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2017年01月18日(水) 07時00分00秒

2016/08/19 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

静まりなさい、聞きなさい。

 

 

■聖書箇所:

 

申命記27章9節 

 

ついで、モーセとレビ人の祭司たちとは、すべてのイスラエル人に告げて言った。

静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。きょう、あなたは、あなたの神、主の民となった。

 

 

 

27章の前半は、

約束の地に入ったらまずはじめに、

石に石灰を塗り、

そこに神の言葉を書き記すことが命じられる。

 

 

後半は、

「○○する者は呪われる」

とレビ人が言い、

残りの民が「アーメン」と言う、

伝統的な教会で行われる

聖書の公読のようなことが執り行われる。

 

 

その前半と後半の間に挟まっている節が9節。

 

 

「静まりなさい。イスラエルよ。聞きなさい。」

とある。

 

 

イザヤ書の

「立ち返って静かにすれば、

 あなたがたは救われ(イザヤ書30:15)」

を思い出す。

 

 

「静まりなさい、聞きなさい」

の後に続くのは、

「きょう、あなたは、

 あなたの神、主の民となった」

である。

 

 

これは明らかにおかしい言明で、

彼らが主の民となったのは、

はるか昔のことである。

 

 

アブラハムの時代からのことであるし、

モーセは「あなたがたは主の民」と、

何度も言ってきたわけだから、

「今日、あなたは、主の民となった。」

と言っているのは、

25歳の人間に、

「今日、あなたは、成人になった。」

と言っているのと同じで、

端的に間違いである。

 

 

しかし、この「なる」というBe動詞を、

「Become」よりも、

もっと生成的なものと捉えるならば、

意味は通る。

 

 

勇気ある行動をした人間に、

「今日、おまえは男になった。」

と言うとき、その言明は、

彼が性転換したことを意味しない。

 

 

彼は以前から男だったが、

今日、男に「なった」のである。

 

 

神学者の八木誠一は、

ヘブル語が「生成的」で、

「動的」な言語であり、

動詞やBe動詞が単なる「静的な状態の言明」ではなく、

静的な言語であるギリシャ語と対照的だと書いていた。

 

 

ここで言う「あなたは今日、神の民になった」

という言葉もまた、生成的なものと捉えれば、

ここで言われている意味は深淵である。

 

 

イスラエルは、

いつも、随時、折に触れて、

主の約束を確認し、

契約の「更新」のようなことをしてきた。

 

 

そのような一連の、

随時継続的に「なる」ことのひとつとして、

この言葉を捉えると、

私たちの人生にも関係のあることになる。

 

 

私たちの神からの救いは一回性のものであり、

私が父と母の子どもである事実が

どんな行いによっても動かないように、

私が神によって救われた事実は変わらない。

 

 

これは静的な状態である。

 

 

しかし、まったく併存する事実として、

私の救いも神の約束も、随時、折に触れて、

「そのようになる」必要がある。

 

 

私の人生を「神のものたらしめる」行為を、

私はいつも続ける必要がある。

 

 

それが「救いをますます確かなものとしなさい」と、

新約聖書に書かれていることの意味なのではないか。

 

 

その「確かなものたらしめる」ための条件が、

「静まりなさい。聞きなさい。」

だったことも示唆的である。

 

 

私が定期的に静まり、神の声を聞くとき、

私は「より」神の民になるし、

私の人生は「より一層」神の物語に組み込まれる。

 

 

主に聞く時間を、持ちたいと思う。

 

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同じテーマ 「デボーション」 の記事
2017年01月17日(火) 07時00分00秒

2016/08/18 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

物語の重要性

 

 

■聖書箇所:

 

申命記26章5節

 

あなたは、あなたの神、主の前で、次のように唱えなさい。「私の父は、さすらいのアラム人でした。わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民になりました。」

 

 

 

民が約束の地を占領し、

そこに住むようになったときに、

そこで収穫した初物の産物をかごに入れ、

祭司のもとで主にささげ、

移住が完了したことを報告するように、

と命じられる。(1~3節)

 

 

主の前に供えるとき、

一連の文章を唱えるように、

と民は命じられている。

 

 

その文章が5節~10節にある。

 

 

概略は以下の通り。

 

 

・先祖アブラハムは寄留の民となり、

 エジプトに下った(おそらくヤコブ、ヨセフのこと)。

 

 

・そこで大きく増え拡がり、強くなった。

 

 

・エジプト人は民に過酷な労働を課し苦しめた。

 

 

・民が主に叫ぶと、主はその声を聞き、

 その窮状をご覧になられた。

 

 

・主は力強い御腕と奇跡、

 力によってエジプトから民を連れ出された。

 

 

・主は民を乳と蜜の流れる約束の地に入植を赦された。

 

 

・この供え物は、その約束の地の収穫の初物である。

 

 

つまり、

民は移住して最初にすることとして、

「自らの物語」をもういちど、

語り直すことを命じられたのである。

 

 

「この目の前の収穫の初物」には

数百年におよぶ物語がある。

 

 

アブラハム、イサク、ヤコブ、

ヨセフ、、、、モーセ、アロン、

ミリヤム、、、ヨシュア、カレブ、、、

という族長や指導者を経て、

民が通ってきた物語の、

ひとつの結実がこの「収穫の初物」である、

という具合に。

 

 

現代は貨幣経済とグローバルネットワークによって、

「物語性」が完全に解体され、

あらゆるモノが物象化され

意味を失った時代である。

 

 

私たちが主に献金をささげるとき、

そこに物語はあるか。

 

 

私たちがどこかに引っ越しするとき、

そこに物語はあるか。

 

 

私たちの労働に物語はあるか。

 

 

イスラエルの民は、

「有機的な物語」を

大切にする民である。

 

 

そこに彼らの強さがある。

 

 

私もまた、

神にある大きな物語のひとつの撚り糸と、

この人生を定義づけている。

 

 

それは貨幣換算できないし、

記号として何かに代替することも出来ない。

 

 

それはこの現代にあって、

とても大きな特権である。

 

 

私の役割とは、

人々に「意味」を説くことだと

最近は特に思う。

 

 

イスラエルの祭司が人々の口に

「この収穫物にまつわる物語」

を語らせたように、

私もまた、私と出会う人々に

「自分の人生にはこんな意味があったのか」

と発見していただく触媒でありたいと願う。

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2017年01月16日(月) 20時00分00秒

ボブ・マーリーについて

テーマ:どうでもいいこと


どうもぼくです。

 


今日(1月15日、日曜日)は、

スタバに来ています。
練馬区には、としまえんという、
少しさびれた遊園地があります。

 


としまえん遊園地の隣には、
ユナイテッドシネマというシネコンがあり、
ぼくは観たい映画があるときは、
だいたいここで観ます。


 

その敷地内に、
スタバがあります。


 

そこで、ちょっと一息ついている。
 

 

教会での礼拝の帰り道に。


 

ずいぶん体力が回復したものだ、
と自分に、というか、
神様に、感心している。

 


こんなことができるようになったんだ。

 


一年前なら、
半日礼拝に出席したら、
その日の午後はもう燃料切れだった。

 


今は午後に、
カフェに入るエネルギーが、
残されている。

 


なんという幸せだ。

 


ほうじ茶ティーラテを飲んでいる。

 


ぼくの場合、
スタバに来ると頼むもの、


1位は、カフェミスト(ショート)


2位は、ドリップコーヒー(ショート)


3位は、ほうじ茶ティーラテ(ショート)


です。


 

今日は無料ドリンク券が、
財布に忍ばせてあったので、
ほうじ茶ティーラテの、
グランデを頼みました。

 


ヴェンティはたぶん、
飲みきれないと思ったから。


 

ほうじ茶ティーラテって、
ちょっとスタバの中でも特殊なメニューで、
これは家で再現できない。


 

チャイラテとかカフェラテとかは、
なんとか「近づける」ことはできるが、
ほうじ茶ティーラテは、
近づけてみようと言う気にもならない。
どうやったらこういう感じになるのか、
皆目検討がつかない。


 

なので、
わりと好きで、
飲むことがある。

 


ほっとする。


 

、、、

 


で、何を書こう?


 

特に書くべきことがあるようには、
思わないのだけど、
とりあえず自主トレのように、
書き始めてみた。

 

 

さて、何を書こう。


 

最近、ツタヤで、

ボブ・マーリーのCDを借りた。


 

それにはこういう経緯がある。


 

まず、「アイ・アム・ア・ヒーロー」という、
大泉洋が主演する映画を観た。


 

これです↓

 


 

ゾンビ映画だ。

 


めちゃおもしろかった。
 

 

「和風ゾンビ映画」
なかなかやるじゃないか、
と思った。


 

で、
アイ・アム・ア・ヒーロー(原作漫画)が、
かなり影響を受けているらしいと言う、
元ネタのひとつ、
「アイアムレジェンド」に興味を持った。

 


これ↓

 

 

 

ウィル・スミス演じる、
「人類最後の男」が、
ゾンビ化ウィルスに感染した、
ゾンビたちと戦う、という映画。


 

映画のなかでウィル・スミスが毎日、
日課としてボブ・マーリーを聴いている。
 

 

かれはボブ・マーリーをヒーローとしていて、
それで、なんだか無性に、
改めて聴きたくなった。

 

 

ボブ・マーリーには、
高校2年のときに出会った。

 

 

なんかそのころは、
洋楽を聴くのが、
邦楽を聴くよりかっこいい、
と堅く信じていて、
ツタヤとかに行くんだけど、
何を借りていいのか、
皆目検討がつかない。

 

 

最初はとりあえず、
ビートルズの青版、赤版とかから入るのだけど、
ボンジョビとか、エアロスミスとか聴いて、
「なんかB'zみたいだな」とか思ったりして。

 


なんかもっとエッジが効いたものを。

 


と思って、
低脳な高校生だったぼくは、
「そうだ、レゲエだ」
と思った。

 

 

 

クラスにレゲエを聴いてるやつなんていない。
 ↓
俺だけレゲエを聴く。
 ↓
差別化がはかどる。
 ↓
かっこいい
 ↓
モテる
 ↓
幸せになる


 

という、
「低脳フローチャート」を描き、
第一ステップに踏み出した。

 

 

で、レゲエのコーナーに行く。


 

なんかよく分からん。


 

しかし、
ボブ・マーリーの
「レジェンド」というアルバムの、
ジャケットのボブ・マーリーの顔には、
他を圧倒する何かがあった。

 

 

これ↓

 


 

これはすごいアルバムかもしれない。


 

そう思って、
「レジェンド」を借りた。


 

事実、レジェンドはすごいアルバムだった。


 

まさに「伝説」の一枚。


 

かの映画「アイアムレジェンド」も、
タイトルはおそらく意識的に、
ボブ・マーリーのアルバム名から、
とられている。

 


ぼくはカセットテープウォークマンに、
「レジェンド」を入れ、
いつも聴いていた。


 

それが高校2年生のころの、
思い出だ。


 

「No woman, no cry」とか、
「Exodas」とか聴くと、
あのころの記憶がよみがえる。

 


ちなみに上記の、

低脳フローチャートは、
第一段階「レゲエを聴く」
のところで頓挫し、
「モテる」まで到達しなかったのは、
言うまでもない。


 

、、、


 

レジェンドのなかで、
主人公のウィルスミスが、
「もう一人の潜伏生存者」の女性に、
語るシーンがある。

 


女性が「ボブ・マーリー?何それ?」
みたいなことを聴く。

 


ウィル・スミスは、
「は?
 冗談はよしてくれ。

 彼は人類の伝説だ。
 そして俺のヒーローだ。」
と応じる。

 


そしてボブ・マーリーのエピソードを語る。

 


彼は政治的な「革命家」の側面もあるので、
あるとき政治思想に反対する人から、
狙撃された。

 


コンサートの2日前だ。

 


なんとボブ・マーリーは、
そのコンサートに現れ、
歌ったのだ。

 


インタビュアーが、
なぜコンサートをキャンセルしなかったのか、
と聴くと、彼はこう答えた。


「世界を悪くする奴らは、
 休みなく働いている。

 

 、、、だったら、


 俺が休むわけにはいかないだろう。」


 

ウィル・スミスは言う。


 

「彼は俺のヒーローだ」


 

 

ボブ・マーリーはちなみに、
エチオピアの英雄でもある。


 

エチオピアに行くと、
ボブ・マーリーのTシャツを着て、
髪の毛をドレッドヘアにしている人を、
数多く見かける。

 

 

なぜか。

 

 

これは因果関係が少し、
入り組んでいる。

 

 

ボブ・マーリーは、
エチオピアからみると、
地球の反対側、
ジャマイカの出身だ。


 

ジャマイカとエチオピア、
どうつながるのか。


 

エチオピア最後の皇帝の名前を、
「ハイレセラシエ」という。
 

 

20世紀に生きていた。


 

その後、EPRDFという、
エチオピア民主主義戦線によって、
政権をとられ、彼は失脚した。


 

ハイレセラシエが、
あるとき外交のために、
ジャマイカに赴いた。


 

その日、
土砂降りの雨だったのにもかかわらず、
皇帝の乗る飛行機のところだけ、
雲が開け、一条の光がさしていた、
という「伝説」が残っている。


 

その日ジャマイカは
ハイレセラシエの来訪に、
熱狂した。


 

なぜか。


 

ジャマイカの民衆信仰にに、
「ラスタファリ信仰」がある。
それは元々はアメリカ南部の、
黒人教会から始まった。

 


ある牧師が神から「啓示」を受けた。


「いつか困窮する私たちを救う、
 救世主がエチオピアからやってくるだろう。」


 

その信仰はキリスト教の
1000年王国の教義などと、
融合し変形して中南米にわたり、
ジャマイカの「ラスタファリ運動」になった。


 

その運動の「アイコン」が、
レゲエの開祖、
ボブ・マーリーだったのだ。

 


いわゆる「ラスタカラー」が、
赤・緑・黄色なのは、
エチオピアの国旗に由来する。


 

、、、


 

ハイレセラシエ皇帝の、
ジャマイカ訪問はだから、
ラスタファリ信者からすると、
「預言の成就」と受け取られた。

 


いまでもハイレセラシエの命日や、
誕生日などには、
ジャマイカからドレッドヘアで、
赤・緑・黄色の衣服をまとった、
「ラスタピープル」が、
「巡礼」のために、
エチオピアを訪問する。

 


現地のエチオピア人は、
最初はなんのことか分からないんだけど、
徐々に彼らに感化され影響をうける。
 

 

「うちらの皇帝を崇拝してるし、
 悪い気はしない。」
 

 

それで彼らは、
ボブ・マーリーを聞き始める、
という「物語のあらすじ」が、
そこにはある。

 

 

不思議な話だ。


 

日本に置き換えると、

たとえば、

こういう話になる。

 

 

ある日、オセアニアの小さな島国から、
日本の日の丸をあしらった、
ボサノヴァを歌う、
モヒカンへアーの人々が、
日本を訪れ、皇居周辺で、
なにやらお参りしている。

 


聴いてみると、彼らはこういう。


「私たちの国に伝説があります。
 いつか日本からエンペラーが来て、
 世界を救済してくれる。

 

 崩御された昭和天皇が生前、
 私たちの国に一度来たとき、
 奇跡の豊作になりました。

 

 預言の通りでした。
 

 それで、
 いまでも私たちは、
 昭和天皇を神とする、
 土着信仰をもっていまして、
 これは私たちの巡礼なのです」


 

これが数年続いた結果、
東京に、日の丸モヒカンの、
「日本人ボサノヴァ属」が現れる。

 


エチオピアのレゲエというのは、
言ってみれば「そういう話」なのだ。

 


不思議でしょ?

 


ぼくは2009年に
はじめてエチオピアに言ったとき、
この話を聞いて、
狐につままれたような気分になった。

 


世界にはいろんなことがあるんだなぁ。

 


、、、

 


というわけで、
ボブ・マーリー。

 


良いです。

 


ひさーしぶりにぼくの、
MP3プレーヤーに、
ボブ・マーリーが帰ってきました。

 

 

、、、という、
今日はそんな雑談でした。
 

 

おわり。

 

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2017年01月16日(月) 07時00分44秒

2016/08/17 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

異なる升と認知バイアス

 

 

■聖書箇所:

 

申命記25章14節 

 

あなたは家に大小異なる升を持っていてはならない。

 

 

 

様々な規定のなかで、

13~15節は、「大小の異なる升」と

「大小の異なる重り石」の話である。

 

 

2008年にインドにいたとき、

ホストのバルーさんから聞いた話を心に思いだした。

 

 

バルーさんの住んでいる

ウッダル・プラデシュの田舎の村々では、

路上で果物などを売る商売人たちが商品を売るときには、

「1キロ」と書いたじっさいは0.8キロの重りを使い、

買うときには「1キロ」と書いた

じっさいは1.2キロの重りを使うなどして、

不当な儲けを得ようとすることは

「常識」なので気をつけろ、と言われた。

 

 

注意していないと騙されるから。

 

 

そして、バルーさんが聖書のことを伝え、

生活において正直であることの大切さを知った

ある友人の商売人は、

「公正な重り」を最初から使うようになった。

 

 

それを発見したときバルーさんは、

「あなたの正直さは賞賛に値する。すばらしい。

 私は毎回あなたの店で買うようにする」

と誉めた。

 

 

このようにして村全体に

「正直の価値」を

浸透させていくことが大切なんだ、

と彼は言った。

 

 

その話を聞いたとき、

旧約聖書の「異なる升」の意味が

とても良く理解出来た。

 

 

日本の社会であからさまにこのような

「異なる重り、升」が登場することは少ない。

 

 

しかし、目に見えない「異なる升」や、

人間関係にある「異なる重り」は、

私たちは常備している。

 

 

私たちは他者の失敗には厳罰を要求し、

自分の失敗は多めに見る。

 

 

私たちは自分の短所は「仕方がなく」、

他者の短所は「遺憾に思う」。

 

 

他者が何かに怒っているときそれは

「まったく不当な怒り」であり、

自分が何かに怒っているときそれは、

完全に理にかなった合理的な怒りなのである。

 

 

公正な目で見たとき、

人間の認知バイアスは

いつも自分に甘く、他者に厳しい。

 

 

「内観道場」で7日間自分の内面を

価値中立に観察したとき愕然とした。

 

 

自分の「認知バイアス」は

どれほど自分を不当に正当化し、

他者の小さな失敗にこだわり怒ってきたか、

ということを知ったとき、

それを無意識にしていたことに恐ろしくなった。

 

 

「異なる升」は、私たちの眼球に縫い込まれている。

 

 

それを廃して「自分の主観を疑う」知恵を持つことは、

キリスト者であることの本質的な部分である。

 

 

超越的な神を措定するのがキリスト者なので、

「複眼思考、批判的思考の出来ない主観の世界」

に生きているのは、

聖書的世界観ではなく

アニミスティックな世界観である。

 

 

いつも「認知バイアス」の影響下にあることを意識し、

自らの過ちを修正していく人間でありたい。

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2017年01月15日(日) 07時00分00秒

2016/08/16 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

打ち落としたオリーブの実と、

「落ち穂」によって弱者に施すという命令

 

 

■聖書箇所:

 

申命記24章20節 

 

あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。

 

 

 

24章の後半は、

旧約聖書のなかでも際だって

主の弱者に対する憐れみの心が

うかがい知れる箇所である。

 

 

主は、オリーブの実を落とすときも(20節)、

ぶどうを収穫するときも(21節)、

完璧な仕事をしてはならない、と命じる。

 

 

オリーブやぶどうの「刈り残し」を

そのまま残しておくように、と命じる。

 

 

それは、「刈り残し」が

「在留異国人、みなしご、やもめ」

のものであるから、と言われる。

 

 

「在留異国人、孤児、やもめ」

という言葉は24章の後半だけで、

4度繰り返される。

 

 

またその理由も2度繰り返される。

 

 

「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であった」

からだ(22節、18節)というのがその理由である。

 

 

私たちは、かつて私たちが社会的弱者であったから、

あるいはインマニュエル・レヴィナスの言葉を借りるなら、

「社会的弱者(赤ん坊と老人と病人)とは過去、

 または将来の自分自身の姿」

だから、

私たちは社会的に弱い者たちを

ことさらに愛する必要があるのである。

 

 

私はかつて人の助けなしに

何も出来なかった赤ちゃんだったし、

将来は人の助けなしに

パンツもはけない高齢者になるかもしれないし、

またあられもない病人になるかもしれない。

 

 

2年間の療養中、

まさに私は病気の当事者として

「人に助けられる」ことの

なんたるかを知った。

 

 

だからこそ私たちは、

現在社会的に弱い立場にある人々のことを

いつも考えなければならない。

 

 

イエスの言葉によれば、それこそ、

イエスのことを考えることに他ならない(マタイ25章)。

 

 

その方法とは、

私たちに与えられた祝福の、

たぶん5パーセントとか、

そのぐらいの「仕事の余剰」を

常に弱い人々のために残しておき、

100パーセント自分のものにするな、

ということであった。

 

 

日本人は生真面目なので、

100パーセントを収穫してしまいがちだが、

そうしないようにと主は言われる。

 

 

家計の5パーセントはいつも、

貧しい人々のためにささげているだろうか。

 

 

チャイルドスポンサーだけで十分だろうか。

 

 

コンビニのレジ横などに置かれている募金箱のことを、

「オリーブの打ち逃し」を読みながら思い出した。

 

 

あれは現代の「落ち穂」のひとつである。

 

 

以前はわりと積極的に募金していたが、

最近はあまりしなくなっていた。

 

 

その恩恵に与る人からしたら、

それがどんな人によって捧げられたかは関係ない。

 

 

単純に「落ち穂」を、

貧しい人々のために捧げ続けたいと思う。

 

 

コンビニのレジ横も意識して利用しよう。

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