ノアの話・続き
ノアの話を、
夫婦のバイブル・タイムで読んでいるのだけど、
7章まで読み進めて、
今更ながら「マジか!」
と思ったこと。
ノアは100年をかけて、
未だ誰も考えたこともないような、
長さ137メートルもある、
巨大な構造物を作った。
それは偉業であり、
多分奇跡ですらあった。
彼が600歳(!)のとき、
船は完成し、
いよいよ大雨と洪水が来る、
というとき、
聖書を読むと、
「すべての動物たちが、、、、
神がノアに命じられた通り、
箱舟の中のノアのところに入ってきた。」
とある。
まず、この文章はおかしい、と思う。
神はノアに命じた。
結果、動物たちが入ってきた。
命令の目的語(ノア)と、
命令に従った主体(動物たち)が、
ねじれているのだ。
What?
さらに気が付く。
ノアって、動物たちを集めなかったんだ。
サーカスのように(かどうかも定かではないが)、
動物たちは、自主的につがいで箱舟に入ってきた。
ぞろぞろと。
洪水の予告、
箱舟の建築、
洪水の実現、
という、一連の出来事の中で、
最大の奇跡は、
この部分かもしれない。
ここが一番すごいやんけ!
漫画「グラップラー刃牙」の
範馬勇次郎のように、
今までのすべての前提を覆すような、
最大級の奇跡が最後にさらっと起きている。
100年間、なんだったんだ。
動物を一斉に箱舟に入らせる、
というメガトン級の奇跡の前には、
137メートルの箱舟は色あせる。
「それも、指一本で出来たんではないだろうか。」
「奇跡のハイパーインフレ」が起きる。
ここから僕たちが学べることは何か。
読者の数だけ啓示があるのだと思うが、
僕のレッスンは、
1.神様はどうしても人間と共同作業がしたい。
(神様は「お前が必要なんだ」と人に言いたい。)
2.僕たちの人生をかけた大事業のスケールが、
100だとしたら、
1,000,000ぐらいを、
神様がやってくださる。
そういう「梃子の原理」が働く。
御業のレバレッジ(てこ)が働く。
このメタファーで言うなら、
起こった出来事は、
1,000,100なのだから、
僕たちの生涯の一大事業は、
100でなくて99でも良いのではないか、
と思うんだけど、きっとそうじゃない。
僕たちが信仰をもって100やったとき、
天で何か小さな音が鳴る。
多分それは「カチッ」というような種類の音。
その音を合図に、
まさに天の扉が開く。
御業のハイパーインフレが起こる。
僕たちの人生にはそんな素敵な仕掛けが
用意されているように思う。
僕は聖書から、そのような「人生観」を読み取る。
それは人生にある種の超越性を与える。
「ああすればこうなる」と考えることを、
合理主義というのだけど、
それを超える人生観を、
ノアをはじめ聖書の物語は、
僕たちに与えてくれる。
ああすればこうなる、を超えた世界。
ああしてないのにこうなる世界。
ああしたのにこうならない世界。
入力と出力の計算が合わない世界。
ノアで言うところの、
動物の奇跡、
つまり奇跡のハイパーインフレは、
僕たちが生きている間に起こるとは限らない。
僕たちは生きてそれを観ないかもしれないし、
残りの1,000,000の奇跡は、
「この世」と結びついていることもあれば、
結びついていないこともある。
ヘブル11章の後半を読むとわかる。
「この世は彼らにふさわしい場所ではありませんでした。」
なんという賞賛だろう。
ノアの物語は、
僕にいつも励ましを与えてくれる。