnai

2017年2月6日(月) 

いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

陣内にメールをする。 (下記フォームより。個人情報が公開されることはないので安心してメールしてくださいね。) ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ メルマガをはじめます! 面白いです!(多分) 登録はこちらから↓ ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
 
山口出身の保育士で聞き屋経験者、友人の瀬知行くんが岩手県で支援活動を始めました。ともゆきブログはこちら↓

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 知行のニュースレターはこちら!!!

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- FVI(声なき者の友の輪)が運営するサイト、karashi.net随時更新中!!
陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

FVIの活動報告ニュースレター(四半期ごとに発行)

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 最新の陣内俊プレヤーレター(PDF版)ダウンロードはこちらから!! 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。