2016/08/07 journal | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

2016/08/07 journal

 

■タイトル:

 

祝福の目的とは

 

 

■聖書箇所:

 

申命記15章10節

 

  必ず彼に与えなさい。また与えるとき、心に未練を持ってはならない。このことのために、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださる。

 

 

次11節にはこうある。

 

 

貧しい者が国のうちから

絶えることはないであろうから、

私はあなたに命じて言う。

 

「国のうちにいるあなたの兄弟の

 悩んでいる者と貧しい者に、

 必ずあなたの手を開かなければならない。」

 

 

この前には七年ごとの負債の免除のことが書かれ、

その理由は「社会に貧しいものがいなくなる」

ためだと書いてある。

 

 

借金のスパイラルに落ち込み

貧困の連鎖が起こることを

主はあらかじめ予防しようとされた。

 

 

また、負債の帳消しの年の前年だからと言って、

困窮者に金を貸すのを渋ったら、

それは罪になると言っている。

 

 

申命記を読むと、神がどれほど貧しい者、

乏しい者、虐げられた者、奴隷、

未亡人、孤児、在留異国人など、

社会的弱者を気にかけておられるかが伝わってくる。

 

 

そして、「このことのために」

主はあなた達の手のわざを祝福してくださる、

と言われる。

 

 

私の友人は、

同世代の同じ職業の人たちと比べて

預金額が少ないことを知り愕然としたが、

あとで考えてみたらそっくりそのぐらいの額を、

人々への奉仕や教会の働きのために

捧げてきたのだと気づいて、

気持ちよく納得したと言っていた。

 

 

「神が富を与えるのは

 その人の周囲の人々を祝福するためだ」

と考えると、神はこのような人にこそ

富を預けたいと思われるはずである。

 

 

私も、もし、前職を続けていたら、

この8年で平均的な年収の3年分ぐらいの収入が

余分にあったことにあるとき気づき

愕然としたことがあった。

 

 

そのとき友人の話を思い出して、

そのお金は神にお捧げしたのだと

考えたら喜びに満たされた。

 

 

お金も時間も才能も力も、

あらゆる資源が私たちに

「一時的に委ねられている

(それを所有と人は勘違いしている)」

としたら、

それは他でもなく、

それを使って社会を祝福するためである。

 

 

私も自分に委ねられたものを

社会に還元していくものでありたい。