★応援くださる皆様へ★

このブログは、陣内俊の活動のためにお祈りくださり、

応援してくださっている皆様への活動報告を目的としています。

皆様の応援が力になっています。いつもありがとうございます。

★プレヤーレターのPDF★

支援者の皆様に紙媒体で郵送している、

「陣内俊プレヤーレター」のPDFは、

こちらからご覧になれます。

2015年3月の手紙

2015年10月の手紙

2016年1月、2月号

2016年3月、4月号NEW

★ご支援くださる方へ★

FVI(声なき者の友の輪)の働きはセルフサポート制のため、

陣内俊の活動はすべて、

支援者の皆様のご支援で支えられています。

ご支援くださる方は、以下のリンクをご参照くださるか、

左のメッセージボードから直接ご連絡ください。

ご支援方法


過去のニュースレターからも、ご支援方法を参照いただけます。



1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016年07月27日(水) 07時00分00秒

2016/03/16 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

サタンは狡猾である。

 

 

■聖書箇所:

 

創世記3章1節 

 

神である主が造られた野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

 

 

 

 

サタンは狡猾である。

サタンの罠は、現在でも有効なほどに、

狡猾でトリッキーだ。

 

 

 

神は「どの木からでも思いのまま食べて良い、

しかし善悪を知る知識の木の実だけは食べてはならない。」

と命じられた。

 

 

 

たった二つの命令である。

 

 

 

「園のどんな木からもたべてはならない。」

というサタンの嘘は神がアダムに与えられた命令の、

裏命題でも待遇命題でも逆命題でもない。

 

 

絶妙な屈折をさせた形で、

論理の隙間をつき、

さらにそれを反転させて、

「ほんとうに神はそういわれたのか?」と聞く。

 

 

神は「Aだ」と言った。

 

 

サタンは、「B、と神は本当に言われたのですか?」と聞いたのだ。

 

 

サタンは論理学を学んでいる。

 

 

正しい答えは、

「あなたの言うとおり、神はBとは言われませんでした。

 そうではなくAと言われたのです。」

である。

 

 

ところがエバは、

「A’と神は言われました。」と答えた。

 

 

 

神の命令を暗記していなかったので、

曖昧な記憶のまま、サタンの提案にひっぱられる形で、

神の言葉を曲げてしまったのである。

 

 

 

人類最初の罪から、私たちは多くを学ぶ。

 

 

 

1.サタンは狡猾であり、論理学を学んでいる。並大抵の知識や論理武装では太刀打ちできない。唯一の手立ては御言葉を暗記することである。

 

 

 

驚くべきことに福音書を読むと、

神であるイエスですら、

サタンに対抗するのに御言葉の暗唱を用いている。

それより劣った私たちは、

それ以外の手立てを信じない方が良い。

 

 

 

2.サタンは「鎖の最も弱い環」を狙い定めてくる。

 

 

アダムは神から直接命令をいただいた。

エバはアダムから伝え聞いた。

なのでエバのほうが命令の記憶の鮮明さは、

薄いはずである。

 

 

そこをサタンは狙った。

 

 

教会も家族も企業も国も、

およそあらゆる人の集団にも言えることである。

最も弱い環にサタンは狙うことを熟知している。

 

 

12弟子のうち最も思い上がっていた

ペテロをサタンは狙い、

イエスを否定させた。

 

 

しかしイエスから私たちが学ぶことは、

それをさらに先回りして、

イエスはペテロのために祈り、

幾重にもフォローを準備していたことである。

 

 

私たちも教会の中、家庭の中、

集団の中で最も弱い環をこそ、

フォローし、祈り、

失敗したとしても立ち直れるように

幾重にもフォローしていく必要がある。

 

 

ペテロのときのように、

それはいつか集団の財産となるはずだから。

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事
 もっと見る >>
2016年07月26日(火) 07時00分00秒

2016/03/15 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

「局所的なエデン」としての夫婦と教会

 

 

■聖書箇所:

 

創世記2章25節 

 

人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいとは思わなかった。

 

 

 

創世記2章もまた、大変に豊穣な教えを含んでいる。

 

 

1.安息日(安息)について。

 

 

安息はまず、「完成の宣言」とともにある。

 

 

次の仕事のことや、

過去の失敗のことを気に病んでいるとしたらそれは安息ではない。

 

 

そしてまた「聖なるもの」である。

神がはじめて「聖」という言葉を使ったのは、

安息日に関してである。

 

 

聖とは神の性質である。

安息日(安息、休息)は神に属する。

 

 

2.神は命令を与えられた。

 

(命令A.どの木からでも思いのまま食べて良い。

 命令B.知識の木の実は食べてはならない。

 2の補足:2を破った場合、その報いは死である。)

 

 

 

それは非常にシンプルだった。

罪さえなければ世界はシンプルである。

罪が世界と法律を複雑にした。

 

 

 

また、神はアダムにこの命令を与え、

そのあとにエバを造られた。

 

 

 

エバは直接神から命令を聞いていない。

これは夫婦の予表であるかもしれない。

 

 

 

神は夫に霊的リーダーの役割を与えている。

夫は家庭の祭司である。

 

 

 

この大きな責任を、

神を恐れつつ受ける。

 

 

 

主にいつも聞き、

それを忘れないよう、

人生を過ごす必要がある。

 

 

 

3.人とその妻は裸だったが、互いに恥ずかしいと思わなかった、とある。

 

 

当時のアダムとイブは、

地上に存在する人間関係のすべてである。

 

 

人間関係に恥はなかった。

 

 

裸というのは物理的にもそうだが、

心理的にも裸だった、ということだろう。

 

 

互いに正直に心をさらけだす、

本来の交わりがそこにあった。

 

 

もし私たちが教会の中で、

または家庭のなかで、

正直に心を分かち合う

正直で自由な人間関係を実現するなら、

そこには「局所的なエデン」が実現し、

それは神の創造の栄光を表すこととなる。

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年07月25日(月) 07時00分00秒

2016/03/14 journal

テーマ:デボーション

 

 

■タイトル:

 

「非常に良かった」の本当の意味

 

 

■聖書箇所:

 

創世記1章31節 

 

神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった、第六日。

 

 

 

 

創世記一章は、

やはり非常に面白い。

 

 

 

 

何度読んでも、

毎回違う啓示があり、

含蓄がある。

 

 

 

今回気がついたのは、

第六日にはじめて「非常に良かった」

という言葉が使われたことの意味である。

 

 

 

良くこの箇所を引用して、

多の被造物は「良しとされた」とあり、

人を造った後、「非常に良かった」とあるから、

人は他の被造物以上に良かった、

つまり人間はその他の被造物よりベターだ、

という風に語られる事がある。

 

 

 

つまり相対的な価値の違い、

または人間の優位性の根拠とする

メッセージが語られる。

 

 

 

しかし、それは間違いであることがわかる。

 

 

 

なぜか。

 

 

 

創世記1章31節には、

「すべてのものを見られた」

とあるからである。

 

 

 

なのでこの「非常に良かった」は人だけでなく、

第一日から第五日までに造られた

「すべてのもの」にもかかっているのである。

 

 

 

なので、これは相対的に人に価値がある、

という話しではない。

むしろ本来の意味とはこうである。

 

 

 

「第五日までの被造物」は良かった。

一方、「第五日の被造物+人間」は、非常に良かった。

 

 

 

これが聖書を素直に読んだときに

把握される本当の意味である。

 

 

 

「カレーライス」は良かった。

一方「カレーライス+福神漬け」は非常に良かった。

みたいなものである。

 

 

被造物は、人間がいることで、さらに輝くのである。

 

 

20キロ圏内で放置牛の世話をしている

福島の谷さんのところに行った時もそう思った。

牛と牧草地は、人間の管理とケアが入って、

初めて本来の姿に近づく。

 

 

 

北海道富良野の東大演習林の「極成相」の理論と、

そこに行くために「人手」が必要、

という本を読んだ時にもそう思った。

 

 

 

人間は福神漬けではない。

逆に「創造の冠」が人間であることは確かだ。

目を入れていない「竜の絵」のように、

人間のいない被造物は、

神の究極の目的を果たしているとは言えない。

 

 

 

しかし同時に、神は人間を、

「他の被造物を輝かせる」ためにも

造ったのである。

 

 

 

一方、第一日から第五日までの被造物が

「良しとされた」のに対応する言葉は

「非常に良かった」ではなく、

28節の「神は彼らを祝福された」である。

 

 

 

神は星や太陽や月や、魚や鳥や獣や、

草木や大地や海を造った時には祝福は出てこないが、

人間を創造したときに神は「祝福」をされた。

 

 

 

聖書で初めて「祝福」がつかわれるのは

他の被造物ではなく、

神が人間を祝福するときなのである。

 

 

 

何という大きな愛であり、

何という大きな幸せだろう。

 

 

 

私たちは祝福を与えられ、

そして同時に役割を与えられているのである。

主の被造物としてあるべき姿を全うしていきたい。

 

 

 

主よ、私がいることで他の被造物が輝きますように。

また、私を祝福してくださりありがとうございます。

アーメン。

 

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年07月24日(日) 18時30分00秒

【夕刊】社会現象

テーマ:どうでもいいこと

 

どうもぼくです。

 

 

 

昨日に引き続き、

「どうでもいいこと」を。

 

 

 

今日は久しぶりに、

練馬グレースチャペルの礼拝に出席しました。

 

 

 

一ヶ月ぶり。

先週は聖協団札幌教会という教会、

先々週は札幌のグレースコミュニティという教会、

先々々週は練馬グレースチャペルのリトリートだったので、

その週は奥多摩のキャンプ場で礼拝、

という具合に、

3週続けて「外で礼拝」だったのです。

 

 

 

練馬グレースチャペルへは、

雨が降っていなければ、

自転車で行きます。

 

 

 

片道25分~30分ぐらいです。

地下鉄の駅で、4駅。

 

 

6.5キロぐらい?

まぁまぁ離れている。

 

 

 

我が家には、

自転車が二台あります。

一台はpanasonicの、電動アシスト付のやつ。

もう一台はホームセンターのママチャリです。

 

 

 

妻と順番交代で使っています。

ぼくが疲れているので、

今日は妻は、行きも帰りも、

電動アシスト付を譲ってくれました。

 

 

 

妻はとても優しいのです。

 

 

 

その、帰り道のこと。

 

 

 

30分間自転車をこぐ間、

例の社会現象「ポケモンGO」をやっているとおぼしき、

スマホをかざし前方2メートル先を見て

なにやら話し合う主に2人組の人々を、

多く見ました。

 

 

 

 

1人のときもあれば、

3人のときもある。

 

 

 

でも多くは2人組でした。

 

 

 

帰りに僕は光が丘図書館に寄りました。

明日が休みなので、

本を返して、そして借りるために。

 

 

 

図書館の前は大きな公園になっていて、

もはやそこは、巨大な「ポケモンワンダーランド」になっていました。

そこかしこに、スマホやタブレットをかざしている人、人、人。

 

 

 

ぼくは基本的に、

自分以外の大多数の人が何かに興味を持つと、

その「何か」に対する興味が急激に失われていく性格です。

 

 

 

「それがブームだ」と言われると、

昨日までそれをしていたとしても、

突然止めたりする。

 

 

 

納豆が流行っている、

と言われると、

突如、納豆を食べたくなくなる。

 

 

 

「みんながやるなら、オレはいいや。」

 

 

 

別の何か新しい楽しいものを探しに行く。

 

 

 

子どものころからそうです。

 

 

 

あまのじゃくなのです。

 

 

 

あるいは、バランスをとっているのです。

 

 

 

社会はぼくの中で「巨大な天秤」のようになっていて、

いっせいに大勢の人が「わーっ」と片側によると、

なんか日本列島が傾いて倒れてしまうのではないかと、

ぼくは無意識で想像しているのでしょう。

 

 

 

だから「やばいやばいやばい倒れる」っつって、

一目散に逆に走り出すという。

 

 

 

嘘か本当か知りませんが。

 

 

 

そんな性格が昂じて、

ぼくはいまだにガラケーです。

 

 

 

日本がキリスト教徒が多数派の国だったら、

ぼくはキリスト教徒になっていないかもしれない。

 

 

 

多数派がそう出るなら、

オレはいいや、と。

 

 

 

、、、それは嘘ですが。

 

 

 

、、、それは嘘ですが、

ぼくは「キリスト教徒が多数派になったら良いのに」

とじつはあまり思ってないのは本当です。

 

 

 

そうなると、いろいろ良くないことも起こってくる。

アメリカを見ると分かる。

 

 

 

日本の過半数がキリスト教徒になったなら、

ぼくはどこか他の国に移住する思います。

もっとキリスト教徒が少数派の国へ。

 

 

 

 

これは嘘じゃないです。

 

 

 

キリスト教徒というのは、

「愛と奉仕によって社会に味を付ける塩」

のようなものだとぼくは思っているので、

「塩が多数派」になったなら、

塩が足りない国に移住するのです。

 

 

 

まき散らされた方が、

「あんばい(塩梅)」がいい。

 

 

 

うん、上手いこと言った。

 

 

 

世の中に一定数、

そういう風にバランスをとる人が必要なのです(多分)。

別名、「あまのじゃく」と呼びますが。

 

 

 

で、例のポケモンGOのニュースを聞きながら、

興味のシャッターが「閉店がらがら」だったのですが、

街にいるわいるわ、やってる人。

 

 

 

で、帰りの光が丘公園で、

そんな人々を観察していると、

興味深い一組のプレイヤーたちを見つけ、

自転車をこぎながら、

しばらく凝視してしまいました。

 

 

 

それは若い男女のカップルだったのですが、

スマホをかざして、3メートル先にある何かを、

スマホ越しに見ながらなにやら話し合い、

そしてスマホを操作しています。

 

 

 

そこまではいいのですが、

そのさらに1メートル先に、

90歳は超えているんじゃないかという、

車いすにのった「老婆」がいるのです。

 

 

 

どこからどうみても、

立派な「老婆」です。

 

 

 

仮に95歳としましょう。

 

 

 

その95歳の老婆の、

もはや撮影会みたいになってるわけです。

 

 

 

多分ゲームに熱中している二人には、

老婆は見えていない。

 

 

 

 

車いすのホイールあたりに、

レアモンスターがいたのかもしれない。

もしくは何らかのアイテムが

転がっていたのかもしれない。

 

 

 

老婆は何のことやら分かっていません。

ただただ、ぷるぷる震えながら、

遠くを見ています。

 

 

 

「おばあちゃん、ここで待っててね」と言われ、

介助者を待っていたのかもしれない。

 

 

 

自分が二人のカップルに

スマホを向けられていることにすら、

気づいていない様子です。

 

 

 

「日本も平和になったわねぇ」あるいは、

「今年も暑くなりそうだわねぇ」と、

老婆は考えていた。

 

 

、、、あるいは、何も考えていなかった。

 

 

確実に言えるのは、

「ポケモンGOって何なのかしら?」

とは、老婆は思っていない。

 

 

多分。

 

 

 

LINEどころか、

携帯電話ももっていないかもしれない。

友だちに連絡するときは、

LINEではない。

 

 

ショートメールでもない。

 

 

ポケベルでもない。

 

 

「便せん」である。

 

 

 

クールポコのネタみたいだ。

 

「男は黙って、便せん。」

 

 

 

、、、

 

 

 

その光景が何故か、目に焼き付きました。

そして図書館で手続きを済ませ、

家まで帰ってきた。

 

 

 

その途中、自転車をこぎながら、

ぼくは思った。

 

 

 

、、、

 

 

 

、、、

 

 

 

まてよ。

 

 

 

あれはもしかして、

老婆の車いすのホイールあたりにいる、

レアモンスターではないのかもしれない。

 

 

 

 

老 婆 自 体 が 

 

レ ア モ ン ス タ ー 

 

だ っ た の か も し れ な い 。

 

 

 

 

それが実在化し、

ぼくの目にだけ、

特別に見えたのかもしれない。

 

 

 

「ロウバ LV.95」を、

あの若いカップルは、

ゲットしようとしていたのかもしれない。

 

 

 

、、、という妄想を膨らませていたら、

あっという間に家に着いた。

 

 

 

家に着いてから考えた。

 

 

 

たとえあの老婆が、

ぼくの眼球にだけ実在を顕現した、

任天堂特別仕様のモンスターではなかったとしても、

 

 

 

平成生まれ、20代のカップルが、

大正生まれ、90代の老婆の乗る、

車いすのホイール付近に、

バーチャルに存在するポケモンをゲットする。

 

 

 

なんともシュールレアリスティックな光景だった。

 

 

 

少子高齢化社会という、

もうひとつの「社会現象」が、

そこにはあった。

 

 

 

、、、という、

「ジンナイ Lv.38」の、

独り言でした。

 

 

 

*脳内の映像を再現してみました。

(作画時間 90秒)

 

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年07月24日(日) 07時00分00秒

2016/03/13 journal

テーマ:デボーション

 

■タイトル:

 

毎月異なる12種の実、そして命の木の葉。

 

 

■聖書箇所:

 

黙示録22章2節 

 

川の両岸には、いのちの木があって、12種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民を癒やした。

 

 

 

 

新天新地の都には、神殿がない。

神ご自身が神殿だからである。

 

 

 

その都の中央の大通りには、

御座から流れる光る命の水の川が流れている。

 

 

 

その両岸には命の木がある。

聖書は命の木で始まり命の木で終わる。

 

 

 

この木は、

「毎月異なる12種の実をならせ、

その葉が諸国の民を癒やした」

というところが心にとまった。

 

 

 

愛知県の私の墓教会のICBCに昔、

「十二の雰囲気」という取り組みがあったが、

それは的はずれなことでなく、

それどころか大変聖書的である。

 

 

 

私もまた、これに刺激を受け、

毎月実らせる12種の実について考えたい。

 

 

 

個人的な「実」について、

教会が私の奉仕を通して実らせる実について、

考えてみたいと思う。

 

 

 

また諸国の民を癒やす葉が

私にとって何を意味するのかについても、

祈り求めていきたい。

 

 

 

主よ今週それについて取り組みたいです。

どうかお語りください、

アーメン。

 

いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

陣内にメールをする。 (下記フォームより。個人情報が公開されることはないので安心してメールしてくださいね。) 山口出身の保育士で聞き屋経験者、友人の瀬知行くんが岩手県で支援活動を始めました。ともゆきブログはこちら↓

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 知行のニュースレターはこちら!!!

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- FVI(声なき者の友の輪)が運営するサイト、karashi.net随時更新中!!
陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

FVIの活動報告ニュースレター(四半期ごとに発行)

陣内俊 Prayer Letter -ONLINE- 最新の陣内俊プレヤーレター(PDF版)ダウンロードはこちらから!! 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。