2016/06/28 journal | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-

2016/06/28 journal

 

■タイトル:

 

ヨシュアとカレブの資質

 

■聖書箇所:

 

民数記13章33節 

 

そこで、私たちネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えただろう。

 

 

 

モーセの指示で、

12部族からそれぞれの長たちがひとりずつ、

計12人、カナンの地に偵察に遣わされた。

 

 

その中にはエフライム族のヨシュアと

ユダ族のカレブも含まれていた。

 

 

12人は40日間その地を偵察し、

豊かな果実と、城壁と、

大きくて強そうなカナン人を見た。

 

 

彼らは帰ってきて報告した。

 

1.その地が父と蜜の流れる地であること。

 

2.城壁があること。

 

3.強い民がそこには住んでいること。

 

 

ここまではモーセの指示通りである。

 

 

モーセはその民が強いか弱いか、

城壁があるかどうか、

その地が肥沃かどうかについて

偵察するように指示しているから。

 

 

それを聞いて民はざわついたのだろう。

 

 

心が折れそうになった民もいただろう。

 

 

彼らを鼓舞するために、カレブが口を開いた。

 

 

「私たちは是非上っていって占領しよう。

必ずそれができるから。(30節)」

それに対し他の10人は、

「私たちには無理だ、カナン人は強いから。」と言った。

 

 

さらに悪いことに10人はイスラエル人に吹聴した。

 

 

「その地は住民を食い尽くす地である。

私たちはいなごのように感じたし、

彼らにもそう見えたに違いない。」と。

 

 

この後12人の斥候のうち10人は裁かれて滅び、

ヨシュアとカレブはモーセの後継者として、

40年後にイスラエルを約束の地に導く。

 

 

彼らが現状を報告したところまでは正確な仕事をした。

 

 

しかし、そこに主観を交えるように

とは、モーセの指示の中にない。

 

 

決定されるのは主であるし、

主はすでに約束を通して決定しておられる。

 

 

ヨシュアが「必ず出来るから」と

言ったときそれは彼の主観ではなく、

主の約束の追認であった。

 

 

それに対して10人の斥候達は、

自分たちに与えられた任務以上のことをした。

 

 

主観を交えて、

さらにそこに想像を加えて、

民に言った。

 

 

「私たちはいなごに見えた。

 彼らにもそう見えただろう。」

 

 

彼らが自分たちをいなごのように思うのは勝手だが、

それを口にするべきではなかったし、

まして民に言うべきでもなかった。

 

 

ヨシュアとカレブももしかしたら

自分たちがいなごに見えたかもしれないが、

それは自分たちの任務と関係ないことを知っていたし、

ヨシュアとカレブには強大な城壁と

カナン人と戦うのは自分たちではなく、

エジプトにさばきを行い奇跡をもって導かれた主であるという

「現実のさらに深くにある現実」が見えていた。

 

 

だから自分がいなごだろうが「ありんこ」だろうが、

いっこうに構わなかった。

 

 

ヨシュアとカレブが、200万人を導く資質があり、

他の10人のリーダーになかった理由は以下の点である。

 

 

1.自分の任務をしっかり把握し、

 それ以外の主観や想像については留保出来るかどうか。

 

(これはおそらく現在の軍人やスパイ、

 企業のリーダーの資質と同じである。)

 

 

2.現実の背後にある「主の現実」が見えていたかどうか。

 

 

2については、モーセにあり、

200万人の殆どになかった資質、

アロンやミリヤムにすらなかった資質である。

 

 

いかにすぐれたリーダーといえど、

主の現実が見えていなければ

信仰の指導者としてはふさわしくない。

 

 

自分がいなごに感じるのは構わないし、

敵を強大に感じるのも構わない。

 

 

逆に無知に基づいて蛮勇に走ったり、

敵を過小評価するのは愚かだ。

 

 

しかし、その背後に「主の現実」が

見えていないとしたら、

折角の分析能力も裏目に出る。

 

 

神様、ヨシュアやカレブやモーセのように、

見えるものの背後にある見えない

現実を見る人になりたい。