★応援くださる皆様へ★

このブログは、陣内俊の活動のためにお祈りくださり、

応援してくださっている皆様への活動報告を目的としています。

皆様の応援が力になっています。いつもありがとうございます。

★プレヤーレターのPDF★

支援者の皆様に紙媒体で郵送している、

「陣内俊プレヤーレター」のPDFは、

こちらからご覧になれます。

2015年3月の手紙

2015年10月の手紙

2016年1月、2月号

2016年3月、4月号

2016年5、6、7、8月号NEW


★陣内俊のメッセージが聴けます★

FVIメディアルームNEW


★ご支援くださる方へ★

FVI(声なき者の友の輪)の働きはセルフサポート制のため、

陣内俊の活動はすべて、

支援者の皆様のご支援で支えられています。

ご支援くださる方は、以下のリンクをご参照くださるか、

左のメッセージボードから直接ご連絡ください。

ご支援方法


過去のニュースレターからも、ご支援方法を参照いただけます。



1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016年08月24日(水) 17時00分00秒

【夕刊】今度の日曜日

テーマ:活動報告

 

どうもぼくです。

 

 

特に積極的に書くことがあるわけではないのだけど、

「夕刊」のペースを少しずつ上げていこうと思ってて、

いまのところ達成目標は隔日なので、

とりあえず書き始めます。

 

 

とりあえずスタートを切ってみるという。

 

 

着地できるかどうかは、

空中で考えるという。

 

 

今週は、

じつは月、火で、

とある宿泊研修(のようなもの)に、

参加する予定でした。

 

 

ところが台風9号の影響で、

中止になりました。

 

 

こういうことって、

あるんですね。

 

 

なので月、火、水、と、

ぽっかり休みになった。

 

 

空いた予定を埋めることはせず、

心身を休めることに、

費やしておりました。

 

 

はやる気持ちとは裏腹に、

回復後の体調とはなかなか難儀なもので、

本当に無理が利かない。

 

 

先週は「ちょっとヤバいな」というサインが出ていたので、

月、火、水と休めて内心はほっとしています。

 

 

今度の日曜日は、

ひさしぶりに、

練馬グレースチャペルで、

メッセージをする予定です。

 

 

大筋は出来ていて、

あと3割ぐらいなのだけど、

今夜あたりから仕上げに入ろうと思っています。

 

 

お祈りに覚えていただけたら幸いです。

 

 

ちなみにメッセージのタイトルは、

(よっぽどのことがないかぎり、)

もう決まっていて、

「宇宙大の福音」というテーマで、

話そうと思っています。

 

 

今まで語ったことのない切り口なので、

どう転ぶか分かりませんが、

大切なテーマだと思っています。

 

 

ブログの読者の皆様にも、

いつか聞いていただけたらと思います。

 

 

以上、さっくりとした、

近況報告でした。

 

 

皆様も暑い中お身体に気をつけてお過ごしください。

 

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月24日(水) 07時00分17秒

2016/04/02 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

もものつがい

 

 

■聖書箇所:

 

創世記32章25節

 

ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見て取って、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいが外れた。

 

 

 

 

ヤコブはラバンと別れ、

いよいよエサウと対面する。

 

 

 

ヤコブという人は、

いつも「外交的な問題」を抱えている人なのだ、

と言うことがわかる。

 

 

ラバンとは、報酬や待遇を巡って課題を抱えていたし、

エサウとは産まれた時から競い合い、

父母の愛情を奪い合い、

長子の権利をだまし取った。

その復讐として「おまえを殺す」という

エサウの言葉を覚えたまま20年ぶりの再会をする。

 

 

 

ヤコブが恐れるのも自然なことだし、

7節にあるように、

財産を二つに分けて

リスクヘッジをすることも自然なことだ。

 

 

 

また、たくさんの贈り物を自分より先に遣わすことで

いくらかでも気持ちをなだめよう、

ということも自然な感情である。

 

 

 

私もまた、「人の世」に住んでいる以上、

いつも何らかの「外交的な問題」を抱えることになる。

 

 

 

「あの人が自分を嫌っているのではないか、

傷つくのではないか」と忖度したり、

また、自分に対する誰かの接し方が不満だったり、

仕返しを恐れたり、仕返しをしたいという自分と戦ったり、、、

 

 

 

程度問題はあれど、

誰でもそのような問題を抱えている。

 

 

 

退職理由の「隠れた真のトップ」は、

「人間関係」だということは、

実証されている。

 

 

 

信仰の父祖であるアブラハム、イサク、ヤコブが

どのように弱さを抱えながらも

それに対処したかと言うことから、

私たちは多くを学べるはずである。

 

 

 

ヤコブの場合、自らにできる対策はすべて講じた。

 

 

彼らしい周到で綿密な計画である。

 

 

しかし、本質的な解決は主によってもたらされた。

 

 

彼の場合、エサウの襲撃にどのように備えるか、

あるいはエサウの心をどのように軟化させるか、

などが問題だったのではない。

 

 

 

彼の心の中にある狡猾さや自己中心、

それゆえの恐れや愛の欠如、

神への信頼の欠如が本当の問題だった。

 

 

 

神はそれを見通しておられた。

 

 

 

・神と格闘した。

 

・神が「もものつがいを打った」

 

 

 

この二つの出来事はヤコブにとっては

外的な現実であると同時に、

内的な現実としても、

聖書は私たちに語りかけている。

 

 

 

・私たちは神と格闘するほどに、

自分の内的な問題に関して

祈りのなかで向き合っているか。

 

 

・神と格闘する内に自分の内面における傲慢や自己中心、

「自己依存」が、ぽっきりと折れるほどに、祈り抜いてきたか。

 

 

 

こういうことを私たちは問われている。

 

 

 

外的な問題というのはたいてい内的な問題の投影だから、

神との格闘により内的な問題が解決したヤコブは、

外的な現実が変わっていないのにもかかわらず、

すっきりとして晴れやかな気分だったに違いない。

 

 

 

その証拠に33章では、

すべてのリスクヘッジや収賄的な贈り物という対策を放棄して、

無防備なままエサウと生身の対面を果たす。

 

 

 

神が私たちの外的な問題を解決されるとき、

しばしばこのような道筋をたどる。

 

 

 

神は状況を変えられるのではなく、

状況を通してご自身と格闘する者の、

内面を変えたいのである。

 

 

 

それによって私たちの見える世界が変わり、

問題がもはや問題ではなくなる。

 

 

 

それが神のお気に入りの解決法であるように私は思う。

 

 

 

私の2年間の闘病生活も、

ある意味においてヤボクの渡しにおける

ヤコブの経験に似ていたように思う。

 

 

 

私は病気をする前に問題だと思っていたことを、

今はさほど問題と思わなくなった。

 

 

 

病気を経てから、自分の至らなさ、他者の気持ちや反応、

外的な脅威(と思っていたもの)が、

ほとんど怖いと思わなくなった。

 

 

 

不完全性をそのままに許容し、

むしろ慈しむことができるようになった。

 

 

 

びっこを引いたヤコブのように、

私も精神的なびっこをこれからもひくのかもしれない。

体力はなくなったし、

病気は一生涯「寛解状態」なのかもしれない。

 

 

 

しかし、私の「霊性」が変わるということの代価として、

高すぎるとは思わない。

 

 

 

主よ、私を変えてくださってありがとうございます。

 

 

 

これからも外的な問題を通して私の内面を、

変え続けてくださいますようよろしくお願いします。

アーメン。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月23日(火) 07時00分00秒

2016/04/01 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

ベテルの神。

 

 

■聖書箇所:

 

創世記31章13節 

 

I am the God of Bethel

 

 

 

 

英語の聖書でこの箇所が心にとまった。

 

 

 

神はベテルの神、と名乗られた。

そして、そこであなたは石に油を注いだ、

と二十年前の出来事を思い起こさせられる。

 

 

 

神は時に、特定の場所とご自分を「タグ付け」される。

 

 

私にとって神は、「どこの」神だろう?

 

 

そしてそこにおいて神が思い起こさせるような出来事は何だろう?

 

 

まず思い出すのは、2008年、

インドのデリーのGK2という地区にあるゲストアウスの一室だ。

あの時ほどの濃厚な神体験はなかった。

神の臨在は手で触れるほどにリアルで、

畏怖と理由のない涙と、

神からの明確な召しの言葉を経験した。

 

 

 

また、2007年、2回の断食祈祷院での

祈りにおいても神は私と出会われた。

 

 

 

過去二年間の療養期間、魂の危機において、

神は全く感じなかったがそれでも、

やはり宗教体験であり、

病気を介在して神は私と出会われた。

 

 

 

神は愛知の神であり、

インドの神であり、

練馬区光が丘の神である。

 

 

 

神は確かに、重要なシーンで私と直接出会われる。

 

 

 

ナルニア国物語のアスランのように、

世界の王でありながら私の危機に、

直接出会ってくださる。

 

 

 

ヤコブにおいてはベテルであり、

またこの後に経験する、

神との格闘の経験もまたそれであろう。

 

 

 

神は確かに、カイロスにおいて私達と出会ってくださる。

 

 

 

私はそれを抱きしめ暖めながら、

辛い日々も歩き続けられる。

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月22日(月) 17時00分00秒

【夕刊】FVIメディアルームの案内

テーマ:活動報告

 

どうもぼくです。

 

FVIの湯本さんが、

「FVIメディアルーム」

を作ってくれました。

 

 

今年に入ってから、

私が練馬グレースチャペルで話した、

2つのメッセージが↓から聴けます。

 

https://www.youtube.com/channel/UCQbG-2C82aSwrilSPUTQF9w

 

 

メッセージボードにも、リンクを張っておきます。

 

 

YouTubeで、

音声とパワーポイントが視聴できるという。

けっこう長いので、

根気が要りますが。

 

 

この2つのメッセージは、

病気療養中の2年間、

自分の「実存的な葛藤」から生まれたものです。

アコヤガイに着いた傷に真珠がくっつくみたいな感じで、

ぼくの「挫折とか傷とか」から結晶化した宝だと、

ぼくは勝手に思っています。

 

 

洗練もされていませんんし、

真珠のように綺麗でもないですが。

 

 

興味ある方は、

聞いてみてください。

 

 

信仰のこととかよく分からん、

という人も、多分言っている意味が分かる内容になってます。

先の見えない現代で、私たちは如何に生きるべきか、

というヒントが得られるのではないかと思います。

 

 

プレヤーレターにも載せた、

60分のメッセージを「超」要約した内容も、

載せておきますね。

 

 

■メッセージの「超」要約:

 

「私」という名の物語 

 

主題聖書箇所:第二コリント人への手紙3章3節

 

2016年1月17日 

練馬グレースチャペル主日礼拝にて

 

 

 

哲学者キルケゴールは

「社会で歌われている歌を聞かせて下さい。

その社会の未来を言い当てましょう。

誰が法律を作ろうと、私は一向に構いません。」

と言いました。

 

 

 

東西冷戦終結後の現代社会は、

「大きな物語が終焉した」社会であると言われています。

人の人生を基礎づけ、

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、

我々はどこへ行くのか(ゴーギャン)」

を教えてくれる「物語」が

やせ細っているのが現代社会のひとつの病理です。

 

 

 

福音は断片的な情報ではなく、「物語」です。

 

 

私たちが「福音を伝える」というとき、

一定の情報を伝達するという「宣言」も大切ですが、

同時に聖書全体と歴史が織りなす有機的な「神の物語」を

「物語る」ことが現代においてはますます大切です。

 

 

その物語は、歴史、教会との調和のなかで、

「あなたの人生」という作品が神によって

描かれていくことによって紡がれます。

 

 

「社会の教会を見せてください。

その社会の未来を言い当てましょう。」

と言われる日が来るよう私は祈っています。

 

 

 

 

■メッセージの「超」要約:

 

「預言的な教会」とは何か 

 

主題聖書箇所:エレミヤ書1章4-10節

 

2016年4月17日 練馬グレースチャペル主日礼拝にて

 

 

 

 近代合理主義的な価値体系全体が行き詰まっている現代社会は

「ポストモダン」の時代と表現されます。

 

 

近代は「イデオロギーの時代」でしたから、キリスト教の宣教も、

「キリスト教弁証学(キリスト教が正しいことを論証によって証明する)」

などに代表されるようにイデオロギー色を帯びており、

また「成功神学」などに透けて見えるのは、

信仰がすべてを「解決」する、という勝利主義的発想でした。

 

 

しかし「イデオロギーの否定」「多元主義」

という言葉で表されるポストモダンの時代に

「神の心」を世界に提示するには、

「論証する」のではなく「物語る」こと、

「組織的に大衆を集める」のでなく

「有機的に共同体を形成する」こと、

人々に「解決を与える」のではなく

「意味を指し示す」ことが重要になってきます。

 

 

偽預言者のレッテルを貼られ投獄された

預言者エレミヤは私たちにヒントを与えてくれます。

 

 

彼は近代的価値観で判断するならば

「まったく失敗した人物」でしたが、

神の目で見るときに歴史上最も成功した人物のひとりです。

 

 

「神と共に人生を生きる」ことには意味があり、

そうするだけの価値があることです。

 

 

近代が行き詰まる21世紀の世界で、

そのことを「生きて語る」一人として私たちは呼ばれています。

 

 

 

 

、、、それから、

 

湯本さんが作った、

世界食糧デー岡山大会の、

プロモーション動画は、

すごく良く出来てます。

 

 

FVIが関わっている、

エチオピアのストリートチルドレンに対する働きの様子が、

よく分かります。

 

 

こちらは6分。

 

 

是非ご覧ください。

 

 

↓WFD岡山大会プロモ↓

 

https://www.youtube.com/watch?v=3jQNNnXhIFc

 

 


いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月22日(月) 07時00分00秒

2016/03/31 journal part2

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

6年前の願いを、主は聞き入れてくださる。主は私を覚えておられる。

 

 

■聖書箇所:

 

創世記30章22節 

 

神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。

 

 

 

 

「神はラケルを覚えておられた。」

 

 

力強い宣言である。

 

 

30節の前半は、

ラケルとレアの姉妹とそれぞれの女奴隷の4人の女たちによる

「産み合い」という一種異様な光景を呈する。

 

 

「より多く産んだ女が祝福されている。」

「私は祝福された女でいたい。」

「だから産む。産むことができなければ女奴隷に産ませる。」

という「醜い」というか、滑稽ですらある姉妹の「泥仕合」を見せられる。

 

 

この姉妹の感情を現代の文脈で理解するのは難しい。

 

 

このときのヤコブの感情もまた、理解するのが難しい。

 

 

この家族はどうなっているのだろう、

子どもはどんな感情を抱きながら大きくなるのだろう。

子ども同士がいじめ合ったりしなかったのだろうか

(後に判明するが、それは起こっている)。

 

 

いろいろな憶測が入り交じるが、

明確な回答は得られない。

 

 

また、この30章前半はわずか数十節だが、

十年以上の年月の話しをしている。

 

 

 

この間、姉妹の人間関係、

ヤコブの多妻制の夫婦関係、

親子関係、兄弟関係はどんなだっただろう。

要素が多すぎてすっきり分析できない。

 

 

 

そんななか、「神はラケルを覚えておられた。」

との一行が心を打つ。

 

 

 

レアの胎を神が開かれ、

ラケルは不妊だった、

との記述からこの節までに、

相当の期間が経っているはずである。

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによると、

ヤコブにヨセフが産まれた年齢が90歳、

結婚した年齢は84歳となるから、

その期間は6年間、ということになる。

 

 

6年間願い続けたことを、

主は聞き入れてくださった。

 

 

そして胎を開いてくださった。

 

 

この「タイムラグ」は何だろう。

 

 

いつもいつも、私たちは神様に何かを願う。

 

 

そして願ったことすら忘れていたり、

願うのをあきらめた頃、

主はその願ったことをかなえてくださったりする。

 

 

私の人生でも何度も実体験してきたことである。

 

 

私が今日願った祈りは、

6年後に聞かれるかもしれない。

 

 

「主は陣内を覚えておられた。」という風に。

 

 

 

また、6年前に願ったことを、

主は今日かなえてくださっているのかもしれない。

 

 

6年前の祈りのノートは、今も私の手元にある。

 

 

その整理はあまり出来ていないけれど、、

また時間をつくって少しずつ見直してみよう。

 

 

もういちど願うためでもあるが、

願いを主が忘れておられなかったことを、

再発見して主をほめたたえるために。

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月21日(日) 07時00分55秒

2016/03/31 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

ヘブル版の「名は体を表す」

 

 

■聖書箇所:

 

創世記29章34節 

 

彼女はまたみごもって、男の子を産み、「今度こそ、夫は私に結びつくだろう。私が彼に三人の子を産んだのだから」と言った。それゆえ、その子はレビと呼ばれた。

 

 

 

ヤコブはラバンの元にたどり着き、

7年の約束のところをラバンに騙され、

14年仕えることになる。

 

 

7年目にラバンとの交渉の結果、

レアとラケルを妻に娶る。

 

 

ヤコブは「面食い」だったため(17節)、

ラケルの方を愛した。

 

 

レアはさぞかし傷ついただろう。

そのようなレアを憐れみ、

主はレアの胎を開かれた、とある(31節)。

 

 

その結果、次々と子どもが与えられるが、

その名づけ方は、創世記の名づけ方に特徴的な、

「そのときの母親の気持ちや感情をそのまま名前にする」

という付け方である。

 

 

ちなみにヤコブは双子で生まれてきた時、

兄エサウのかかとを掴んでいたため、

「かかと=アケブ」にちなんでヤコブと名付けられた。

 

 

脚注を見ると、ルベンは「子を見よ」、

シメオンは「聞く=シャマ」の派生、

ユダは「ほめ称える=ヤダ」の派生、

レビは「結ぶ=ラバ」の派生とある。

 

 

特にレビの名前は示唆的である。

 

 

「名は体を表す」という日本語があるが、

ヘブル語にもそのような言葉はあるのだろうか。

おそらくはあると考えられる。

 

 

アブラムがアブラハムに、サライがサラに、

ヤコブがイスラエルに、

改名されるという出来事は

まさに名前と人格の連関が、

ヘブル文化において強いことを表している。

 

 

レビは日本名だとするなら「結」である。

 

 

レビ族はのちにモーセとアロンを輩出し、

祭司の一族となる。

 

 

そのレビの名が「結ぶ」であることは面白い。

彼と彼の子孫は神と人を結びつける使命を帯びていくのだから。

 

 

私に子どもが授かった時どのような名前をつけるか、

主にいまから祈る必要があるかもしれない。

 

 

また、主が両親を通してつけてくださった私の名前を愛し、

大切にし、その名前が指し示す事柄が、

人びとを祝福するために用いられるようお祈りしようと思った。

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月20日(土) 17時00分00秒

【夕刊】ウクライナ「裏」報告

テーマ:活動報告

 

どうもぼくです。

 

 

一昨日は、活動報告の「裏」を話しました。

結局芸人の三四郎の話になってしまい、

「陣内俊は5月から8月、

 三四郎のメンバーとして活動した」

と誤読した人も、

1000人に1人ぐらいいたかもしれません。

 

 

 

「裏」報告の、ちょっと違うことを話そうと思い、

再び筆を執り、、もといPCを起動しました。

 

 

 

昨日は結局ラジオ聴いてる話しかしなかったので、

今日は海外に行ってきたことの「裏」を話します。

 

 

 

ずいぶん昔ですが、

ウクライナに行ってきたときの話を。

 

 

 

ウクライナのことは、

次のプレヤーレターでも書こうと思ってるのだけど、

今回もっとも印象に残った「裏」の話をひとつ。

 

 

 

キエフ市内の地下鉄の駅で、

お土産屋さんに行ったときのこと。

 

 

 

ちなみにキエフの地下鉄に乗るのは、

けっこう楽しかったです。

 

 

 

めっちゃくちゃ長くて

そして移動速度の速いエスカレーターがあります。

地下鉄大江戸線新宿駅のエスカレーターよりも長い。

 

 

 

そして速度は3倍ぐらい速い。

 

 

 

そして、なんとなく、

いろんなものが「古いまま動いている」感じが、

すごーく味があって良い感じです。

 

 

 

ソ連時代に作られたインフラが、

今も動いているんだなぁということがよく分かる。

 

 

 

日本だと定期的に地震が起こったり、

ひとつの事故で設備が刷新されたりするので、

機械類の寿命が短い。

 

 

家もそうだけど。

 

 

大陸にある地震のない国々では、

古い家や、古い機械、古い鉄道などが、

良い味を出してます。

 

 

で、地下鉄のお土産屋の話。

 

 

そこで見つけたあるものが、

とっても心に残ったのです。

 

 

 

それは、「プーチンのトイレットペーパー」のお土産。

 

 

 

すげーセンス、と思って。

 

 

 

ウクライナとロシアの間には、

とても複雑な歴史があるわけです。

 

 

 

そもそもロシアという国の名前は、

ウクライナ(かつてのキエフ公国)の「ルーシ」に由来し、

もともとロシアはウクライナに出自を持つ。

 

 

しかしソ連時代にウクライナは、「穀物倉庫」として利用される。

そしてウクライナ人の国家意識の団結を恐れたスターリンは、

人工的な飢餓を引き起こし、「虐殺」を行う。

 

 

これは「ホロドモール」と呼ばれ、

1000万人以上が死んだとされる。

ホロコースト、ポルポト派、ルワンダ虐殺と並び、

20世紀の人類最悪の虐殺事件である。

 

 

さらに東西冷戦時には、

工業化で米国に対抗するため、

ソ連は原子力発電所の開発にいそしみ、

その立地はウクライナに押しつけた。

「チェルノブイリ」ですね。

 

 

で、

ソ連邦崩壊後に独立したウクライナだが、

ずっとロシアの傀儡(あやつり人形)政権が幅をきかせ、

国民を苦しめてきた。

 

 

そんな傀儡政権にうんざりした民衆が反逆したデモが、

2014年2月に起こるが、これに対して、

当時のヤヌコヴィッチ大統領は軍隊で応戦し、

100名の一般市民の死者を出す。

 

 

ウクライナ版、天安門事件である。

 

 

で、

そのあとヤヌコヴィッチ大統領は、

怖くなって国外に逃げる。

 

 

後任のポロシェンコ大統領(現職)は、

親欧州派、反ロシアとされているが、

ロシアと何らかのつながりがあるのではないかと、

疑う人も多い。

 

 

どこかでうっすら、

聞いたことのある話だ。

 

 

戦後の日本のエスタブリッシュメントは、

GHQから目をかけられたり、

CIAから資金提供を受け諜報活動を

したりすることと引き替えに、

日本の政治の中心を担ったというのは公然の秘密だ。

 

 

たしか2013年に、

アメリカ政府の情報公開によって、

安倍さんのおじいちゃんの岸信介も、

CIAのエージェントだったことが分かっている。

ぼくはそのページをアメリカ政府のホームページで確認した。

 

 

本当に載っている。

 

 

誰でも見れる。

 

 

 

ぼくはそれだから、

鬼の首をとったごとくに、

「ほら、岸信介は「反」日本だ。

 その孫の安倍晋三もヤバいやつだ」

なんて言うつもりは毛頭ない。

 

 

むしろ岸信介を尊敬する。

 

 

国益と、アメリカの都合の間で、

さぞ苦しんだだろうなぁと思う。

吉田茂、岸信介という二人は、

やはりすごい政治家だったんだと、

最近とみに思う。

 

 

 

沖縄の県知事が、

沖縄県の民意と日本政府の思惑で板挟みになって、

両方からすごい圧力と批判が飛び交い、

本当に苦しそうな顔をして、

何かを話すでしょ。

 

 

前の仲井間知事とか、

観てて泣きそうになった。

 

 

あのころの岸信介や吉田茂というのは、

今の沖縄県知事と構造的にとてもよく似ている。

 

 

いや「相似形」ををなす。

 

 

沖縄県知事にとっての日本政府が、

吉田・岸にとっての米国とGHQであり、

沖縄県知事にとっての沖縄県民と沖縄のメディアは、

吉田・岸にとっての日本国民と日本の新聞だった。

 

 

彼らは自分の愛する日本国民と、

強引な要求を突きつけるアメリカ政府の間で、

ぎりぎりの決断をし続けた人たちだったりする。

 

 

日本のメディアにも民衆にも袋だたきにされ、

それでもぎりぎりのところで、

アメリカに全部もっていかれないように、

老獪に彼らは物事を進めた。

 

 

岸信介の「私には声なき声が聞こえる」という言葉は、

実はけっこう深い。

 

 

その声なき声とは、

結局彼が不平等を是正した日米安保によって、

平和と繁栄を享受した未来の日本人、

つまりぼくたちなのかもしれないのだから。

 

 

ぼくは自民党支持者ではないし、

政治的に彼らにすべて同意するわけではないが、

彼らのその「胆力と眼力」は敬意に値する。

 

 

岸信介の孫の安倍晋三と、

吉田茂の孫の麻生太郎が、

今の日本の政治を引っ張っているというのは、

本当に「因果」なものなのだ。

 

 

CIAの話に戻る。

 

 

アメリカは秘密をたくさん持ってるけど、

良い点は「いつかそれが公開される」というルールが、

設定されていること。

 

 

おりしも岸信介の名前が、

米国のホームページに公開されたのと同じ年に

安倍さんが強行採決した特定秘密保護法案が、

事実上無制限に情報公開を

遅延出来るようになっているのは、

何かの偶然だろうか。

 

 

深読みのしすぎかもしれない。

 

 

ぼくは国家が秘密を持つことが

良くないとは思っていない。

 

 

本当に秘密を持ちたければ、

「秘密があるよ」ということ自体を、

秘密にしておくのが最上のやり方です。

 

 

なので「秘密がこれだけありますよ」と公開するという意味で、

あれは実は、透明性が担保される方向だったりする。

法律の名前から受ける語感や、

多くの人が思っているのとは逆なんだけど。

 

 

ただ、「情報を秘密にしておける期間」を、

政府が恣意的に動かせるのは、

ちょっと良くないな、と思う。

 

 

ちゃんと法律が運用されるように、

市民やメディアはウォッチしなければならない。

国会前でデモをするのも大事だけど、

そういうのも結構大事です。

 

 

、、、話がとてもそれたんだけど、

日本の政治は、事実上アメリカの意のままだったことに、

異論を唱える人はあまりいないだろう。

 

 

もちろん細かいところは交渉するし、

外務省の人も良くやってると思うし、

安倍さんも積極的にアメリカの議会で演説したりして、

良い影響を及ぼしているのだけど、

大筋はいつもアメリカが決めてきた。

 

 

そんなに裏事情に詳しくなくても、

公開情報からそれは「自明」である。

 

 

そもそも自衛隊の前身、

「警察予備隊」からして、

アメリカの都合で作ったんだから。

 

 

朝鮮戦争のときに、

日本の再軍国主義化と、

朝鮮半島の共産主義化を天秤にかけ、

アメリカ国務省は後者のほうがヤバいと読んだ。

 

 

で、アメリカは日本に通達を出す。

「警察予備隊を作ることを許可する。」

 

 

日本は何の申請も出してないのに。

 

 

これは「許可という名のやんわりとした命令」ですね。

 

 

やくざの親分がやおら子分に、

「おい、裏に車を回すことを許可する」

と言ったようなもので、

それに対する正しい反応は唯一、

車を裏に回すことだ。

 

 

同じように日本は、

アメリカの都合で、

警察予備隊を編制した。

それが現在の自衛隊です。

 

 

多くの人が指摘するように、

それからずっと違憲状態ですね。

 

 

この国では違憲かどうかより、

アメリカの意に反するかどうかのほうが、

大切にされる。

 

 

昔からそうなのです。

 

 

、、、その後も日米関係は、

重要な局面では必ずアメリカの意志が通る。

 

 

きっと核武装の問題も、

アメリカが「作ることを許可する(つまり作れ)」

みたいなことを言い出したら、

一気にそうなるんじゃないかと、

ぼくは半ば、絶望的に観ている。

 

 

絶望しているから悲観するのではなく、

絶望しているからこそ、

理想を語ることが大切と思っている。

 

 

 

あ、ウクライナ。

 

 

 

そうそう。

 

 

 

ことほどさように、

日米関係は、「主権があるような属国であるような」

とてもあいまいな状態で今までやってきたわけです。

(ぼくはその「あいまいさ」が駄目と思いません。

 それだから良いこともたくさんある。)

 

 

そこには上に述べたような、

複雑な歴史があるのです。

 

 

ロシアとウクライナの関係というのは、

それをさらに二回転半ぐらい複雑にし、

そして日米よりさらに深いく長い、

歴史的な禍根があるわけです。

 

 

ウクライナとロシアのことを聞くと、

日米関係がさわやかに見えてくるぐらいで。

スッキリしてて良いじゃないか。

 

 

本当に。

 

 

日本は幸せだったなぁ、

ラッキーだったなぁ、

と、ウクライナに行って、

(失礼なようだが)、思ったのです。

 

 

もしアメリカが、

「自由、平等、博愛」といった、

普遍的価値観を(たとえ建前であっても)、

標榜しない、中国やロシアのような、

覇権国であったなら、

日本の歴史はもっともっと、

深く傷つき、屈折し、

蹂躙され、ゆがんでいたでしょう。

 

 

アメリカがロシア的マインドの国だったら、

戦争の後、まず「日本語」をなくしたでしょうね。

 

 

もしくは公共メディアを無くして、

西日本と東日本で、言葉が通じなくする。

 

 

国家的統合をなくすのに最短の道は、

「共通の言語」をなくすことだから。

 

 

そうやって、日本を弱くする。

 

 

弱くすると支配しやすくなるから。

 

 

想像したくないですね。

 

 

 

じっさいにそのようにされたのが、

ウクライナです。

 

 

ウクライナの多くの人は、

ロシア語を話します。

 

 

そしてウクライナ語を話せるのは少数で、

東部の人たちは殆ど話せない。

 

 

ウクライナという国が強靱に立ち上がるための、

国家的統合の「前提」を、ロシアはソ連時代に、

周到に骨抜きにしている。

 

 

だから、

ヤヌコヴィッチ大統領のようなことが、

今でも起こる。

 

 

とっても複雑です。

 

 

複雑な中、

ウクライナの人たちはよく頑張っています。

 

 

ヤヌコヴィッチ大統領の件の直後から、

ロシアはクリミア半島を強引に併合し、

今も東部で軍事的に侵攻を続けている。

 

 

「武力による現状変更はナシにしましょう。」

という、第二次世界大戦後の、

国際社会のルールが、

白昼堂々と破られた。

 

 

「ゲームのルールが変わった」のだ。

 

 

おそらくそういう意味で、

100年後の世界史の教科書に、

2014年は大事な年として記されるだろう。

 

 

「新しい帝国主義の時代が始まった年」

 

 

、、、そんなウクライナの首都、

キエフの地下鉄の駅にあるお土産屋さんで、

見つけたモノが、コレ↓

 

 

 

 

 

 

プーチンの顔がプリントされた、

トイレットペーパー。

 

 

 

この写真はぼくが撮ったのではないです。

このトイレットペーパーは、

買おうと思ったけど、

やめておいた。

 

 

ロシアの諜報員が、

空港でぼくを捕まえて、

シベリヤに抑留されるのを恐れたからだ。

 

 

 

、、、というのは嘘だ。

 

 

残りのウクライナの通貨を、

切らしていたからです。

 

 

両替してでも

買っておけば良かったと、

とても後悔している。

 

 

このトイレットペーパーには、

ウクライナ人の誇りと、怒りと、哀しみと、

ユーモアと、知性が凝縮されているのだ。

 

 

世界情勢に関する新書を読みあさるだけでは、

見えてこない国際社会の皮膚感覚が、

感じられたりするところが、

時々海外に出ることのメリットです。

 

 

以上、ウクライナ「裏」報告でした。

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月20日(土) 07時00分00秒

2016/03/30 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

祝福は構造化されている。

 

 

■聖書箇所:

 

創世記28章14節 

 

地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。

 

 

 

ヤコブは、父イサクの命と母リベカの画策により、

母の故郷に行き、母の兄ラバンの娘のなかから

嫁をもらってくる旅に出る。

 

 

 

ハーレーの聖書ハンドブックによると、

このときヤコブは77歳、ヤコブの結婚は84歳である。

 

 

 

また、目指す場所ハランは出発地カナンの640キロ北東にあり、

本州の半分の距離(東京から青森以上の距離)の旅である。

 

 

 

どれほど心細かったことだろう。

 

 

 

ベテル(神の家)で、ヤコブは石を枕にして寝る。

 

 

 

人生で最も暗い夜だったかもしれない。

 

 

 

彼はそこで、天から地上にかけられた「はしごの幻」を見る。

 

 

 

ヨハネ1章51節で、イエスはご自分が「それ」だと宣言される。

 

 

 

最も暗い夜に、イエスはヤコブの枕元に現れ、

そしてアブラハムとの祝福の約束を再確認され、

ヤコブを励まされる。

 

 

 

私も誰かにとってそのような存在でありたい。

エンパワーメントをする者でありたい。

 

 

 

その「祝福」の内容に、今日は新たな発見があった。

 

 

 

神の祝福は、「他者を祝福すると言うことが祝福」

というふうに構造化されているということである。

 

 

 

ヤコブにとって祝福とは、

自分と子孫によって地上のすべての民族が祝福される、

ということであった。

 

 

 

リック・ウォレン牧師がよく言うのは、

「幸せ」を目的として追い求めても、

決して幸せにはなれない、

ということである。

 

 

幸せとは神に従ったことによって、

結果的に感じられるものである、と。

 

 

私たちの祝福とは、

「私たちを通して神が誰かを祝福してくださる」

ということである。

 

 

そして私たちを通して祝福された誰かの祝福もまた、

その人を通して次の誰かが祝福される、

という種類の祝福である。

 

 

このように神からの祝福というのは、

次へ次へと手渡されるように構造化されている。

 

 

 

私を通して誰かの内にキリストが形作られると、

その誰かの内におられるキリストは

次の誰かの内にキリストを形作る。

 

 

 

これは祝福の最たるものである。

 

 

 

他者を祝福できますように、

他者を祝福できるという祝福を、

私が得ることができますように。

アーメン。

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月19日(金) 07時00分00秒

2016/03/29 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

祝福の得意分野

 

 

■聖書箇所:

 

創世記27章28節 

 

神がおまえに、

天の露と地の肥沃、

豊かな穀物と新しいぶどう酒を

お与えになるように。

 

 

 

 

イサクは年老い、

目が見えなくなってきた時、

自らの「終活」を始める。

 

 

 

そこで一波乱あるわけだが、

祝福自体の内容は変わらない。

 

 

 

いみじくもエサウがイサクに問うたように

「祝福はひとつしかない(38節)」のである。

 

 

 

エサウは祝福を「軽蔑」した。

 

 

 

彼は一時の欲望と永遠の祝福を天秤にかけて、

前者を選んでしまったのだ。

 

 

 

私たちも毎日そのような選択に立たされる。

 

 

 

神の国の報酬を取るか、

この世の賞賛や富や安定を取るか。

 

 

 

この章で私は、イサクの祝福の言葉に目がとまった。

 

 

 

イサクがヤコブを祝福した言葉は、

アブラハムがヤコブを祝福した言葉と違うし、

ヤコブが十二部族を祝福した言葉とも、違う。

 

 

 

アブラハム、イサク、ヤコブの祝福は、

創世記12章で神がアブラハムとの間に結んだ契約に基づく。

 

 

 

しかしその「表現」は、それぞれの世代で

微妙に色を変えているのが興味深い。

 

 

 

イサクの場合、祝福の中に

いわゆる日本で言うところの「五穀豊穣」のような内容が

入っているところが面白い。

 

 

 

それはなぜかと考えた時、

26章12節の

「イサクはその地に種を蒔き、

 その年に百倍の収穫を見た。

 主が彼を祝福してくださったのである。」

という箇所を思い出す。

 

 

 

彼はあらゆる面で祝福されたかが、

特に農業や収穫という面において

尋常ではない祝福を得た。

 

 

今の言葉で言うなら、

彼には農業の賜物あるいは才覚があったのである。

英語表現で言うなら、

「Green Thumb(緑の親指)」を持っていた。

 

 

 

それもまた、主がイサクにくださったものであるが。

 

 

 

ここから、

「私たちが神にあって、何かについて得意だったり

神からの祝福を受けたり技術を研鑽したりした場合、

その分野において私たちが誰かのために祈る祈りには、力がある」

という原則が引き出せる。

 

 

 

私が得意な部分において誰かのために祈る時、

それは力ある祈りになるだろう。

 

 

 

また、誰か、何かにおいて神の祝福を受けている人に、

そのことに関して祈ってもらうことは、

私の人生の大きな祝福をもたらす。

 

 

 

誰かのために祈る時、

これからは自分が神からたくさんの祝福を受けた

「得意分野」において人々を祝福するような祈りをしたいと思う。

 

 

 

主よ、誰のために何のことを祈れば良いか示してください。

アーメン。

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年08月18日(木) 17時00分00秒

【夕刊】5月~8月の活動報告

テーマ:活動報告

 

どうもぼくです。

 

 

プレヤーレターの「5月~8月号」が、

ダウンロード出来るようになりました。

 

 

ご報告が遅くなりましたが。

↑のメッセージボードにリンクがございます。

 

 

プレヤーレター5月~8月

というところをクリックしてくだされば読めます。

 

↓こっちからもどうぞ。

http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2016_0708.pdf

 

 

内容は、5月から8月の活動報告です。

 

 

1.ウクライナのこと。

 

2.香川・札幌での奉仕のこと。

 

3.メッセージの「超」要約。

 

4.祈りの課題と今後の予定

 

 

 

みたいな感じです。

 

 

 

せっかくブログに書くので、

PDF版では読めないことを、

語りたいと思います。

 

 

 

いわば、「裏」報告ですね。

 

 

 

まぁ、このブログ自体、

ずーっと「裏」みたいなものですが 笑。

 

 

 

何を書こうかな。

 

 

 

5月~8月の4ヶ月に何があったか。

 

 

 

そうですねぇ。

 

 

 

さほど大きな変化はありません。

活動に復帰して8ヶ月、

まだまだ「試運転」というか、

こわごわとアクセルを踏んでいる感じです。

 

 

 

とにかく体力がなくなっていて、

一日出かけると、

次の日はもう殆ど体力は残ってないです。

 

 

 

会議などでアタマを使ったり、

新しく人にあったりなんかすると、

しなびたピーマンのように、

内面から瑞々しさが失われ、

回復までに時間がかかる。

 

 

リッター3キロしか走らない自動車の、

ガソリンタンクの容量が12リットル、

みたいな感じです。

 

 

どっかが壊れているのでしょう。

 

 

「壊れかけのレディオ」と、

「直りかけレディオ」は同じものだ、

といつか言ったことがありますが、

やっぱり同じではないです。

ぼくは「治りかけ」です。

 

 

 

そんな感じで、

とにかくこまめに休むことを旨としています。

 

 

 

休み方は、

身体を横にして、

寝ます。

 

 

 

何も読まず、

何も考えず。

 

 

 

何の役にも立たないラジオを聞きます。

 

 

 

ラジオを聴いてると、

自然に寝てます。

 

 

 

これが一番疲れが取れる気がする。

 

 

 

最近は、「三四郎のオールナイトニッポンゼロ」を、

タブレットのユーチューブで、

聴いています。

 

 

 

くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンも面白いですが、

三四郎はまた別の意味で面白い。

 

 

 

「くさやが美味くなってきた」とかいうのと似ていて、

「クセのある食べ物にやみつきになる」感じです。

 

 

 

くりぃむがナポリタンスパゲティだとしたら、

三四郎はブルーチーズとか、アンチョビとか、

そういった類のパスタの感じ。

 

 

 

くりぃむのラジオは、

クラスで、いや学年一番面白い二人の会話を、

聞き耳立てて聴いて、くすくす笑ってる感じ。

 

 

 

三四郎のラジオは、

クラスで最も目立たない、

最後尾、カーテンのそば、掃除道具入れの前の、

すべての女子が4メートル以上距離を置く、

「将棋部の二人」の、

オタクトークをたまたま聴いてしまったら、

「なんだよコレ、面白ぇじゃねぇかよ。」

という感じ。

 

 

 

三四郎の小宮曰く、

「このラジオのリスナーは、

 彼女も友だちもいなくて、

 例外なく人生の負け組で、

 服装はチェックシャツを

 ハイウェストジーンズにインしている」。

 

 

 

すばらしいラジオじゃないか。

 

 

 

三四郎、面白い。

 

 

 

小宮は前から面白いけど、

ラジオを聴いて考えを改めた。

相田さんのほうも、けっこうクズで、

けっこう面白い。

 

 

 

漫才のツッコミの間とかは下手だけど、

ラジオだと聞きやすい声で心地よい。

 

 

 

もしかしたら数年後、

オードリー若林的な変化を

遂げる可能性を秘めている。

 

 

 

小宮の、

「○○であれ!!」

 

 

 

というフレーズは、

最近のお笑い界でも、

特筆すべき「発明品」だと思っている。

 

 

 

ジダンの「マルセイユルーレット」という

フェイントをはじめて観たときのような衝撃があった。

 

 

 

「○○であれ!」

 

 

 

面白いじゃないか。

 

 

 

小宮のあの滑舌で言うから余計面白い。

 

 

 

まったく知らない人のために、

用例を言いますと、

 

 

 

そうだなぁ。

 

 

 

アメトーークとかで、コテコテの、

古典的な「天丼ワード(繰り返しワード)」

出て、「それさえ言えばウケる」

みたいな空気になったとします。

 

*豆知識:お笑い用語で「天丼」とは、

 同じフレーズやネタを、「繰り返す」ことで、

 笑いを誘うという古典的手法です。

 

 

鉄板状態ですね。

フレーズの「確変」です。

笑いの出玉が出続けている。

 

 

 

そのワードは何でも良い。

仮に「かんぴょう巻き」としましょう。

 

 

 

その流れのなかで、

明らかな「天丼ワード」へのフリに対して、

ひとりの芸人が、奇をてらったことを言って、

「外す」。

 

 

 

ここ一番の、

「かんぴょう巻き」が欲しいところに、

「ガリですねぇ」とか。

 

 

 

 

このときに言います。

 

「かんぴょう巻きであれ!」

 

 

 

 

この「発明」の凄いところは、

「前振り」とか天丼とか、お笑いのABCが分かってない、

ゲストの俳優とかに、司会者が間違えて振ってしまい、

本当は「かんぴょう巻き」が欲しいのに、

本当に食べた物を答えちゃったりする。

「卵ご飯ですね。」

 

 

 

そこへ、ぶっこむ。

「かんぴょう巻きであれ!!」

 

 

 

これで「成立」するわけです。

 

 

 

「不成立」を「成立」に返還する、

マジックワードは、

お笑い界では重宝されます。

 

 

 

そういう意味で、

小宮の「滑舌に見合わないワードセンス」に、

最近魅了されているのです。

 

 

 

なんだこの、不毛な話 笑。

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

陣内にメールをする。 (下記フォームより。個人情報が公開されることはないので安心してメールしてくださいね。) 山口出身の保育士で聞き屋経験者、友人の瀬知行くんが岩手県で支援活動を始めました。ともゆきブログはこちら↓

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 知行のニュースレターはこちら!!!

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- FVI(声なき者の友の輪)が運営するサイト、karashi.net随時更新中!!
陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

FVIの活動報告ニュースレター(四半期ごとに発行)

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 最新の陣内俊プレヤーレター(PDF版)ダウンロードはこちらから!! 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。